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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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ジャーナリスト浅野詠子

視点)奈良市、中核市移行20年 身近な市役所に大きな権限

中核市になって20年を迎えた奈良市役所=2022年12月、同市二条大路南1丁目中核市になって20年を迎えた奈良市役所=2022年12月、同市二条大路南1丁目

中核市になって20年を迎えた奈良市役所=2022年12月、同市二条大路南1丁目

 奈良市が中核市に移行して20年が過ぎた。中核市は、住民に身近な基礎自治体の市役所が、福祉や環境など暮らしに関わる仕事において、自らの判断と責任により、県庁と同格の権限を行使できる。

 「犬猫殺処分ゼロを3年連続で達成しました!」。仲川げん市長は昨年4月、定例会見でこのように発表した。関連のボランティアとの連携もあった。市長の公約が実現できた背景には2002年4月、市が中核市に移行し、保健所の行政を獲得したことがある。

 人口30万程度の都市にも、政令市並みの権限をと、全国市長会の要望により地方自治法が改正され、1995年、創設された中核市制度。現在は人口20万の市にも適用され全国62市が該当する。

 奈良市の中核市移行は、隣県の和歌山市に5年の遅れをとった。なぜか。制度が発足した当時は、昼夜間人口比率が100を超えて昼間の人口が夜より多いことという厳しい条件があった。職住近接の都市こそ、県の権限を移譲するにふさわしいという哲学だ。一理あった。

 なるほど、都市計画の用途地域図を広げてみると、奈良市の西部は一面、緑色に染まっている感がある。この色は第一種低層住居専用地域を示し、建築規制が厳しい。良好なニュータウンを形成するが、「大阪で勤務し、寝に帰ってくるまち」という見方もでき、住民は奈良府民などと呼ばれることさえある。

 昼夜間人口比率の条件が撤廃されたのが99年。ベッドダウンをかかえる都市が中核市入りするのは不利なため、政府の地方分権推進委員会が改めるよう勧告した。3年後、奈良市は晴れて中核市の仲間入り。これに先立ち市議会は中核市検討特別委員会を設置し、10回の審議をしている。

 新たな職務の柱の一つが保健衛生行政。拠点となる保健所は当面、奈良市西木辻町の旧県奈良保健所の建物を借りることに。県に払う年間の賃貸料が「高い」と話題にも。ここに県職員の獣医ら相当数の技能吏員が5年間、留まり、動物管理行政、飲食店許可などの実務を熱心に伝授し、奈良市保健所の出発に助力した。

 中核市になって2年が過ぎた2004年7月のこと。同市般若寺町の奈良少年刑務所で食中毒が発生し、146人もの発症者を出した。明治建築の古い調理場は衛生基準に達しておらず、シンクの排水口から配水が飛散しないことなど、市は法務省に対し細部の構造改善を求め、6日間の調理業務禁止処分にした。

 市民に身近な赤れんがの建物。たとえ国の施設であっても、ひとたび市役所が権限を得れば、こうして指導することもあるのだと、地方分権の本旨を市民に伝える実例になった。

 一方、権限の移譲から20年がたった現在も「県は上級官庁」という古い意識が奈良市のすべての職員から払拭(ふっしょく)されたわけではない。国と地方、府県と市町村は対等・協力の関係であることを旗印に、地方分権一括法が施行されて四半世紀を迎えようとしている。

 開発指導権限も中核市が担う専門性の高い業務。ここのところ平城宮跡を中心とした世界遺産周辺の相次ぐ箱モノ建設を眺めると、荒井正吾知事の方針に押されている感がある。奈良市は景観行政団体としての使命も帯び、協働、まちづくりの重要なコーディネーター役であることは言うまでもない。

 奈良市高畑町の市街化調整区域に県が誘致した高級リゾートホテルを巡っては、用地を奈良公園に編入して辛うじて適法としたものの、公園という本来は万人に開放されるべき場所において、所持金の大小により人間が立ち入れない空間ができてしまった。

 中核市として奈良市の是正措置に期待した県民もいただろう。開発そのものが悪いのではなく、県は市街化に編入する論議から公明正大にスタートし、市は厳粛に監視すればよかった。

 20年を迎えた中核市制度。記念の行事や広報紙での紹介はないか、奈良市秘書広報課に昨年10月、尋ねたところ「予定なし」のあっさりした回答が返ってきた。

 中核市の要件は人口20万人に緩和された。しかし、このままでは奈良市に続く市の出現が県内では期待できない。人口減少時代。部分的な権限移譲を条件に、人口10万人の市にも中核市の対象を広げれば、橿原市や生駒市が十分該当する。両市は早くから建築指導主事を置き、まちづくりの根幹である建築確認の業務を担っており可能性を秘める。

奈良市が中核市に移行する前夜、支援した当時の副知事、関博之さん(元復興庁事務次官)の話

 当時は事務の移譲を受ける奈良市の職員の方々も、移譲する県職員の皆さんも一生懸命取り組んだ。中核市になることによってより良い市政ができるように、移譲に当たって市民の皆さまにご迷惑が掛からないように、綿密に調整をされていたことを記憶している。20年たって中核市としての事務は定着し、それぞれさまざまな工夫をされてより良い形になっていると思う。これまで取り組まれた方々にあらためて敬意を表し、市政発展を祈念する。

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