昭和初め大和郡山に少女歌劇の拠点、当時のちらしなど展示 市内で2月28日~3月6日、大学教授・鵜飼さん収集の資料
日本少女歌劇座展で展示するちらしなどを準備する京都文教大学教授の鵜飼正樹さん=2016年2月22日、京都府宇治市の同大学
1929(昭和4)年、日本少女歌劇座の満州での公演を告知するちらし
昭和初めから戦後にかけ、奈良県大和郡山市を拠点に全国を巡演していた「日本少女歌劇座」の活動を、当時の公演の告知ちらしなどでたどる「日本少女歌劇座展~大和郡山に少女歌劇があった」が2月28日から3月6日まで、同市柳1丁目の菊寿亭で開かれる。(終了しました)
同劇団の掘り起こしをしている京都文教大学総合社会学部教授の鵜飼正樹さん(57)が、ちらしをはじめ、入場券や絵はがきなど、これまでに集めた資料を展示する。地元の同市でも、劇団を記憶している人はほとんどいないといい、詳細が分かる研究などもなかったという。
同展は、市内の郡山城旧城下町一帯で開かれている「第5回大和な雛(ひな)まつり」(市商工会など主催、2月20日~3月6日)の行事の一つとして行われる。
鵜飼さんは社会学、大衆文化論が専門。20年近く前、京都市内の古本市で同劇団の絵はがきを見つけて、その存在を知り、興味を持った。京都市のほか奈良市や大阪市などの古本店、またネットオークションで、ちらしなど同劇団に関する資料を集めた。その数は現在までに、300点ほどになったという。
鵜飼さんによると、同劇団は、大阪府東大阪市の近鉄石切駅近くにあった日下温泉の余興として大正後期に始まり、その後、大和郡山市に本社を置く島興行社が運営した。倉橋滋樹・辻則彦著「少女歌劇の光芒」では、大正末から昭和初めにかけ、全国各地で少女歌劇団が設立されたことが明らかにされているが、同劇団については詳細が分からないとされているという。他の劇団と違って、拠点となる劇場を持たず、地方巡演に徹していたためと、鵜飼さんはみている。
集めたちらしなどからは、公演は北海道から九州まで全国各地に及び、さらに昭和初めから台湾や朝鮮、満州など外地にも進出していたことや、活動は戦後の1956(昭和31)年まで続いたことなどが判明した。全国から集まる団員の出身地で公演し、団員の成長を見せることで、地方の後援者を組織していった。それが特徴という。大和郡山市内には現在も、島興行社の本社建物が残っているという。
展示は、ちらしや絵はがきなど40~50点を予定。1926(大正15)年元旦の年賀の絵はがきの絵柄は団員らの集合写真で、十代と思われるセーラー服の少女の姿などがある。1928(昭和3)年の公演のちらしには、出演者約30人の名前が連名で記され、入場料は1等50銭、2等30銭とある。公演の前に行われる劇団の野球部と地元チームの試合の観戦案内の記載もある。プロ野球のない時代、当時の地方にとって新しいものを組み合わせることで興行が受容されていったという。
戦時を反映した公演のちらしもある。1943(昭和18)年の舞台「叫ぶアジア」は、桃太郎と犬、猿、キジがニューヨークを攻撃し、鬼畜米英を負かす内容。
ちらしなどは凝ったデザインのものが多く、見るだけでも楽しめるという。
鵜飼さんは「昭和初め、大和郡山市を拠点にモダンな少女歌劇の文化が花開いたこと、その活動が北海道から九州、そして外地に及んでいたことを地元の人に知ってもらえれば」と話している。
入場無料。開場時間は午前10時~午後5時。問い合わせは鵜飼さん、電話090-7352-7808。菊寿亭は和菓子店「本家菊屋」の南隣。【関連記事へ】