太平洋戦争の敗戦直前、特攻機を飛ばす命令などを出す戦闘指令所として建設された香芝市穴虫の屯鶴峯(どんづるぼう)地下壕(ごう)で12日、NPO法人屯鶴峯地下壕を考える会(楠本雅章理事長)が見学会を開き、市民ら35人が参加した。本土決戦が現実のものになるという旧陸軍の想定の下、二等兵らが手作業の重労働で掘削した2キロの地下トンネル。国内でも屈指の戦跡だが、風化する懸念があるとして、同NPOは保存を訴えている。
地下壕は、大阪府境の金剛山地、奇勝としてしられる屯鶴峯(県指定天然記念物)の地下にある。小学校教諭の田中正志さんが案内し、くっきりと残るつるはしの掘削個所やダイナマイトを仕掛けた穴など、生々しい痕跡を解説した。田中さんらが元将校に行った聞き取り調査によると、300人が手掘りの労働に従事し、うち100人は徴兵された朝鮮人だったという。1945年の6月に着工したが、2カ月後に終戦となった。
元は香芝町(現・香芝市)の町有財産だった。しかし約30年前、町立体育館の建設に伴い、地方交付税を多く得ようと基準財政需要額などを過大に算定し、違法な超過分の返還を国に求められ、町は資金繰りに苦慮して屯鶴峯を民間企業に売ってしまった。同NPOは地下壕の調査に携わった人々らで作り、見学は94年から毎年、行っている。
楠本理事長は「地下壕の表面によっては触れるだけでパラパラとはがれ落ちてくる。大きな落石もあり、風化してきた。何より、この戦争が次第に忘れられ、人々の記憶が風化していく。屯鶴峯は戦争の悲惨さ、残酷さを伝えるものであり、どうしても残したい」と保存を訴えた。