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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一
浅野善一

奈良県)郡山城外堀跡、面影最もとどめる場所、道路建設で姿消す

道路建設に伴う造成工事で姿を変えた郡山城外堀跡の高付上池=2020年2月8日、大和郡山市野垣内町

道路建設に伴う造成工事で姿を変えた郡山城外堀跡の高付上池=2020年2月8日、大和郡山市野垣内町

当時の面影をとどめていたころの郡山城外堀跡の高付上池。水辺の緑が野趣あふれる空間を作り出していた=2010年3月22日、大和郡山市野垣内町

当時の面影をとどめていたころの郡山城外堀跡の高付上池。水辺の緑が野趣あふれる空間を作り出していた=2010年3月22日、大和郡山市野垣内町

道路建設に伴い、外堀跡の一角に設けられる公園の完成想像図(写真手前)=大和郡山市ホームページから

道路建設に伴い、外堀跡の一角に設けられる公園の完成想像図(写真手前)=大和郡山市ホームページから

跡地に記憶残す公園整備

 奈良県大和郡山市の郡山城外堀跡の中で、最も当時の面影をとどめているとされた場所が、現在進められている市の道路建設に伴い姿を消した。市の計画では、跡地の一角に外堀を思い浮かべられる意匠の公園を設け、歴史的な記憶を残すという。

 場所は同市野垣内町。外堀跡は長さ約100メートルで、幅は市観光協会が配布している散策地図「郡山城外堀コース」に7間(約12.7メートル)とある。ため池として使われ、高付上池と呼ばれていた。堀と水辺の緑が市街地の中で野趣あふれる空間を作り出していた。同散策地図は「当時の面影を最も残していて、ショウブの咲くころが美しい」と紹介していた。

 市都市計画課によると、同所の外堀跡の岸については、事前の発掘調査で石積みは確認されず、土の面だったとみられるという。かつては水を農業に利用。また、市特産の金魚を養殖していたこともあったという。

 一方、建設される道路は市が整備を進める「城廻(まわ)り線」の一部で、南約400メートルにあるJR郡山駅の前を南北に走る4車線道路を北に伸ばして、すでに利用されている同線とつなぐ。

 郡山城外堀跡は市街地を囲むように巡っていて、「ふるさと大和郡山歴史事典」(市発行)によると、1596年、郡山城主の増田長盛が建設に着手。総延長は50町13間(約5.5キロ)あった。現在、一部はため池や水路となって名残をとどめている。また、一部は「外堀緑地」として公園整備が行われた。ただ、当時の面影はほとんど失われている。

 市都市計画課は同市野垣内町の外堀跡がなくなることについて「現在、水源は雨水のみで水量が少なく、ごみの投棄も招いている。難しい判断だが、そのままにはできない。ある程度整備が必要」とする。

 同外堀跡の近くに住む自営業男性(82)は「子供のころ、水辺でトンボ釣りをした思い出はあるが、生まれたときからあるので特別なものには思えない。ただ、よそから来た人には良い所に見えるのだろう。町内には昔の姿のまま残せと言う人も一部いた」と話した。

 道路の完成は当初の予定では2021年度末だが、さらに先になる可能性が高いという。公園は道路完成後、2年以内の完成を目指す。

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