奈良県:奈良市西ふれあい広場問題 当時の計画の詳細判明 敷地分断する都市計画道路、北に迂回させ進入路に

2013年8月5日 浅野善一
↑96年3月の西ふれあい広場基本計画にある完成予想図。右側の道路が都市計画道路一条富雄線、左側は富雄団地
↑94年3月の基本計画。当初、一条富雄線は広場を東西に縦断し、敷地を南北に分断していた。広場への進入路は左端の阪奈道路などからのルートが検討されていた
↑96年3月の基本計画にある広場平面図。一条富雄線のルートが見直され、北側を迂回している。広場北側の真ん中あたりに同線からの入り口がある。左端は阪奈道路、その右隣の四角い区画がテニスクラブ

 奈良市土地開発公社(2013年3月解散)の巨額負債の原因の一つとなった、19年前の市の「西ふれあい広場」計画について詳細が不明とされていた問題で、このほど市の資材倉庫から見つかった当時の基本計画などの関係文書を記者が開示請求したところ、敷地を分断している都市計画道路を北に迂回(うかい)させ、同広場への進入路とする計画だったことなどが分かった。

接続道路ない土地取得、計画変遷

 市が公社に取得させた同市二名7丁目の同広場予定地山林はもともと道路が接続しておらず、明らかになった基本計画は進入路をどこに設けるかで変遷していた。一方、同土地の取得をめぐっては、必要性のない土地を所有者個人の便宜を図るため高額で買い取ったとの指摘がある。市議などの関与も指摘されている。

 開示を受けたのは、94年3月の西ふれあい基本計画業務委託報告書や96年3月の同広場基本計画業務委託検討書など。

 94年3月にまとめられた当初の基本計画は、「西ふれあい広場」を自然林を生かして障害者と健常者が触れ合える多目的な公園と位置付け、約9万5000平方メートルの敷地に福祉センターや芝生広場、体育館、ゲートボール場、野球場、アスレチック広場、水辺の広場などを整備するとした。

 進入路については、西側に阪奈道路からのルートと富雄団地からのルートの二つを設けることが検討されていた。「私道を一部使用することと仮定する」との記述があったが、それ以上の記述はなく、詳細は不明。また、同広場より以前に計画された都市計画道路一条富雄線が敷地を東西に縦断しているため、道路が完成すれば南北に分断されることになる公園は、歩道橋で結ぶとしていた。

 しかし、市は2年後の96年3月、一条富雄線の公園敷地区間のルートを見直す基本計画をまとめた。ルートの見直し案は3つあり、いずれも西側にある民間のテニスクラブを避けるようにした点が共通していた。採用したのは同広場北側を迂回するルートだった。同ルートでは敷地の分断は解消された。また、進入路は当初の阪奈道路と富雄団地からの2ルートをやめて、一条富雄線を利用することにした。

 一条富雄線は66年に県が都市計画決定した。県地域デザイン推進課によると、主要区間は幅16メートルで2車線の計画だが、現在まで全線未着手で着手の予定もない。都市計画道路は、県が都市計画決定しても、実際の事業は通常、地元市町村が担うという。都市計画決定後でもルートの変更は可能だが、同線のルート見直しは当時、市単独の案の段階で、県と協議するところまでは至らなかった。計画はその後、市が土地買い戻しの予算手当をできず、頓挫した。

 市公園緑地課によると、進入路の設置をめぐっては、時期は不明だが、必要となる土地の所有者の協力を得られなかったという話もある。

 96年3月の基本計画に一条富雄線のルート見直しの理由は記されていない。花木幸治・市公園緑地課長は「当時のことは分からないが、公園の真ん中を都市計画道路が縦断していることから、これではあかんと見直したのではないかと想像はできる」としている。

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