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拠点・奈良県大和郡山市 運営者・浅野善一

田原本に首都圏の観光客

歴史的町並みや能の古里巡る 古い看板や瓦も目的に

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2011年7月11日 浅野善一
田原本町の歴史的な町並み
 田原本町でここ1、2年、首都圏からの観光客が目立ち始めている。目的は弥生時代の唐古・鍵遺跡など古代史の舞台だけではなく、中世の能ゆかりの地や、近世から近代にかけての歴史的町並み、そこに残る古い看板や瓦に及ぶ。
 近鉄田原本駅前にある町観光協会運営の観光案内所「磯城の里」に取材し、町を歩いた。
 同案内所は、〝シャッター通り〟となっていた駅前の空き店舗対策事業として2004年11月に開所した。元は食堂だった。10年度は3341人、09年度は2971人が利用した。
観光案内所のレンタサイクル地域別利用者数(人)
町内 県内 近畿 近畿以外
2011年6月 0 10 13 5 28
5月 1 6 9 5 21
4月 1 4 13 8 26
3月 1 9 6 4 20
2月 0 7 8 5 20
1月 0 9 3 2 14
2010年12月 0 2 15 0 17
総数 3(2.1%) 47(32.2%) 67(45.9%) 29(19.9%) 146
 観光客の地域が分かる同案内所のレンタサイクル利用者の記録を見ると、10年12月から11年6月までの直近7カ月の利用者総数は146人で、最も多いのは近畿(本県除く)で67人(45.9%)。あとに県内(同町除く)の47人(32.2%)が続き、首都圏など近畿以外は29人(19.9%)で2割を占めた。
 近畿以外からの観光客の増加は、10年に開かれた平城遷都1300年祭で顕著になった。首都圏のほかには愛知県が目立つ。こうした地域の観光客は、テーマを絞って訪れるのが特徴という。
町家に掲げられた古い看板
年号が刻まれた町家の屋根瓦(左側面
に文字)
 同町には、弥生時代の環濠(かんごう)集落の唐古・鍵遺跡や、古事記を編集した太安万侶ゆかりの多神社、古代鏡作の中心地とされる鏡作神社など、全国に知られる史跡があるが、最近はこれらに加え、町並みや能ゆかりの地が目的になっている。
 田原本は江戸時代、領主平野氏の下で発展し、大和の大阪と呼ばれた。近鉄田原本駅前にその面影を残す町並みが広がっている。明治半ばに関西線ができるまで大和川水運の船着き場があり、栄えたという。町家の多くは、それまでに蓄えた富で明治から昭和初めにかけて建て替えられたもの。町家に交じって信用金庫や医院などの近代建築も残る。
 かつて事務用品店や薬局、食堂だった建物には当時の看板が今も掲げてあり、古い町並みと相まって「味わいがある」と観光客に好評という。
 また、町家の屋根には、屋根をふいた年号やお経の一部などを刻んだ瓦が多く見られる。奈良盆地一帯に共通するものだが、田原本にはよく残っているという。調査のため訪れた人たちが双眼鏡を手に散策する姿を見かけることもある。
 田原本は能の古里とされる。世阿弥修行の地・補厳寺や金春流発祥の地・秦楽寺があり、能の面が降ってきたとの伝えが残る地もある。平家の公達をかたどった十六面が降ってきたと伝えられる場所は、そのまま「十六面(じゅうろくせん)」が地名になっている。こうしたゆかりの地を巡る人たちがここ1、2年いるという。
 観光客が残していった感想では「これだけの町並みをよく残している」「何でもっとPRしないのか」「東京なら一級の観光地になる」など、町並みを評価する声がよく聞かれるという。また、田原本を訪れる人たちは明日香、桜井、吉野などへの観光を組み合わせていることが多いという。
 町観光協会事務局長の二十軒起夫さんは「訪れるのはマニアックなファン、歴史好きな人たち、奈良市の東大寺など有名観光地を卒業した人たち。一方、住みにくいなどの理由でこれまで町の人はその良さに気付いてこなかったが、最近は段々気付いてきた。奈良県にはいろんな町があるが、古代から近代までそろっている所はありそうでない。どの部分をアピールしたら良いのか迷う。今後は能ゆかりの地の案内板なども必要だ」と話している。
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