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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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コラム)首相に解散権はありません/政治と憲法の風景・川上文雄…18

筆者の自宅のアサガオ(2019年9月7日撮影)

筆者の自宅のアサガオ(2019年9月7日撮影)

 菅首相が自民党総裁選不出馬・退陣を表明しました。衆議院の解散はなくなり、任期満了での総選挙となります。とはいえ、首相が解散を模索し続けたことは確かです。「首相の解散権」について考えます。

 解散についてお決まりの言葉があります。「解散は首相の専権事項である」「やりたいときに解散できる」。その根拠は憲法7条第3項なのですが、条文の解釈を誤っています。ジャーナリストのなかにも勘違いしている人がたくさんいる。お決まりの言葉を聞かされる私たちも、なんとなくそう思ってしまう。これでは、憲法と国会の無視がまかり通ったままです。

衆議院決議経るしかない

 憲法7条に規定されている「天皇の国事行為」は「内閣の助言と承認により、国民のために」おこなう行為です。その1つが「衆議院を解散すること」(第3項)。7条を根拠に「内閣総理大臣に解散権がある」と解釈すると、以下の理由でとんでもないことになります。

 7条1項を見ると「憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること」とあります。では内閣(総理大臣)は憲法改正権をもつことになるのか。ありえません。改正は憲法の他の条文に規定された手続きでしかおこなえないし、そこでは内閣総理大臣が法的に関与する余地はありません。

 7条の「内閣の助言と承認により」という語句は「天皇は政治的権力をまったく持たない」ことを明らかにするためのもの。つまり、天皇主権の帝国憲法から国民主権の日本国憲法への変化を表現した語句以外のなにものでもありません。

 衆議院の解散は69条が定めています。つまり「不信任の決議案の可決」または「信任の決議案の否決」の場合に「内閣総辞職」か「解散」の二者択一を求められる。これは首相が「いつでも自由に行使」できる解散権とはほど遠いものです。7条にもとづく解散権など存在しません。「解散は総理大臣の専権事項」とはとても言えない。

 日本国憲法はおそらく、連立政権崩壊の場合、つまり「野党の不信任決議案に連立政権を構成する党が同調する」という事態を想定していたのでしょう。しかし、それ以外に、首相が解散で国民の「信を問う」必要が生じる場合はないのか。それは当然あります。

与党が内閣不信任

 その場合はどうするのか。国会軽視でなく「国権の最高機関としての国会」という憲法の根本原則(憲法41条)に従うのであれば、2つの選択肢があります。1つは、与野党の合意のもとに不信任決議案を可決して解散する。吉田茂内閣のもと、1948年の解散はこれでした。本会議での演説はどうだったのか、興味深いところです。反対演説はなかったのでしょう。

 もう1つの選択肢。与野党合意のない(野党が解散に反対の)場合は、与党が不信任決議案を提出して可決する。これはいまだかつてなかった。その場合与党代表の議員はどのような不信任演説をするのか。不信任とは名ばかりの「解散の大義」の説明になるのではないでしょうか。野党はどうするのか。通常の不信任演説はできない。信任演説もできない。となると「解散する必要はない」という演説になりそうです。

 奇妙な光景ですが、それでも「国権の最高機関」としての国会にふさわしく、衆議院本会議でしっかり議論・論戦をした後での解散です。

憲法違反を重ねる

 2017年9月安倍首相による7条解散は、憲法と国会の軽視(ほとんど無視)が危険レベルに達したことを示すものです。国会での論戦なし、つまり臨時国会冒頭での解散というだけではありません。それ以前、森友・加計学園問題で追及を受けていた当時の安倍首相は約3カ月、憲法53条にもとづく野党からの臨時国会召集の要求を無視し続けていました。その後、「解散のためだけの臨時国会」を召集したのです。二重の憲法違反です。

 臨時国会について、憲法には「いつまでに(いつから)、どのくらいの期間で」という規定がありません。しかし、すみやかに召集しない理由にはならない。召集のための具体的な手続きは法律その他(国会法、衆議院規則など)で具体的に定めるべきです。

 退陣する菅首相はどうだったのでしょうか。「コロナ対策の法律制定のために臨時国会を」という野党の要求に応じようとしなかった。「たかが憲法、たかが国会、どうにでもできる」と考えているのでしょうか。(国会の危機は、虚偽答弁や質問をはぐらかす答弁にも)。今回解散を断念したとはいえ、憲法と国会に対する姿勢は安倍政権と変わりなかった。

 7条解散に憲法上の問題があることが、主権者国民の共通認識になることを願っています。そのために、解散のたびに報道機関がていねいに解説してくれること、そしてこの問題が主権者教育のなかで取りあげられることを願っています。

【追記】

 7条解散を追認した判決について。7条解散の最初の事例は吉田茂首相による1952年の「抜き打ち解散」でした。違憲訴訟になったけれど、最高裁判所(1960年判決)は「高度に政治性のある国家行為」だとして憲法判断を避けました。

 しかし、とても「高度に政治性のある国家行為」とは思えません。複雑な党内事情があっての解散。対立する鳩山一郎に権力を渡さないための解散だったので、公共性の要素は見いだしにくかった。「憲法の番人」たるべき最高裁判所による憲法違反の判決でした。筆者のように考えて「解散は憲法違反だけれど、選挙は有効(時間が経過してしまったから)」という判決が妥当だった。今や危機的段階にいたった国会の「緩慢な破壊」が始まった、この判決がお墨付きになって7条解散は野放しになったと言えそうです。(おおむね月1回更新予定)

川上文雄

かわかみ・ふみお=客員コラムニスト、元奈良教育大学教員

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