奈良町の復元模型、行き先見つからず
大きく、収容施設なく なら奈良館閉鎖で
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行き先が見つからない奈良町の復元模型=2011年6月3日、奈良市東向中町のなら奈良館 |
ことし3月31日に閉鎖された奈良市東向中町の市施設「なら奈良館」に展示されていた奈良町の復元模型の行き先が見つからない。主要展示物の一つだったが、大きくて収容できる施設がないためだ。
なら奈良館は近鉄奈良駅ビルの4、5階にあった。2001年3月、それまで近鉄が運営していた奈良歴史教室を、「古都奈良の文化財」の世界遺産登録を機に、奈良市が引き継いで開設した。同世界遺産の紹介をテーマに120点を展示していた。しかし、2009年度の事業仕分けで不要の判定を受けた。展示物の大半は近鉄の所有だが、奈良町の復元模型、平城京の復元模型、東大寺大仏殿柱模型などは市の所有で、行き先を探さなければならない。
奈良町の復元模型は正方形で一辺が5メートル。明治中頃の元興寺を中心とした地域の伝統的な町並みを100分の1の大きさで再現している。現存する建物や古い写真、住民からの聞き取りなどが根拠になっている。1990年、当時、市が開催を予定していた世界建築博(後に中止)に合わせて製作された。製作には数千万円から1億円くらいがかかったものとみられている。同館の指定管理者だったNPO法人なら・観光ボランティアガイドの会は「奈良町のかつての様子が分かりやすく表現されていて入場者の評判は良かった」という。
同模型は、なら奈良館が開設されるまで同市東寺林町の市ならまちセンターの入り口ロビーに展示されていた。同ロビーには現在、別の展示物があり、元には戻せないという。
また、平城京の復元模型は5メートル四方の大きさで、1984年、同市上三条町の市観光センター開設に合わせて製作された。なら奈良館の開設時に同館に移された。
市観光振興課は「精巧な模型。どこかで有効に活用したい。これから検討に入るが、大きな物を置ける場所が見当たらない。7月末をめどに、なら奈良館の内装を元通りにして近鉄に引き渡さなければならないため、それまでに結論を出したい」としている。
一方、近鉄が所有している展示物やなら奈良館跡の利用法について、同社秘書広報部は「決まっていない」としている。(浅野善一)
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