歴史的町並みが残る宇陀市松山地区に、築165年の町家に移り住んだ夫婦がいる。文化財修復家の田川新一朗さん(36)と地方公務員の陽子さん(35)。傷みが激しい建物の修理との格闘で町家への愛着を深め、町並みとともに残る地域の緊密なつながりの中で暮らすことで、そのありがたさも知った。将来は「町家のままでも、これだけ今どきの生活ができるという手本にしたい」と考えている。
松山地区は、南北朝時代から戦国時代にかけて形成された城下町が始まりで、商家町として発展した。江戸時代後期から明治時代にかけての町並みが残る。2006年7月、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
夫婦が住む町家の敷地は、約640平方メートルと広大。12メートル弱の間口に対し、奥行きは62メートルに及ぶ。約175平方メートルの主屋を中心に蔵、離れ、化粧部屋、中庭、畑などがある。主屋は木造つし2階建てで、松山地区の典型的な町家という。床の間に据えられた、火難よけなどの祈?(きとう)札に弘化3(1846)年10月とあることから、この時期が建築年と考えられるという。
江戸時代は薬屋、大正時代から戦前までは和洋菓子を扱い、昭和初期から平成初めまでは時計・眼鏡の販売・修理をしていたという。
岡山県倉敷市出身の陽子さんは、大学在学中に日本建築に興味を持ち、古い建物に住みたいと思うようになったという。東京の大学院で文化財保存学を学び、就職で宇陀市(当時は大宇陀町)に移り住む際、空いている町家を借りたいと考えたが、貸してくれる人がいなかった。松山地区内の賃貸住宅に住みながら、根気よく地元の人に尋ね、4年目に今の町家が見つかった。購入し、06年12月に入居した。大学院で同級生だった長崎市出身の新一朗さんも1年半近く後、結婚を機に入居した。
陽子さんが入居した当時、ほとんどの建物は傷みがひどく、主屋は雨漏りがして、床を張り替えなければならない状態だった。直前までお年寄りの女性が一人暮らしをしていたが、化粧部屋で生活していたという。
建物の修理のうち主屋は、市が松山地区の町家を対象に設けている補助金を利用する予定で、これで建物正面などの外観を戦前の伝統的な町家の姿に戻し、軸組みの補修や補強などを行う。一方、建物内部は今の生活に合うよう考えている。畳の一部をフローリングに変えたり、土間にまきストーブを置いたりして、自分たちなりの暮らしを楽しむ計画を練っている。車庫は主屋正面の一部に組み入れる。建物を道路から後退させなくても確保が可能だ。
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中庭を前に立つ田川さん夫婦 |
現在、主屋を修理する間の生活場所となる離れの修理を進めている。費用を抑えるため、素人でもできる大工仕事は夫婦でやっている。壁土作りや壁の下地を竹で編む作業、床下の防腐剤塗りなどで、休日のほか、勤めを終えた後、夜間に照明を使って作業することもあるという。友人たちの手も借りた。
伝統的な家屋は再利用できる建材もあり、はがした壁土は再度、水とわらを加えてこね、使っている。近所で取り壊された家の壁土も譲ってもらった。使えなくなった畳もそのまま捨てず、床の部分をほぐしてわらを取り出し、壁土に利用した。新一朗さんは、環境への負荷の点で、古い建物を壊して廃棄し、新築する現代の住宅との違いを実感している。
修理に当たっては、細部にもこだわる。離れの屋根の棟部分を元と同じ青海波(せいがいは)と呼ばれるふき方にするため、納得のいく瓦を探した。職人を伴い、三州瓦の産地、愛知県高浜市まで工場見学に出かけた。窓ガラスが必要になったときも、市販のアルミ製建具で済ませず、近所で要らなくなった木製建具を探し、譲ってもらうなどした。
町家に住んで良かったと思えることの一つに、「緊密なコミュニティーで暮らすことのありがたさ」があるという。庭で採れたウメやタケノコは、食べきれない分を近所に配る。同様に近所の人からも季節の野菜のお裾分けがある。町内安全を祈願したお札を納めた「館」を、町内会の住民が4カ月交代で預かる講の風習が残っていて、交代のときに集まって開く宴会は、親睦と情報交換の場になる。こうした近所付き合いが、困ったときの助け合いにつながるという。
陽子さんは町家暮らしを始めて、「親が子供時代に経験している暮らし方とつながったように思える」という。住まいの手入れ方法など教わることも多い。不便を解決するため知恵を絞ることも楽しい。
畑だった裏庭は自然空間。宇陀川に面していて、竹やぶウメ、カキの木がある。夏はホタルが美しい。自分たちで植えた訳ではないが、ミツバやユキノシタは食料になったりする。
新一朗さんは、費用の点でも町家は優れているとする。「住宅メーカーのものより質感や造り、材料が良く、健全な状態なら大変長持ちするから、最終的にコストパフォーマンスが良い。現に築165年でもまだ住める」と説明する。
町家暮らしを始めたいと考えている人が増えている。田川さん夫婦は助言として、「松山ではまだ、強い思いと覚悟がないと、町家に入居することができない。家や生活のことをあれこれ考えるのが面倒な人には向かない。しばらくこの地区のどこかで住まいを持ち、地域との相性を見ることを勧めたい」とする。ポイントは地域の人とともに暮らせる人であることといい、これらは他の町で町家を探す場合も同様という。(浅野善一)