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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一
浅野善一

奈良市土地開発公社問題 95年、有力市議の所有地取得額、決裁より1億高く 引き上げの起案なし

奈良市土地開発公社の事業計画を変更、浅川氏の土地取得を起案する市の文書(部分)(画像の一部を加工しています)

奈良市土地開発公社の事業計画を変更、浅川氏の土地取得を起案する市の文書(部分)(画像の一部を加工しています)

起案文書の裏(部分)には「JR奈良駅周辺地区駐車場建設 用地費3億5840万円」と明記されている(矢印は「奈良の声」が付けた)

起案文書の裏(部分)には「JR奈良駅周辺地区駐車場建設 用地費3億5840万円」と明記されている(矢印は「奈良の声」が付けた)

 奈良市土地開発公社(2013年3月解散)が1995年2月、当時市議だった浅川清一氏(故人)からJR奈良駅前の所有地を取得した際、その取得額が起案・決裁を経て決定した額より1億円高かったことが分かった。引き上げをあらためて起案した文書は存在せず、過程が不明朗だ。情報公開制度に基づいて記者が開示を受けた市や公社の文書で判明した。

 同土地の取得をめぐっては、浅川氏個人の便宜を図るため、必要性のない土地を高額で取得したとの指摘を、市の第三者委員会がしており、問題になっている。

 土地は同市三条大宮町の宅地約225平方メートル。取得額は4億5516万8000円だった。取得目的は、市が当時、JR奈良駅周辺で進めていた土地区画整理事業に伴う駐車場整備とされた。

 一方、浅川氏は議長を通算5期務めるなどした有力市議だった。02年、市議在任中に亡くなった。

当初の事業計画になく

 公社の役割は市が計画した事業の用地を先行取得することで、取得のための費用は全額、金融機関からの借金。市は債務保証を行い、将来は市の一般会計から支出して土地を買い戻す。このため、公社の年間の土地取得計画は、事業の各担当課からの予算要求を受けて市財政課が立てる。

 開示を受けた文書は、財政課の94年度公社事業計画案や公社の94年度事業計画書、同土地の不動産鑑定評価書など。これらの文書から、浅川氏の土地取得は公社の94年度の当初の事業計画にはなく、年度の途中に事業計画が変更され、追加されたものだったこと▽事業計画の変更を起案する財政課の95年1月17日付の文書は、見込まれる同土地の取得額を3億5840万円とし、同日付で市長の決裁を受けていたこと―が判明した。

数字だけ差し替えか

 ところが、実際の取得額はこれより9676万8000円多かった。公社が市から受け取った同じ17日付の事業計画変更通知に添付された94年度公社業務執行計画に、取得額を引き上げる変更が2月1日付で行われたことを示すメモ書きが残っていた。「2.1修正 2/6○○係長(当時の財政課係長の名前)確認」とあった。起案当初の17日付のまま、取得額の数字を3億5840万円から4億5516万8000円に差し替えた業務執行計画が、同通知に追加されている。

 開示を受けた文書の中に、取得額引き上げを起案する文書は存在しなかった。起案・決裁を経ず、2週間後に数字だけが差し替えられた可能性が高い。

 公社が浅川氏と土地の売買契約を結んだのは、「修正」翌日の2月2日だった。

 一方、公社に同土地の取得を依頼するための市JR奈良駅整備課の1月17日付の起案文書や、公社が市から受け取った翌18日付の土地取得依頼書は、財政課の起案と並行して作成されているにもかかわらず、取得額を4億5516万8000円とするものしかなかった。

 また、取得額のよりどころとなる不動産鑑定評価書の評価額も4億5700万円と、実際の取得額に近い。鑑定評価日は事業計画の変更を起案する以前の95年1月1日となっているから、評価額が財政課の起案に反映していないことになる。評価額が当初から4億5700万円だったのかという疑問も浮かぶ。

 取得額の4億5516万8000円は、当時、同土地に設定されていた抵当権の債権額とほぼ同額であることが登記簿から明らかになっている。浅川氏は、バブル景気で県内地価が最も高騰した90年に同土地を買っており、この際、抵当権が設定されている。

 同土地の取得をめぐっては、市土地開発公社経営検討委員会が2011年3月の報告書で、「担当者が同市議に対して『これ以上の金額で取得することは困難である』と説明に行っても、何度もさらなる単価の上昇を求められ非常に困惑していた、などのコメントも聴取されており、最終的な鑑定額が『鑑定基準の範囲内』と言いうるのかどうかについても疑問がある」と指摘している。

 この問題について、市の担当課や当時の担当者は次のように話した。

 市財政課は「取得額変更の起案文書は残っていなかった。残っている当時の資料だけでは分からない部分がある。当初に決定された公社の年間予算の枠内であれば、取得額の引き上げは可能。その部分で変更があったかもしれない」とした。

 これに対し、当時財政課長だった元職員は「記憶はないが、起案の額と実際の額が違うのはおかしい。市長の決裁の意味がなくなる。増額の変更があったなら、手続き上、その起案は必要」とした。

 当時、財政課に係長として在籍し、「修正」のメモ書きに名前があった職員は、メモについて「覚えていない。公社の事業費の年間の総枠が市が債務保証した当初の額と合っているかどうか数字を追い、確認するのが財政課の仕事」としたが、「普通は取得額を引き上げる計画の変更があればその起案がある」ともした。

 市土地開発公社精算事務局は取得額引き上げの経緯について「当時のことは分からない」とした。

価格交渉「難しかった」、当時の職員

 当時、市JR奈良駅開発事務所の所長だった元職員は、浅川氏の土地取得について「(価格の交渉が)難しかったということは覚えている」とした。しかし、取得額について「鑑定額の範囲内であり、問題はない。変更した記憶はない」とした。一方で、用地交渉が進まないとき「鑑定士に鑑定額を引き上げられないか相談することは一般的にある」ともしたが、浅川氏の場合については「そうだったという記憶はない」とした。

 土地区画整理事業は換地が原則で、地権者の土地を買い取るのは例外。JR奈良駅周辺土地区画整理事業でも、市が土地を買い取った事例は当時、浅川氏の土地を含め3件しかなかった。ほかの2件のうち1件は、地権者が換地の減歩率を不服として、市を相手取り提訴、一審で市が敗訴した土地だった。

 市は95年3月、提訴した地権者の土地を公社に取得させた。名目はJR奈良駅周辺地区駐車場整備事業とした。浅川氏の土地取得はこの直前で、名目も同じだった。同事業は具体化しおらず、浅川氏の土地は近くの市保健所・教育総合センターの職員用駐輪場として使用されている。

 当時の市長、大川靖則氏はこれまでの取材で、JR奈良駅周辺土地区画整理事業について、浅川氏の土地を取得する直前まで助役だった人物(故人)の名前を挙げ、この助役が事業を担当、自身は関わっていなかったとする説明をしている。【続報へ】

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