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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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ジャーナリスト浅野詠子

旧陸軍省の戦意高揚絵画集、生駒の田中さん画家の目で語る 「戦況悪化、国民に知らされずむごい」 8月22日の市民集会で(延期)

義父の遺品、旧陸軍省「大東亜戦争陸軍作戦記録画集」を前に語る田中彰治郎さん。手前は同画集に収められた一作、中村研一「コタ・バル」=2021年8月12日、生駒市生駒台南の田中さんの自宅

義父の遺品、旧陸軍省「大東亜戦争陸軍作戦記録画集」を前に語る田中彰治郎さん。手前は同画集に収められた一作、中村研一「コタ・バル」=2021年8月12日、生駒市生駒台南の田中さんの自宅

 太平洋戦争中、国民の戦意を高揚させる目的で旧陸軍省が刊行した戦争美術の画集を題材に、奈良県生駒市生駒台南の画家田中彰治郎さん(77)が8月22日(延期)、同市辻町の市図書会館で開かれる市民集会「夏のつどい~語り継ぐ戦争と平和」(生駒市平和委員会主催)で講演する。スライドを使って解説し、戦争の実態に少しでも迫ろうと試みる。

元陸軍将校の義父の遺品の中から見つかる

 田中さんは、画業の道を歩み約60年になる。「いこま原風景を楽しむ絵画教室」を主宰している。3年前、義父の元陸軍将校・田中一郎大尉の遺品の中から、旧陸軍省刊行の「大東亜戦争陸軍作戦記録画集」を見つけた。

 「画集の画家たちは皆、基礎デッサン力に秀でた美術家ばかり。非常にリアルであり、記録画として現代にどんな意味を持つのか伝えたい」と話す。

 画集は1942年前半、旧日本軍の連勝が報じられていた頃の作で、従軍した藤田嗣治や小磯良平ら画壇の大家の作品が並ぶ。同年12月、東京で開催の第1回大東亜戦争美術展覧会に展示された100号などの大作の中から旧陸軍省報道部監修の23作が選ばれ、陸軍の外郭団体、陸軍美術協会が複製縮小して画集にした。1画ずつ額に入れられるような造りになっている。序文は旧大本営陸軍部の谷萩那華雄報道部長が書いている。

 発刊されたのは1943年8月。「すでに戦況は悪化してきたが、国民には一切、知らされず、そうした最中、この画集は刊行された。同じ戦争画でも、厭世(えんせい)的な雰囲気を持つ作品は選ばれなかったそうで、国民の戦意を高揚することが刊行の目的だった」と田中さん。

 画集を持っていた妻の父、田中元大尉は、トラックなどの大型車輌の操作にたけ、戦地に武器や弾薬、食糧を運ぶ輜重(しちょう)兵だった。日記によると1944年、インパール作戦に従軍し、悪条件が重なる英軍拠点の攻略を命じられて敗退。九死に一生を得て帰還するが、戦争体験はほとんど話さなかったという。2018年5月、98歳で亡くなったが、その2カ月後、書棚の上に白いビニール袋にくるまれて置かれていた画集の存在を家族は初めて知った。

 22日の講演会場で田中さんは、手作りの戦争地図を参加者に配布する。満州事変から日中戦争、ノモンハン事件、太平洋戦争敗戦に至る15年戦争の戦闘地点を、1枚の図の中に収めた。解説する画集のうち1点は、英領マレー半島コタバルの鉄条網を必死で突破しようとする日本兵を描いた中村研一の作で、異様な迫力を持つ。

 「画集の存在を知って以来、あの戦争とは何か、資料や文献を読んで考え続けている。えげつない、むごいという表現が一番ふさわしいと思う。政権党の動きを見ていると、平和の思想を軽んじているようで、戦争はまだ終わっていないと感じるときがある。義父の残した戦争画集は何かの警鐘になる。語り続けたい」

 会場はコロナ対策のため45席を定員とし、8月12日現在の予約状況は満席。

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