奈良県:県内の戦争遺跡、掘り起こし写真展 桜井の西田さん、10月12~14日
太平洋戦争と関わりのある奈良県内の戦争遺跡を掘り起こし、写真で記録している桜井市阿部の会社員、西田敦さん(50)の写真展「歴史の歯車―奈良・戦災の記憶」が10月12~14日、同市川合の喫茶店「マジック×マレット」で開かれる。本県が戦災や戦争の遂行と無縁でなかったことを示す痕跡をたどる。
西田さんは岐阜市の出身。小学生のとき、奈良の写真家入江泰吉さん(1905~92年)の写真を見て奈良に憧れ、大学卒業後、奈良に移り住んだ。
写真は高校生のときに始めた。社会人になってからも風景写真を撮り続けていた。県内の山や田んぼで撮影していると、お年寄りが話しかけてきて、少なからず戦争の話をする。空襲警報で畑の中を逃げた話、天理の軍事施設の飛行場建設の作業に駆り出された話など、2時間、3時間と付き合った。帰り道、聞いた苦労話を思い出して涙がこぼれることもあった。
飛行場跡、防空壕(ごう)、地下壕、満州に行って亡くなった人の碑など、話を聞き、図書館で調べるなどした。そうした場所は、憧れた奈良の風景に隠れるように多く残っていたという。記録に残したいと2004年、写真に撮り始めた。戦後60年に当たる05年、最初の写真展を開いた。08年、写真集「大和からもうひとつ伝えたいこと。―奈良・戦災の記憶―」も出した。
今回は3回目。展示数は53点で、いずれもモノクロ写真。展示は「空襲」「疎開」「満州開拓」「供出」「紀元二千六百年記念」などの分野に分ける。「満田空襲・焼夷弾と機銃弾」はB29の爆撃を受けた田原本町の集落から見つかった焼夷弾と機銃弾、「大阪からの集団疎開」は奈良市の魚佐旅館に滞在した御幸森国民学校の子どもたちの集合写真。
このほか、大阪空襲の被災者や大陸からの引き揚げ者が一時住んだ奈良市の北山十八間戸(国史跡、鎌倉時代)など、戦後の戦争の痕跡も加えた。空襲で焼けた奈良市法蓮町の民家の軒下の写真は、住人のお年寄りから「建物を取り壊す前に」と乞われて撮った。展示写真の半分は前回の展示以降に撮った写真。
西田さんは、古都を空襲から守ったとされるウォーナー博士に対する恩人説が定着し、奈良には空襲の影響がなかったように言われていることに異議がある。展示写真にも法隆寺などに設置されている博士の記念碑があるが、「実際、空襲はあったし、空襲やその数だけで戦災は語られるべきではない」というのが記録を続ける動機でもある。
西田さんがこれまでに撮った戦争遺跡は約200カ所に上る。一方で戦争体験者の数が減り、聞き取りは難しくなっているという。撮影後、なくなってしまった戦争遺跡もある。西田さんは「政治家が戦争を知らない。中国や韓国との間で歴史認識が食い違っている。認識を一致させないと、対立は深まるばかり。今のうちに過去の戦争の歴史を振り返っておかないと、同じことを繰り返すのではないか」。写真展開催の背景にはそうした危機感もある。
会場の営業時間は午前11時~午後6時、問い合わせは電話0744(43)2226。