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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一
ジャーナリスト浅野詠子

関西広域)近代関西人形劇の草分け、彫刻家浅野孟府の人形 滋賀の人形劇図書館が保存へ

彫刻家浅野孟府のこしたらえた人形を手にする潟見英明さん=滋賀県大津市坂本の「人形劇の図書館」

彫刻家浅野孟府のこしたらえた人形を手にする潟見英明さん=滋賀県大津市坂本の「人形劇の図書館」

 大正期の新興美術運動で活躍した彫刻家浅野孟府(1900~84年)が70年以上前に制作し、大阪府高槻市内の民家で大切に守られていた手遣いの人形が、滋賀県大津市坂本の私設の「人形劇の図書館」=館長潟見英明さん(68)=で保存されることが決まり、このほど同館に搬入された。

 孟府は、二科会彫刻部の草創期に20代で入選。1921年、大阪本町橋東詰(現・大阪市中央区)の織物商組合で開かれた第2回未来派美術展覧会において、未来派展首唱者、奈良市北市町出身の洋画家普門暁と共に出品した。戦後の代表作「大阪の女」(1972年)は大阪府大東市青年会議所が制作を依頼。きっかけは「君たちの地元にこんな彫刻家がいる」と、東大寺の元別当・故狭川明俊氏から会議所メンバーが聞いたことによる。

 日本の近代人形劇の起こりは大正時代とされる。当時の美術家たちはいろいろなジャンルの芸術に挑んでおり、孟府も昭和の初めから「三つの願い」(小山内薫原作)の糸つり人形などを作り、自ら演じた。孟府が1930年に参画した「トンボ座」(国田弥之輔主宰)の大阪市内での上演が、近代関西人形劇の草分け的存在といえる。

 孟府がその後、活動の拠点にした人形劇団「大阪人形座」の同僚には、東宝映画「ゴジラ」の怪獣を造形した利光貞三がいる。利光は、大東市野崎の孟府アトリエ兼自宅に彫刻を習いに来ていた。戦後は、下着デザイナーの鴨居羊子が孟府作の人形の熱烈な愛蔵者の一人だった。

 多くの作品は散逸したが、大阪府吹田市出口町にあった人形芝居「出口座」の舞台裏倉庫に、洋菓子の缶に入った状態で2体が保管され、孟府作を告げる紙片が一緒に入っていた。「出口座」を主宰した大正生まれの阪本一房さんは、近代大阪の人形劇の歩みを丹念に追いかけ、1960年に「大阪人形座の記録」を刊行した人物。このころ、孟府方の納屋に眠っていた当人作の人形を寄贈されて喜び、芝居小屋の入り口に飾っていた。

 「出口座」は2000年に解散し、翌年、阪本さんは元団員で高槻市寿町の山下恵子さん(63)に「出口座」の人形約50体と共に、孟府の人形2体を預け、ほどなく没した。以来16年にわたり、山下さんは防虫管理などをして自宅で守っていた。

 専門家のいる施設で孟府の人形が保存されることを山下さんは願い、江戸糸操り人形遣いの担い手に相談したところ、滋賀で「人形劇の図書館」を運営する潟見さんを紹介され、10月、同館の収蔵が実現した。

 孟府の人形は、日本民話に登場するような「じいさま」「ばあさま」の2体。「文福茶釜かスズメのお宿などの演目に使われたのでは」と山下さん。体長は35センチ。損傷がひどく、「ばあさま」は頭の一部などがかろうじて残るだけだ。潟見さんによると、文楽人形と同じ構造をしており、からくりで目玉が動く。粘土に似た樹脂を素材に油絵の具を施して彩色され、戦後まもないころの作である可能性が高いという。

 「人形劇の図書館」は人形劇専門の図書館で、1万冊以上の蔵書のほか江戸初期の人形を含む内外数万点の資料があり、「人形劇トロッコ」が1991年から運営。館長の潟見さんは人形劇を演じて半世紀近い。保存することになった孟府の人形について「さすがに彫刻家といわれた人だけあってカシラに趣きがある。普通の人形師ではこれだけの造形力は出せない。傷みがひどいので、これ以上壊れないためにはどうするのが肝要だ」と話している。【関連記事へ】

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