白水庵の庵主、安田さん逝く 奈良盆地最後の民家本格庭園守る
安田さんが守ってきた白水庵=「奈良の平日 誰も知らない深いまち」(浅野詠子、講談社)から、撮影も筆者
奈良盆地に残る最後の民家の本格庭園の1つと評される奈良市南新町の白水庵を40年間、守ってきた庵主、安田信司さんが今年8月、亡くなっていたことが分かった。
安田さんは昭和初年の生まれ。白水庵は安田さんの父、実業家の安田新太郎(1888~1978年)が戦後、整備し、父の没後は安田さんが独力で守り、見学を希望する人があれば気さくに案内した。
庭園は約2600平方メートル。土地は春日大社の社領と伝わり、江戸期は庄屋の屋敷があったという。太平洋戦争後の農地解放により、売りに出され、安田家の所有になった。池に浮かぶ茶室は、名刹(めいさつ)の修復時に出た古材などを利用して建築され、庭園は重森三玲が監修した。
安田さんによると、父新太郎の時代は多くの文化人が訪れた。近衛文麿の実弟で玄人はだしの絵を描いた春日大社元宮司の水谷川忠麿、陶芸家の小山富士夫、関西随一の腕といわれた大和郡山市の指物師・川崎幽玄ら枚挙にいとまがない。
庭園の池は、元は農業用のため池で、春日山原始林から流れ出た湧き水が入り込んでいたという。戦後間もないころ「屋敷の近辺に美しい小川が縦横に流れていた」と安田さんは懐かしそうに話していた。
樹齢300年といわれるイチョウの大木がある。奈良奉行は防火のために植樹を奨励したという。安田さんは「イチョウはたくさんの水を含んで、火にあおられるとぱぁーんとはじけて水を出すそうですな」と解説した。
周囲の宅地化はどんどん進んだ。落ち葉をたいて焼き芋をしながらゆらゆら立ち上る煙を見つめていると「苦情が来た」と安田さんは少し寂しそうな顔をして話した。
街歩きガイドの団体、大阪あそ歩の理事、松下和史さんは、白水庵への散策コースを高く評価した。「住宅地の中にあって、道路からはまったく分からず、入って突然現れる庭園に圧倒された。安田さんは丁寧に説明してくださった。保存されることを願っています」と話す。