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拠点・奈良県大和郡山市 運営者・浅野善一

二上山に戦跡 八尾の大西さん著書で紹介

旧陸軍大正飛行場を調査した「日常の中の戦争遺跡」

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2012年8月30日 浅野詠子
二上山にあった監視哨の当時の写真。大西進さんの著書「日常の中
の戦争遺跡」(アットワークス刊)から

 9年間で250人に計約1000回の聞き取りをし、旧陸軍大正飛行場にまつわる戦跡の全容をまとめた元会社員、大西進さん(71)=大阪府八尾市黒谷=の著書「日常の中の戦争遺跡」(アットワークス刊)が出版され、地元大阪などで話題になっているが、本書には、万葉集の歌枕として知られる二上山(奈良県葛城市の大阪府境)に太平洋戦争中に存在した防空監視施設の詳しい調査記録が収録された。

 雌岳山頂にあった監視哨(しょう)。大西さんは、元隊員や地元住民らに聞き取り調査をし、B29が来襲する紀伊水道方面などを、青年隊員が望遠鏡や双眼鏡で絶えず監視していた史実を掘り起こした。30人の隊員がいて、現在の香芝市、大阪府羽曳野市、太子町などの18―20歳くらいの男子が担った。敵味方の機種を判別する技能など、特殊な訓練を受け、上空に豆粒大のものを確認しては随時、大阪府の防空本部に直接回線で報告し、すぐに中部軍司令部に伝達されたという。

 監視哨は1943年12月に完成し、進入道路の整備は竹之内街道(国道166号)周辺の古道などを広げた。工事は在郷軍人や住民らが多数動員されたという。爆音を聞くための聴音壕(ごう)や通信室などがあり、施設は、府県知事が設置し、警察が管轄していた。

 聞き取りを通し、「奈良県側の屯鶴峯の上をグラマン機が東から西へ飛び、田んぼで仕事をしていた人を機銃掃射するのを目撃した」などの生々しい証言も得られ、収録した。現在、山頂に施設の痕跡はなく、万葉の森の日時計が建立されている。監視哨は、目視可能な全国の空域に設置されたが、空襲による甚大な惨状の背後にあって「語り伝わることの少ない戦争遺跡」という。

 大西さんは近鉄の元社員で、主に宅地開発に従事した。実父は第2次世界大戦中ニューギニアで戦死。これまで八尾市内を中心とする戦争遺跡の調査に取り組み、郷土雑誌に少しずつ寄稿していたが、研究者らの目にとまり、今回の刊行となった。

 「伝聞や記録も残らない出来事は、存在しなかったも同然で、後世に伝わることはない」と大西さんは話し、風化する各地の戦跡の保存を呼び掛けている。

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