奈良県)奈良市取り壊しの旧都跡村役場の設計者、旧生駒町役場と同一か 建築家が指摘 市「棟札調査の予定なし」
奈良市が間もなく取り壊す昭和初期の建築の旧都跡村役場(同市四条大路5丁目、市有財産)の設計者が、生駒市山崎町の登録有形文化財、旧生駒町役場(市生駒ふるさとミュージアム)と同じ中川吉治郎である可能性があることが建築家の指摘で分かった。ともに1933(昭和8)年の木造平屋建て瓦ぶきの近代和風建築で、独特の腕木の用い方などがみられる外観や天井のデザインがよく似ている。
部材は解体で産廃に
奈良市営繕課は、部材は解体により産業廃棄物になるとし、設計者が判明する可能性のある棟札の調査に配慮した取り壊し工事は行わないとしている。
二つの旧役場建物の類似点に注目しているのは、生駒市東生駒3丁目の建築家、好川忠延さん。日本建築家協会近畿支部で近代建築の保全活動に取り組んでおり、旧都跡村役場が取り壊されることを知って知人の建築家らと現地を調査した。生駒市が保存している旧生駒町役場とあらためて比較してみたところ、複数の共通点を確認できたという。
他の建物ではあまり見られない両者の共通点として、妻側の外観を挙げることができ、「入り母屋の壁を腕木で持ち出している手法が似ている」という。また、旧都跡村役場の議事堂の天井は、材木を井桁状に組んだ「折り上げ天井」であり、旧生駒町役場の天井と「そっくり」とする。さらに、天井の換気口の作り方もよく似ているという。
生駒市によると、中川吉治郎は旧南生駒村出身で、旧生駒町役場の設計と建築を担当したという。中川は、宝山寺の営繕修理を手掛けたほか、往馬大社の拝殿や生駒小学校などの建築の実績がある。
旧生駒町役場について文化庁は「入り母屋破風を見せる堂々とした構え。和風官庁建築の好例」と評価し、2010年、国の登録有形文化財に選定した。一方、旧都跡村役場については、県教育委員会が11年、調査報告書「奈良県の近代和風建築」で「最小規模の庁舎と議事堂が、ほぼ当初のままセットで残っている点で貴重」と評価していた。
明治から昭和の初めにかけ、県内で近代和風建築が続々と誕生するが、1894年、奈良公園に建築された旧帝国奈良博物館のバロック風に対し、「洋風すぎる」として県議会で批判が続出したことがきっかけといわれる。
設計者が同一の近代和風建築は、県内に何例か残る。1903年の旧高市郡教育博物館(橿原市今井まちなみ交流センター華甍、県指定文化財)と1908年の旧県立図書館(郡山城跡に移築され大和郡山市所有、県指定文化財)は、県の技師だった橋本卯兵衛の作品。1928年の佐保会館(奈良女子大学同窓会館、登録有形文化財)と社寺風の屋根を載せた1933年の県立畝傍高校(登録有形文化財)は、吉野にゆかりの建築家、岩崎平太郎の設計だ。
建築史に残る旧都跡村役場は、集会施設の新築のため取り壊される。消滅を惜しみ、建築家やまちづくり団体、市民から保存の要望書が出ていた。
好川さんは「せめて解体される前に棟札を調べ、作者を知りたい」と話す。
市によると解体工事は9月中に終わり、その後、2カ月をかけて平城京跡の埋蔵文化財調査が行われる。集会施設は年度内に完成の予定。