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拠点・奈良県大和郡山市 運営者・浅野善一

奈良県奈良市 塩漬け「西ふれあい広場」用地 唯一の計画図、作成日不明

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2013年3月25日 浅野善一
作成日が不明な「西ふれあい広場建設事業基本計画平面図」

 奈良県の奈良市土地開発公社が保有していた塩漬け土地の一つ、同市二名7丁目の西ふれあい広場建設事業用地について、唯一計画を示す資料として保存されている平面図の作成日が不明であることが、市への取材で分かった。また、通常、併せて作成される断面図や各施設の詳細図が存在しないことも分かった。同計画をめぐっては、土地の買い取りありきで進められた可能性があるとの指摘がある。

 場所は、阪奈道路や都市再生機構富雄団地の北側に隣接する山林。

 計画のきっかけは、1991年、市内の住民が障害者福祉に役立ててほしいとの名目で市に寄付した約2000平方メートルの土地。これを機に、同広場の建設が計画され、市は1994年から2000年にかけ、公社に、男性やその親族らから、周辺の山林など約4万8000平方メートルを約18億円で先行取得させた。しかし、道路が接続していないという問題点を抱えていた上、他の公園整備事業との優先順位もあり、計画は進まなかった。

 作成日が不明なのは「(仮称)西ふれあい広場基本計画平面図」。A4判の紙に福祉施設や体育館、ふれあい広場、多目的グラウンド、ゲートボール場、アスレチック広場、水辺の広場、駐車場などの施設の配置が示されているが、作成日が分かる記載はない。市公園緑地課によると、図面を業者に作成させた際の業務委託や契約に関する文書など、作成日を確認できるものは存在しないという。前任者からの口頭による引き継ぎで、1995、96年度ごろの作成とされているだけだ。

 また、断面図や各施設の詳細図についても「業者に設計を委託すれば、普通は作るもの。あってしかるべき」とするが、現時点では当初に存在したかどうかも不明という。市文書取扱規程は、「工事施工に関する文書」などの標準的保存期間を5年としている。

 広場用地の取得をめぐっては、2011年3月、市が設けた第三者委員会、市土地開発公社経営検討委員会が公社の塩漬け土地についてまとめた報告書が、不透明さを指摘している。必要性のない土地を特定の個人の便宜を図る趣旨で高額で取得した疑いがあるというもので、取得に当たっては、地元市議から市に対し、男性が相続税支払いの負担を抱えているので土地を買ってやってくれ、といった趣旨の口利きがあったとしている。

 接続する道路がないという問題点については、公園緑地課は「進入路となる用地の地権者から売買についてそれなりの合意を得ていた、と聞いている。交渉は広場用地の取得と並行して進められていた」とする。しかし、結果的に価格が折り合わず、譲ってもらえるめどがなくなったという。ただ、そうした交渉の記録は残っていないという。

 基本計画平面図では、県が都市計画決定した道路、一条富雄線のルートが変更されている。同線は用地を東西に縦断しているが、図面上では北に迂回(うかい)させている。公園緑地課によると、ルートの変更は法的に可能だが、手続きを進めようとしたような記録は残っていないという。

当時の市上層部に西ふれあい広場の土地取得の経緯を聞く

(2011年11月取材)

◇大川靖則元市長 土地の寄付の申し出があり、道路を付けて運動公園をつくってほしいと自治会から依頼があったと思う。進入路に関しては都市計画道路の計画があったように思う。(職員時代から)福祉をやってきたから、それはいいということで取り組んだ。市議の圧力は記憶にない。市議の言うことを私は絶対に聞かなかった。もし人事を頼んできたら、逆の方向にと、職員にやかましく言っていた。(口利きした人物としてうわさに上っている元市議の名を自ら挙げ)○○さんは関係ない。土地の取得は土地開発公社の理事長がやっていた。私は決裁しただけ。

◇土地開発公社理事長を兼務していた桐木弘元助役(故人) 中身の記憶はない。私が直接的に扱っていたわけではない。仕事をしているのは担当の職員。職員を信用していた。市長から土地取得の依頼があったことはない。市議からの圧力も聞いたことがない。土地の取得は担当課と打ち合わせをして決める。私には書類として上がってくるだけ。

◇1994、95年度当時の都市計画部長 土地取得の経緯は知らない。当時の市長、助役に聞いてくれ。決定できる立場の人間は市長、助役しかいない。

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