コラム)「時の壁」を撤去する 強制不妊手術「原告勝訴」判決によせて/政治と憲法の風景・川上文雄…27
筆者の家の庭に咲いたムラサキツツジ、高さ約1.4メートル(2022年4月9日撮影)
旧優生保護法の下で不妊手術を強制された人たちが起こした国家賠償請求の訴訟。国家賠償法は、損害発生の時点から20年経過すると請求権は消滅するという除斥期間の規定(民法724条)を採用しています。これを厳密に適用されてしまうと、原告は全員が手術から20年以上過ぎているので、敗訴しかありません。そのような判決が全国の地方裁判所で続いてきました。越えがたい「時の壁」と言われる除斥期間20年。しかし、違憲の法律を根拠にして重大な人権侵害が意図的・積極的に推進された場合には、「時の壁」を撤去して国家賠償を認めるべきではないでしょうか。
国に賠償を命じる判決が今年2月に大阪高等裁判所で、3月に東京高等裁判所で言い渡されました。2つの判決は旧優生保護法を違憲としたうえで、根強い社会的偏見の存在など、原告が提訴を決断するまでの困難な事情を考慮し、除斥期間の計算方法を変更したのです。(東京高裁の計算方法は「追記」で詳説)
「時の壁を越えた」と評価できる高裁判決。しかし、計算方法を変えるのではなく「そもそも計算しない」「時の壁そのものを撤去」という考え方も可能です。重大な人権侵害をもたらす違憲の法律が絡む場合の国家責任、とくに国会の責任とは何かについて、基本に立ち返って考察します。国家賠償法の問題点についても取りあげます。
暴力容認の法律だった
旧優生保護法について確認しておきます。1948年施行のこの法律は、「特定の障害や疾患を持つ者が子をもうけて、不良な子孫の出生につながる」ことの防止を目的として(第1条)「精神病者又は精神薄弱者については本人の同意を必要としないで不妊手術をおこなえる」と規定していました(第3条)。差別的な条項は1996年の改正でやっと削除され、法律の名称も「母体保護法」に変わります。なお、改正の日付まで不正行為は続いていたとして、その日付を除斥期間計算の起点に採用しても、原告全員、提訴した時点で20年以上が過ぎています。
本人の同意なしで手術するのだから「強制」不妊手術です。いやがる本人の身体を拘束して(拉致して)手術室に入れるような強制の事例があったのか、筆者は知りませんが、さすがに法律は「そこまで強制して手術しろ」とは指示していない。とはいえ、「国法だから従うしかなかった」と弁解する医療関係者がいたような状況のなかでは、人の同意なしの手術は「強制」手術です。そして身体と精神への暴行です。
「信託違反」で国会に責任
国会が制定した法律によって重大な人権侵害が発生した。その場合に、個々の議員でなく国会全体はどのような弁解をするのか。たとえばつぎのようなことでしょうか。法律制定当時は社会全体として障害者差別についてはなはだ認識不足だった。当時の国会が違憲であると判断できなかったとしても不思議でない。だから差別の意図(故意)も過失(注意義務違反)もなかった。だから責任はない。
しかし、これは苦しい弁解です。「故意・過失」があったかどうかの判断が重要であるのは基本的に民法の領域、つまり私人と私人の争いの場合です。そうではなく、これは国民と国家(公権力)の争い。争点は、違憲の法律に基づく施策で生じた被害の救済です。東京高裁判決が言うように「憲法より下位規範の民法を適用して拒絶するのは慎重であるべき」です。
国会の責任は、民法を離れて無過失責任(厳格責任)で考えるべきです。この考え方は憲法「前文」から導かれます。「国民の厳粛な信託」を受けた国会。違憲立法は国民の信託に背く(あってはならない)行為であり、そのことに対して国会は国権の最高機関としての厳格な責任が課せられる。旧優生保護法のように、その法律が実際に重大な人権侵害行為を促進した場合は、国会の故意・過失の有無とは無関係に、つまり無過失でも、賠償責任がある。
さらに除斥期間の適用(計算)そのものを認めない。何年過ぎても、賠償請求権は消滅しない。殺人罪に時効がないのと同じで30年後だろうが40年後だろうが関係なし。加えて「賠償金は国庫から支出。議員個人は負担しなくていい」とします。以上2つと無過失責任の考えを組み合わせて国会の責任を問い、「時の壁」を撤去します。
なぜこの組み合わせなのか。国家賠償法を取りあげて説明します。
故意・過失に限定するのか
法律の1条1項に「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」とあります。これでは国会の無過失責任は問えません。
故意・過失でしか責任を問わないのであれば、除斥期間の規定が絶対に必要です。なぜなら、不法行為をめぐる権利関係を長く不確定の状態に置くと、その間に証拠資料が散逸し、加害者でない者が「故意も過失もない」と反証する手段を失って加害者とされるという事態を招くなどの問題が生じるからです。だから、被害者(原告)に固有の事情を配慮せず、画一的に20年と定めることには合理性がある。
以上の理由づけは、原告敗訴とした大阪地裁判決にも認められるものです。しかし、これは「除斥期間20年」の規定の趣旨を一般的に説明しただけにすぎません。憲法違反の法律が促進した人権侵害が裁判の争点である場合にはどうすべきか。東京高裁が真剣に向き合ったこの問題をまったく無視しています。
しかし、筆者が考えるように国会の無過失(厳格)責任を問えるのであれば、「証拠資料の散逸」など問題そのものが消滅します。問題は法律内容の違憲性です。「違憲法律である」という判断は制定後、何年過ぎようが、その時点での公正な判断は可能です。
無過失責任の考え方は、労働災害、公害、製造物の欠陥などに対する損害賠償の領域では、特別な法律が制定され取り入れられています。それに対して国家賠償法は、「故意・過失ではない」としても重大な人権侵害を促進した立法行為の責任を追及できなくしています。法律の不備が多くの原告を苦しめてきました。
強制不妊手術訴訟を担当する裁判官には、原告勝訴の判決をもって法的正義を実現することを期待します。法務大臣は最高裁判所への上告を取り下げるべきです。
【追記】
筆者は「時の壁を越えた」東京高裁判決を以下のように評価します。
(1) 「2019年4月24日以降5年以内に提訴すればよい」とした。この日付を示した理由は「優生手術の被害者に謝罪の意を示した一時金支給法が制定され、ようやく社会全体として手術が違憲だと明確に認識することが可能になった」日付だからとのこと。原告の個別事情を考慮するというよりも、社会全体のことに及んでいる点が注目に値する。またこれにより、大阪高裁判決よりも大きく「時の壁」を乗り越えることになり、救済される被害者の範囲が拡大された。
(2) ただし、この期間内に提訴しなければ、「手術後20年」の基準が適用されるとしている。これをたとえれば、凍結されていた「除斥期間20年」が解凍されて請求権が消滅するようなものかもしれない。
(3) なぜ2019年4月24日以降「5年」なのか。3年でも、10年でもないのか。長からず短からずの期間ではあるが、合理的な説明がむずかしいのではないか。全体として、計算方法を工夫したのであって、「時の壁」そのものの撤去ではない。
(4) しかし、筆者とは異なり、既存の法体系の枠のなかで判断する裁判官としては「除斥期間を計算せず」にかぎりなく近づいている。
(おおむね月1回更新予定)
かわかみ・ふみお=客員コラムニスト、元奈良教育大学教員