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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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浅野善一

奈良の朝鮮学校が創立50周年で記念誌出版 県民に「存在知って」願い込め

創立50周年を迎えた奈良朝鮮初中級学校=2020年10月26日、奈良県橿原市法花寺町

創立50周年を迎えた奈良朝鮮初中級学校=2020年10月26日、奈良県橿原市法花寺町

創立50周年記念誌「奈良の朝鮮学校」と編集長を務めた高元秀さん=2020年9月30日、奈良市内

創立50周年記念誌「奈良の朝鮮学校」と編集長を務めた高元秀さん=2020年9月30日、奈良市内

 奈良県橿原市法花寺町の在日朝鮮人の学校、奈良朝鮮初中級学校(現在は幼稚班のみの運営、小中学校に当たる初中級部は休校中)が創立50周年を迎え、その歩みをたどる記念誌「奈良の朝鮮学校」(ハンマウム出版社)が出版された。さまざまな困難を乗り越えて、学校を支えた人たちの奮闘の記録になっている。

 学校の創立50周年と、校舎建設や学校運営の中心にもなった在日本朝鮮奈良県商工会の結成50周年の記念事業の一つとして、両者でつくる「奈良50週年プロジェクト」が手掛けた。当時の記録や朝鮮新報の記事、関係者の証言などを基に歴史を掘り起こしていった。

 朝鮮学校について、ヘイトスピーチや高校無償化除外問題などのニュースを目にすることはあっても、成り立ちを知る機会は少ない。一校史でありながら、記念誌を関係者への配布にとどめず、出版という形で流通に乗せたのは、奈良に朝鮮学校があることを広く知ってもらい、地域住民や奈良県の人たちとの距離を縮めたいとの願いからという。

 朝鮮学校は、学校教育法上は各種学校に当たる。在日本朝鮮人総聯合会ホームページによると、幼稚班から初級、中級、高級学校、大学校まで全国に120余りの学校があり、朝鮮語をはじめ、朝鮮の歴史と地理、民族の文化と伝統などの民族課目教育に力を入れている。

 学校法人奈良朝鮮学園(金政基〈キム・ジョンギ〉理事長)奈良朝鮮初中級学校は奈良県で唯一の朝鮮学校。1969年4月、県内各地から、初級部の1~6学年71人、中級部の1~2学年22人の計93人を迎えて開校した。翌年9月には、約2900平方メートルの敷地に鉄筋コンクリート造り3階建ての校舎が完成した。

 記念誌は、奈良県に朝鮮人が住むようになった歴史的経緯の説明から始まる。明治以降、植民地労働力として日本に動員された朝鮮人は、県内にも足跡を残している。土木工事の事故を伝える当時の新聞記事から、朝鮮人が巻き込まれたものに注目するなどして、道路建設や鉄道敷設工事、ダム建設のほか紡績業や農林業の労働に従事していたことを明らかにした。

 朝鮮学校の出発点となったのは、終戦で日本の植民地支配が終わり、奪われた言葉を取り戻したいと設けられた寺子屋式のクゴ(国語=朝鮮語)講習所。奈良県では天理や桜井、五條などにあったとの記録があるという。

 在日本朝鮮人聯盟は結成翌年の1946年、講習所を初等学校へと整備再編し、さらに中・高の中等教育の体系を確立した。しかし、東西冷戦の進行で、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は1948年、朝鮮人学校閉鎖令を出し、奈良県では6校あった初等学校が閉鎖を強いられた。山口や大阪、神戸ではデモや集会などの反対運動も繰り広げられた。

 奈良県での学校再開の取り組みは、1956年の在日本朝鮮人総聯合会県本部の結成を機に動き出した。翌年、午後夜間学校として桜井市朝鮮人初級学校が開校した。午後夜間学校は、日本の小中学校に通う子供たちが放課後に集まって学ぶ場で、桜井を含め県内8カ所に設けられた。この役割を引き継ぎ、本格的に担う学校として奈良朝鮮初中級学校が誕生した。

 午後夜間学校の講師だった女性2人が記念誌の座談会で、当時の苦労を率直に語っている。2人は朝鮮中高級学校や高級学校を卒業してすぐ、夜間学校に「配置」された。夜間学校の子供たちは集まってくるのではなく、一人一人迎えに行った。奈良朝鮮初中級学校開設に向けた生徒募集では、「同胞」の家を毎晩、訪ね歩いたという。

 2人の元講師のうちの1人はやりがいを感じたことについて問われ、答えている。当時は差別も激しく、子供たちも何らかの問題を抱えていたという。「それが午後夜間学校に来ると、なにか安心したように過ごすんです」「そういう場所をつくってあげられてる、大事なことをしている、というのはありました」。

 校舎建設には1億1000万円を要した。建設委員会が組織され、在日本朝鮮奈良県商工会の役員たちが先頭に立って資金集めに奔走するなどした。ある商工会員は苦しい経営の中から巨額の寄付をした。お母さんたちはおかず代を少しずつ節約しながら貯めたお金を寄付して応えたという。

 学校は、生徒数が増加傾向にあった1990年、校舎の増改築も果たした。一方で、少子化や女子生徒に対するチマ・チョゴリ切り裂きなどの嫌がらせが国内で相次いだことと軌を一にして、90年代半ばから生徒数が減少。1999年、中級部が東大阪朝鮮中級学校に統合された。そして、2008年、財政難も加わって初級部が東大阪朝鮮初級学校と統合、休校した。

 各種学校の扱いになる朝鮮学校は財政上の問題が常に付きまとった。行政からの補助を十分に受けられない一方で、生徒の負担を考えて授業料を引き上げることもできない。「北朝鮮バッシング」も影を落とした。

 転換点になったのは、学校再開に向けて機運を盛り上げようと、在日本朝鮮奈良県青年商工会の提案で2012年6月に開催された同窓会。これを弾みに、学校は、日本の学校や朝鮮学校に通う「同胞児童」を対象とした土曜児童教室を開講した。学校再開への具体的取り組みとして、まずは幼稚班の復活を目標とした。子供を通わせる保護者の不安を取り除くことを課題に据えながら、2014年4月、開園にこぎ着けた。現在、4人の園児が通う。

 記念誌はこのほか、学校での子供たちの表情を伝える写真も多数掲載。また、戦前の在日朝鮮人と奈良の歴史的関りを取材した巻末の資料も充実している。

 同校の元美術教師で記念誌制作の編集長を務めた高元秀(コ・ウォンス)さん(58)は「高校無償化や幼稚園補助対象からの除外で差別を受けている。嫌なら国へ帰れという人もいるが、同化するのか、帰化するのか、どちらでもない。ここで生き続ける意思も権利もある。私たちのことを知ってもらうことが多文化共生を深める。簡単ではないが手を取り合って生きていきたい」と記念誌に込めた思いを話す。

 全国の朝鮮学校で校史を出版化するのは初めてという。記念誌は県内の各自治体、図書館・公民館、高校に送る予定。

 記念誌はA4判、160ページ、2000円(税込み、送料別)。購入は専用フォームのhttps://bit.ly/34jiumvにアクセスするか、または通販サイトのアマゾンで「奈良の朝鮮学校」を検索。

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