奈良県:奈良市土地開発公社 市街化調整区域の無許可造成地、「宅地」評価で高額取得 91年、積水の中ノ川移転計画で
奈良市が平城京朱雀大路跡(国史跡)の復元整備を目的に、1980年代から90年代に進めた積水化学工業奈良工場の移転計画で、市土地開発公社に用地として同市中ノ川町などの市街化調整区域の山林を取得させた際、無許可の造成地が「宅地」と鑑定評価され高額で取得されていたことが、市情報公開条例に基づいて開示を受けた不動産鑑定評価書や「奈良の声」の調べで分かった。
公社は2012年6月まで、02年4月の情報公開規定制定より前の文書を不開示としていた。このため移転用地を取得したときの不動産鑑定評価書はこれまで不開示だった。2013年3月の公社解散後、公社の文書は市が保有している。
移転は、平城宮跡の朱雀門前にある同工場の敷地の一部が朱雀大路跡に重なっていることから計画された。移転用地の取得は90年から94年にかけて行われた。一帯は、市東部郊外の山林や農地の中に住宅などが点在する地域で、取得した土地の広さは約16万平方メートル。土地の所有者は住民や不動産業者などで、取得額は58億1455万円に上った。90年はバブル景気で県内の地価が頂点に達した時期だった。
「宅地」とされた造成地は市道に面した傾斜地で、広さ約1万平方メートル。公社は91年4月、17億6420万円で取得した。所有者は市内の不動産会社の代表取締役だった。1平方メートル当たり17万2000円は、取得した土地の中で最も高かっただけでなく、突出していた。このほかの土地はほとんどが3万円前後だった。取得額も最大で、全体の3割を占めた。
現在は雑木に覆われていて地形が分かりにくいが、地元の人によると、公社が取得したころには敷地内を通る道が設けられ、宅地のようにひな壇に造成されていたという。近年、公社が現地を確認した際にもそうした状態がうかがえたという。登記簿上でも、土地の一部が八つほどに分筆され、四角く区割りされている。登記簿の地目は現在まですべて山林となっている。
造成の目的は不明だが、都市計画法の市街化調整区域に指定されている地域では開発行為が厳しく制限されており、宅地開発であれば、89年度までは県、90年度からは市の許可が必要。移転用地は宅地造成規制法の宅地造成工事規制区域にも指定されており、造成の目的が宅地開発であれば、同様に89年度までは県、90年度からは市の許可が必要。
しかし、市開発指導課によると、いずれの許可についても受けていない。市の「都市計画法・宅地造成等規制法許可申請等区域図」に同造成地を許可した記載はないという。宅地造成工事の許可を受けていなければ、行われた造成が定められた技術基準を満たしているかどうか不明だ。88年の同区域図では、同造成地の所に「宅地造成中」の表記がある。地図作成を請け負った業者が航空写真に写っていた状態から判断したとみられる。少なくともこの年までに造成が始まっていたとみられる。
また、同課によると、当時の都市計画法は市街化調整区域での宅地開発を許可する場合、数ヘクタールの規模を要件としていたといい、1万平方メートル(1ヘクタール)の土地が単独で許可を得ることは考えにくいという。
根拠は不動産鑑定
取得額の根拠は不動産鑑定評価書。公社の委託で不動産鑑定業者が91年4月に作成した同造成地の鑑定評価書は、「市道沿いに一般住宅、作業所、資材置き場等が存する宅地地域内に所在する宅地に該当する」とした。不動産の鑑定評価基準では、不動産鑑定士が「宅地地域」にあると判断した田畑や山林は「宅地」に分類する。同評価書の地勢・地盤に関する個所には「一部ひな壇状に粗造成」の記載もある。
一方、同様に取得した周辺の山林については、それぞれの鑑定評価書は「宅地見込地」に該当するとした。鑑定評価基準では、鑑定士が周辺のベッドタウン化などの影響で「宅地地域」に転換しつつある「農地地域」や「林地地域」にあると判断した田畑や山林は「宅地見込地」に分類する。
「宅地」とされた造成地の鑑定評価額は1平方メートル当たり17万2000円、対して「宅地見込地」とされた周辺の山林はいずれも3万円前後だった。両者の間には6倍前後の大きな開きがあった。「宅地見込地」は開発造成の費用を必要とするため、評価額は低くなる。公社の取得額は評価額の範囲内で決定される。
17億円が897万円に
移転計画は、積水化学工業の景気低迷による投資余力の減退を理由に2000年、中止になった。これに伴い、移転用地は塩漬け状態となった。公社の土地取得は借金で行われるため、市が買い戻すまで金利が累積していく。取得時の借金58億1455万円は、公社解散前には82億7886万円まで膨らんだ。
一方、この間、地価は下落し、市が算出した12年度の移転用地の実勢価格は1億5537万円。取得時の37分の1になった。中でも「宅地」とされた造成地は実勢価格897万円で、取得額17億6420万円の196分の1。取得額と実勢価格の開きはさらに大きい。1平方メートル当たりでは17万2000円が875円になった。同造成地の鑑定評価額が過大であったことをうかがわせる。
市の第三者委員会「市土地開発公社経営検討委員会」は11年に公表した報告書で、移転用地の取得について「バブル期当時の情勢を考慮したとしても、その取得価額が高額すぎたという点で問題が存する」「同じ時点で取得した同じような条件の土地であっても、その購入単価が1平方メートル当たり10万円近く異なっている事例が見受けられた。先に売却者が応じた売買価額が結論として存在し、鑑定評価額については、それを上回るような調整をしていた可能性も否定できず」などと問題点を指摘している。
公社解散後、公社に関することの窓口となっている市土木管理課は「今となっては当時のことが分からないので詳しいことは言えないが、公社は鑑定評価書に基づいて土地を購入しているので、価格についても当然、正当なものであろうと、現在の市としては判断している」とした。
市は、公社解散に伴い、移転用地を含む塩漬け土地の借金約173億円を肩代わりした。本年度から毎年、約10億円ずつ20年間にわたって市の会計から返済していく。公社は市に対し、塩漬け土地で代物弁済した。市は地価の下落分については債権放棄した。
移転用地取得時の市長は西田栄三氏(在任期間1984~92年、故人)と大川靖則氏(同92~04年)だった。