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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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コラム)生徒のいじめ自殺、学校側調査のあり方/政治と憲法の風景・川上文雄…11

筆者の娘の作品。中学2年の時、美術の授業で作ったもの

筆者の娘の作品。中学2年の時、美術の授業で作ったもの

 2011年10月、滋賀県大津市立の中学校で2年生男子が同級生のいじめを苦にして自殺しました。両親は学校側に真相の調査を求めますが、受けた報告・説明はまったく不十分なものでした。真相解明の願いもこめて両親が起こした訴訟は、先月25日に最高裁判決が出て、元同級生2人への賠償命令(400万円)が確定しました。これを機に、当時の調査を振り返りながら、この種の調査はどうあるべきかについて考えます。

全校生徒は真剣に向き合った

 この調査にかかわる筆者の知識は、NHK「クローズアップ現代」2012年7月24日放送の「なぜ真実が分からない ~大津・生徒自殺 問われる調査~」からのものです。番組のホームページがあり、放送内容の文字テキストが入手可能です。

 学校側は全校生徒へのアンケート調査をします。番組にゲスト出演した喜多明人氏(教育学者、当時早稲田大学教授)は、回答を読んで「全校生徒の8割近い子どもたちがこれだけの声を書き込むということは前例がない」と言い、「特に、200近いいじめに関する事実をこれだけ書き込んできた」ことに驚きます。

 喜多氏の次の言葉が強く印象に残っています。「(アンケートは)同時に自分の気持ちはどうかということを聞いているんですね。そこには非常に多くの書き込みがあって…子どもたち自身が、やはりこの問題に対してなんとか解決したい、前向きにこの問題に取り組みたいという気持ちがすごく伝わってくる」

 それは自殺した生徒の父親にも伝わります。「アンケートは読んでいても吐き気すらするような内容だったのですが、子どもさんが一生懸命書いていただいたと思うんです。勇気を出して」。ところが、生徒の間には動揺が広がっていて心理的な負担が心配だと思った学校側は踏み込んだ聞き取りができません。結局、寄せられた情報の多くを事実かどうか判断できないまま調査を打ち切ってしまいます。遺族が落胆・失望したのは言うまでもありません。

 しかし、動揺・心理的な負担が心配だったとしても、生徒の思いに真剣に向き合うという姿勢が伝わらなければ言い訳にすぎません。教育の基本、それは成長しようとする生徒の意欲を聴きとって(成長する力を信じて)支援することです。この調査の場合は、「支援する」というより生徒たちと同じ方向を進むことです。学校側も成長しようと意欲することです。

「遊びのうち」に惑わされない

 生徒たちの思いに寄り添うことに加えて、調査はどうあるべきだったのか。放送内容からうかがえる問題点を2つ取りあげながら考えていきます。いずれも、事実の解明に徹することができなかったという問題です。

 第1の問題点。番組は「(加害の)同級生は、いじめたのではなく遊びのうちだったと主張。結局、学校は寄せられた情報の多くを事実かどうか判断できないまま調査を打ち切った」と伝えています。生徒の主張はある程度、調査打ち切りに影響したという前提で考えます。

 学校側は心理的負担を感じたのではないでしょうか。加害生徒の主張には「いじめの意図はなかった」「悪意はなかった」という含みがある。調査する側は加害生徒の悪意を責めるためでなく、何が起こったのか事実の究明のために聞いているという強い意識をもって臨まないと、必死に自己防衛している生徒に押し切られてしまう。つまり、それ以上生徒にしつこく聞いたならば「遊びのうちと言っているのに、なぜそれ以上聞くのか」と反撃されるのではないか、不快にさせるのではないかと思って恐縮してしまう。すると惑いが生じます。

 しかし、重要なのは何を意図したかではなく、言ったこと・おこなったことの結果(自殺)です。意図と行為の違い、意図と結果(被害の重大さ)の区別を意識して真相の解明をする。加害者にも生徒全員にもその区別を理解してもらう。感情を克服して事実を明らかにする。これができている生徒が少なくなかった。事件に真剣に向き合っていたのだから当然です。

 本来は、できるだけ早い段階からこの考え方にしたがって調査をおこなうべきでしょう。

「自殺との関係は分からない」に逃げない

 第2の問題点。番組によると、学校は生徒の父親にいじめと自殺との関係は分からないと報告したそうです。しかし、いじめが自殺の原因かどうかの解明を調査の主眼にすべきではありません。その因果関係は、複雑な要素が絡まっているので、厳密な解明は困難です。「自殺の原因なんて、警察や裁判所でないのだから分かりっこない」という思いが先に立てば、事実解明への意欲をそぐことになりかねません。どのような言動と行為があったのか、事実経過をできるかぎり丁寧に解明することに徹する。断片的な情報であっても、できるだけ多く集めて遺族に提供する。それが遺族に対する責任の果たし方だと思います。

 裁判を起こすかどうかは、遺族の意思にゆだねればいい。実際、真相は裁判を通じて解明され、その結果として損害賠償命令があるのです。もちろん、学校側はそれを期待して不十分な調査で済ますことがあってはなりません。

 主権者教育への関心が高まっています。そのなかで「いじめ学習」を取りあげてはどうか。「真実・事実の追求」でつながると思います。

【追記】裁判において被告側は「いじめと自殺の関係を予見できなかった」と主張しましたが、大津地裁と大阪高裁は「いじめ行為が自殺につながることは一般的に予見できる」と判断、これが最高裁でも維持されました。今後、同種の裁判における指針になるでしょう。(おおむね月1回更新予定)

川上文雄

かわかみ・ふみお=客員コラムニスト、元奈良教育大学教員

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