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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一
ジャーナリスト浅野詠子

板垣退助、大和高田の専立寺で講演時の写真残る 葛城の民家が所蔵

大和高田市の専立寺本堂前で聴衆と記念写真に収まる板垣退助(前列中央)

大和高田市の専立寺本堂前で聴衆と記念写真に収まる板垣退助(前列中央)。葛城市内の民家に残されていた=吉村圭司さん提供

 明治時代、自由民権運動を担った板垣退助(1837~1919)が1890(明治23)年7月、演説のために奈良県を訪れた際、聴衆と共に撮影された記念写真が葛城市内の民家に残されていることが分かった。講演会場は旧葛下郡高田村(現大和高田市)の専立寺で、板垣は寺で1泊している。「大和全国自由懇親会」と銘打った演説会に各地から300人ほどが駆け付けた。

 写真を保存しているのは、葛城市山田の元牧場経営、吉村圭司さん(55)。曽祖父の父に当たり、幕末に旧忍海村(現同市)で生まれた吉村長平が写真に写っていることから、代々、大切に残してきた。長平が毛筆で書き残した記録によると、最前列の中央に板垣が座り、奈良の2弁護士、酒井有、矢野勝の姿が板垣の近くにある。

 撮影したのは御所市東辻のかとう写真館といい、吉村さんはネガなどの所在を照会したが、現存していないようだった。吉村さん方に残る写真は、昭和18年に同写真館で複写したもの。地域の歴史を刻む記録写真として末永く保存されることを願い、吉村さんは7月、葛城市歴史博物館と専立寺を訪れ、吉村さんの所蔵写真を複写したものを寄贈して報告した。

 同寺によると、写真に写る本堂は、檜皮(ひわだ)ぶき破風だった時代の建物。脇屋真一前住職は「寺には板垣の記録はなく、とても珍しい写真。早速、寺報の10月号で紹介し、寺内町を散策する参詣者にも伝えています」と話している。

 奈良県内の自由民権運動の背景には、同県が一時期、大阪府に編入され、危機感を抱いていた有志が民権運動とつながることによって、奈良県再設置に弾みをつけようとした狙いもあるとみられる。

 県発行の「青山四方にめぐれる国―奈良県誕生物語」(1987年)によると、奈良県出身の大阪府議、恒岡直史らは、政府に大和国の独立を認めさせるためにも、自由民権運動との連携を求めたという。奈良県再設置は、板垣来県の3年前に実現している。

 長平の記録によると、記念写真に収まる旧高田村、旧尺土村(現葛城市)、旧北花内村(現同市)などの人々の顔と氏名が分かる。演説する板垣を、現在の府県境に当たる竹内峠まで人力車で出迎えに行った人もいる。自由民権運動には地主や豪商も参加した。

 吉村さんは「長平の記録から、長平の近隣に住む有志数人が固まって写っていることが分かります。女性の人影も3、4人あります。この時代としては行動的な女性だったのではと想像します。後世に語り継ぎたい写真」と話している。

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