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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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コラム)公共事業で立ち退く人たちの「納得」/政治と憲法の風景・川上文雄…16

筆者のアートコレクションから大倉史子(おおくら・ふみこ、1984年生まれ)「赤いりんご/青いりんご」。作者は埼玉県在住、「川口太陽の家・工房集」所属

筆者のアートコレクションから大倉史子(おおくら・ふみこ、1984年生まれ)「赤いりんご/青いりんご」。作者は埼玉県在住、「川口太陽の家・工房集」所属

 公共事業を理由に住み慣れた土地からの立ち退のきを行政から求められる人たち。立ち退きはごく少数の人だけに降りかかる出来事かもしれません。しかし、すべての人が関心をもつべき問題です。立ち退く人たちの納得を大切にする行政は、ほかの施策についても信頼できる行政であると期待できそうです。

 立ち退く人たちの「納得」について、奈良県が平城宮跡歴史公園(奈良市二条大路南3丁目)に建設予定の「歴史体験学習館」をとりあげながら考察します。「奈良の声」の以下の記事を読んで、「納得」を大切にする行政なのか、筆者には疑いが生じました。

 立ち退きという負担を受け入れる住民は計画の一番の協力者。しかし、県や国営公園区域を管轄する国土交通省近畿地方整備局国営飛鳥歴史公園事務所がホームページで公開している関連資料に、歴史体験学習館計画地の立ち退きに言及したものは見当たらない。計画図面と住宅地図を照合でもしないと、そこに人々の暮らしがあることは想像できない。(2020年11月17日、浅野善一 。以下、「奈良の声」への言及はこの記事)

金銭的補償では不十分

 立ち退きに関する基本原則は、憲法29条の「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる」です。キーワードは「補償」と「公共」。正当な補償として十分でなく、しかも公共目的も疑わしければ、立ち退く人たちは納得しにくいでしょう。

 「歴史体験学習館」は奈良県が平城宮跡歴史公園に建設予定の施設。「奈良の声」から以下のことを知りました。2009年に都市計画公園として都市計画決定、2018年施設着工に必要な国の事業認可を得た。しかし、公園計画地になるはるか以前からこの地域で生活を営んできた人たちがいる。「立ち退き受け入れつつも高齢者多く転居に不安」と記事は伝えています。

 この人たちの不安にどう応えるのか。金銭に換算できる経済的な価値(不動産・動産の価値・価格)の補償だけでよしとするのか。「不安」は主観的なものであり、考慮しなくてよいもの、受忍すべきものと見なしてよいのか。

 住民の不安は「主観的」の一言では片づけられない。地域生活の歴史という現実に根ざしたものだからです。1970年代中ごろから住宅がたち始めたこの地域には「住宅地の外れに小さな地蔵堂があり、毎年7月に自治会主催の地蔵盆が営まれる。お堂の前に机を並べ、住民が集う。食事や酒を囲み、スイカ割りなどをして親睦を図ってきた」(「奈良の声」)。個人と地域社会の良い関係が続いてきた。それが断ち切られることへの不安。40数世帯と小規模ですが、この立ち退きは福島原発事故で生じた大規模な「ふるさと喪失」(第12回コラム参照 )に似た事態です。

ふるさとを再生する

 「ふるさと喪失」に関わる不安はどうするのか。金銭に換算して「慰謝料」的に上乗せするのか。それとは違うかたちで納得してもらうとしたら…。以下のように考えました。

 地域のさまざまな文化その他の資源を介して、地域の今を生きる人たちがつながる施設になる。それらの人たちの創意工夫が発揮される場所になる。そうなれば、立ち退いた人たちも、そこを訪れて楽しみたいと思える施設・場所になる。いわば、ふるさとを失った後に、ふるさとが再生する。つまり、外部からの観光客を呼ぶための単なる箱物的な、陳列品を並べた施設にしない。そこだけで完結した、閉ざされた空間のなかで「体験学習」するような施設にしない。(「歴史体験学習館」はそのような施設になりそうです)

 行政は都市計画決定の段階から「地域資源を豊かにする」という視野を持つべきです。それが都市計画の基本であり、公共性を保証するもの。その意味での公共性があるから土地を収用する権限を行使できるし、立ち退く人たちにも納得してもらえるのだと思います。

「公共目的」を疑う

 「公共目的」に疑いの余地があったら、憲法29条「公共のために」を満たしているか、あやしくなってきます。地域資源を豊かにして人々の生活を豊かにするために必要とするものではなく、行政組織の維持・拡大に必要なものという視点で公共事業が発案されることがある。国や県のやることだから公共性があると思いこまないほうがいい。平城宮跡の利用・開発についても心配があります。2年ほど前のある集まりで県庁の部長級の元職員の方から聞いた話にもとづいて考えたことです。

 県営公園に隣接する国営公園区域には、すでに国の展示施設が開館しています。国営公園を管理するのは国土交通省の部署。予算額が減らないように(予算規模に連動して職員数が減らないように)継続的に新しい事業を続けていく必要がある。箱物づくりは常套(じょうとう)手段。実際、「平城宮跡資料館」「遺構展示館」「復原事業情報館」「平城宮いざない館」というように、「館」のついた建物・施設がつくられてきました。そして、県営公園にもう1つ、同種の競合する施設。むだ遣いとは考えないのでしょうか。県も国土交通省と同じ思考で、1つの施設、また別の施設と続けていくのでしょうか。

 それだと公共事業の暴走、「公共目的」の濫用ではないか。憲法12条を思い起こしながら、そういう思いが募ります。「国民は、これ(自由及び権利)を濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のために利用する責任を負う」とあります。国民だけでなく、国あるいは地方公共団体の「権」(権限・権力)にも適用すべき条文です。私有財産(土地)の収用権(憲法29条)は、まさにそのような「権」の1つです。さらに、これに裏打ちされた都市計画の「権」も。「歴史体験学習館」計画の発端である2009年の「都市計画公園として都市計画決定」に問題があったのではないか、気になるところです。

【追記】「立ち退き」を取り上げたコラムで大滝ダム(奈良県川上村)に触れないわけにはいきません。この奈良県史上最大の公共事業は、地滑り発生により地域住民に「ふるさと喪失」を強いた。この欠陥公共事業の暴走は止まったのか。「公共目的の濫用」によって大切な地域資源を失う心配はもうないのか。「県域水道一体化」計画のことを言っています。(おおむね月1回更新予定)

川上文雄

かわかみ・ふみお=客員コラムニスト、元奈良教育大学教員

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