コラム)「知る権利ネットワーク関西」に託す/政治と憲法の風景・川上文雄…19
筆者のアートコレクションより藤橋貴之(ふじはし・たかし 1963年生まれ)「べネチアのゴンドラ」。作者は京都府在住、新明塾工房ソラ所属。貼り絵のように見えるのは、色が混じらない色鉛筆で描いているから。170色から選ぶ
「知る権利ネットワーク関西」は1988年に発足、情報公開制度の充実をめざして活動する団体です。情報は私たちの生活・命を支える水のようなもの。政治・行政において良質で十分な量の水が主権者である住民に届くことが必要で、そのために不可欠なのが情報公開制度の充実です。この団体の最新の活動について、代表の神野武美さんが本コラム「読者との対話」欄に文章を寄せてくれました。
それによると、神野さんたちは「情報公開制度の改正を掲げて闘う政治家がいないことが日本衰退の原因である」という強い思いから、つぎの衆院選・大阪府の小選挙区の立候補予定者に対してアンケートを発送「知る権利の明記」「インカメラ制度(裁判官が非開示文書を直接見ることができる)の導入」「公文書の改ざんや廃棄への罰則の適用」などについて考えを明らかにするよう求めています。
神野さんの投稿に触発されて、今回は「知る権利ネットワーク関西」について書きます。3点あります。(1)情報開示請求など団体の活動に積極的に参加する会員はどのような存在なのか。地方議会議員と比較する (2)筆者は会費を払うだけの会員。そのような会員は、選挙で1票投じる行為に準じた政治参加をしているということ(3)テレビ・新聞の大手メディアからは得られない情報を発信する「独立メディア」として期待していること。
自分で自分を任命
行政をチェックする点で、地方議会の議員も神野さんたちも同じ。一方は主として議会活動をつうじて行政のチェックをする、他方は情報公開制度の枠内で行政のチェックをする(ただし、議会・議員のチェックもする)。神野さんたちが議員と違うのは、選挙で獲得した議員という資格によるのではなく、自分で自分をその仕事に任命するということです。
選挙を経ないからといって、活動の重要性が減るものではありません。地方自治の根本原理・価値を十分に自覚したうえでの「自己任命」、そしていろいろな活動。日本国憲法の「前文」にある「国政は国民の厳粛な信託によるものであって…」を「地方自治は地域住民の厳粛な信託によるものであって…」と読み替えてみる。神野さんたちは「厳粛な信託があると推定して、それに応えたい」と思っている。筆者はそのように推察します。
選挙という住民からの明確な意思表示はないので、「住民の代表である」とは言えないけれど、議員に準じる位置づけをしてよいのではないでしょうか。いや、「住民の代表」といいながらごく一部の支持者の利益を優先する議員と比べれば、情報公開制度の充実をめざす人たちは、特定の誰の利益をめざすのでもない、まさに政治・行政全体のあるべきかたちを追求しているのですから、議員に「準じる」という位置づけでは不十分。「議員と並ぶ、独自の」存在というべきかもしれません。(ただし、基本はボランティアです。なお、神野さんたちは国政レベルの活動もしています)
会費を払う≒1票託す
「情報公開讃歌」(知る権利ネットワーク関西編、花伝社、2010年)に「何年かに一度の投票という受動的参加から自発的参加へ。情報公開はこの参加の第一歩である」(13ページ)とあります。神野さんたちは情報公開にかかわる活動への「自発的参加」者です。それに対して、筆者は会員歴2年、今のところ年会費3000円(1口)を払って毎月のニュースレターをもらうだけ。どのような位置づけになるのか。
会費を払うことは前掲書にある「何年かに一度の投票」に近い。つまり、会員になる・会費を払うことは、選挙の投票に似て、幾多の団体のなかからその団体(それを担う人たち)を選び、ささやかに1票投じるようなものです。もう1つの受動的参加といえなくもない。
とはいえ、自分の意志でそうするのだから、受動的ではなく自発的な面もある。選挙の投票だって、「権利だ」「いや義務だ」といっても基本はボランティア。投票してもしなくてもいいけれど、自分で決めて(自発的に)・自分の意志で投票する。1票「託す」、「信託」の行為です。「受動と自発」、2つはそう簡単に分けられません。
独立メディアとして期待
「メディア」には「中間に位置して2つの端をつなぐ」という意味があります。「知る権利ネットワーク関西」は住民と行政機関のあいだ(中間)に立って情報の流れをつくる活動をしているのでメディアであると言えます。主権者としての私たちに政治・行政について必要かつ十分な情報を提供すべきメディア。しかし、今のマスメディア、とくにNHKを筆頭に全国展開のテレビ局は十分な働きをしていない。それらから独立したメディアがぜひ必要である。それがこの団体に筆者が1票を託す理由です。
コラム冒頭で、情報を私たちの生活・命を支える水に例えました。水質がこれまでになく悪くなっています。新聞・テレビなどのメディアは政府(政権党の人たち)の広報機関であってはならない。それでは、政府にとって都合のいい情報が流れてくるだけ。
あるいは、菅首相が衆議院解散を模索していた時期の過度な「政局」報道。オリンピックのときは、過度なオリンピック報道。ほかの重要なニュースを伝える時間が激減しました。洪水のような大量の水。しかし政治が生きるのに必要な水の量は十分でない。神野さんの投稿にある「政治を政策論争を主題にしたものに取り戻すためのベースになるのが、情報公開制度とその運用」という言葉は、独立メディアの重要性を示唆しています。
会費を払っても物品が直接個人に(「ふるさと納税」の返礼品の感じで)届くことはありません。しかし、独立メディアとしての情報公開分野の団体がもたらす「福利」(憲法前文)は確かに存在していて、会費を払う人を含めてすべての人が享受できます。「政局報道」から直接得られる楽しみとは別のものです。
【追記】
「ニュース奈良の声」も地域の独立メディア。タイトルを含め今回のコラムに書いたことが、ほぼすべて当てはまります。
「会費を払う=1票投じる」について。「投票としての寄付 投資としての寄付」がサブタイトルになっている本があります。駒崎弘樹「『社会を変える』お金の使い方」(英治出版、2010年)。(おおむね月1回更新予定)
かわかみ・ふみお=客員コラムニスト、元奈良教育大学教員