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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一
ジャーナリスト浅野詠子

関西広域)大阪社会運動顕彰塔、取り壊しへ 無名の反戦運動者らの氏名を刻み半世紀 彫刻家浅野孟府が設計

反戦、労働運動の語り部として歩み、取り壊しが計画されている大阪社会運動顕彰塔=大阪市中央区の大阪城公園

反戦、労働運動の語り部として歩み、取り壊しが計画されている大阪社会運動顕彰塔=大阪市中央区の大阪城公園

 戦前の思想統制下で弾圧を受けて獄死するなど、労働運動や反戦、人権活動の志半ばで他界した人々ら約1600人の名前を刻み、大阪市中央区の大阪城公園に1970年、建立された大阪社会運動顕彰塔が老朽化のため、2019年10月をめどに取り壊される。塔を管理する公益財団法人大阪社会運動協会(理事長・山崎弦一連合大阪会長)は、志を受け継ぐモニュメントを同じ敷地に2020年5月ごろ整備する方針だ。

 塔の建設は、1960年の大阪統一メーデー大会で決議され、10年がかりで労組や文化人らが募金を集めて実現した。自治体も助成した。有志でつくる建設委員会の事務局は、大阪市東成区南中浜町のOKタクシーの本社にあった。設計は、大阪府大東市野崎にアトリエを構えていた彫刻家の浅野孟府に依頼した。

 鉄筋コンクリート造りの半地下構造で、建築面積は400平方メートル、高さは7.5メートル。4本の柱は大衆の腕を表し、手のひらに自由、解放、平和、繁栄の理想をのせて構想された。基盤の床面には、大阪市電の敷石を使っている。

 塔建立の計画が浮上したころは、第2次世界大戦の記憶が人々の胸に鮮明だった。非業の死を遂げた無名の人物が少しずつ掘り起こされ、塔内部の銅版に刻まれていった。

 顕彰者事跡録によると、水平社運動で弾圧を受けた今西弥太郎さんは病苦と貧困のなかで1931年、30歳で死去したとある。プロレタリア詩人として大阪の詩誌に投稿していた鈴木泰吾さんはその7年後、中国山西省にて26歳で戦死。同年、反戦や女性解放運動の安賀君子さんは、治安維持法違反の容疑をかけられ京都府警の取り調べ中に階上から飛び降りて骨折、終戦2年前に宮津刑務所で獄死、37歳だった。

 戦後の活動家も多数、顕彰されている。郵政事業の無期限時間外労働拒否運動の先頭に立っていた元阿倍野郵便局員、29歳の帶刀勝美さんは1971年、交通事故で世を去った。

 国勢調査におけるプライバシー漏えいを告発し、密封封筒の要求運動を粘り強く続けた東大阪市の牧師、合田悟さん(1932~2008年)の名も刻まれた。在日外国人の音楽や踊りを公園で催す多文化共生行事の産みの親だった。

 大阪社会運動顕彰塔の建設委員会は当初、彫刻像を中心に建造物を覆う壮大な構想を持って孟府に設計を依頼。これを受けた孟府の原設計は「終生の力作」として発表され、注目されたが、まず予算面で後退した。また、物故者を祭祀(さいし)するような施設は都市公園法の理念にそぐわないと指摘され、孟府創案の原設計は大幅な変更を余儀なくされた。公的には格納庫として届け出た。

 顕彰塔を管理する関係者は「新しく建立するモニュメントの規模はかなり小さくなるが、塔を設計した彫刻家のデザインを継承したいという声も出ている」と話している。 関連記事へ

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