ニュース「奈良の声」のロゴ

地域の身近な問題を掘り下げて取材しています

発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

ニュース「奈良の声」が受賞 ジャーナリズムXアワード

最新ニュースをメールで受け取る【無料】

ジャーナリスト浅野詠子

視点)地下水の評価低かった 20年前刊行の奈良県営水道史 一体化計画では水源の一部に

「奈良県営水道のあゆみ 県水を送り続けて30年」

「奈良県営水道のあゆみ 県水を送り続けて30年」

 2020年は奈良県営水道が給水を開始して50年という節目の年だった。27市町村水道と県水との事業統合を図る県域水道一体化の覚書締結の前年で、構想が大詰めを迎えていた時期と重なり、記念誌の作成は見送られた。

 このため2001年刊行の「30年史」が最後の県水史として永年保存されることになりそうだ。同誌は奈良盆地の地下水源を過少評価するが、一体化に向けて今年2月に策定された基本計画では、県自らが地下水の浄水場2カ所の経営に参画する。水道史の転換点に「30年史」を改めて読んだ。

「かなけみず」

 「奈良県営水道のあゆみ 県水を送り続けて30年」(A4判、211ページ)は、紀の川水系上流の吉野川の3ダムと室生ダムを主要水源として24市町村に安定した水道水を送る用水供給事業の足跡を記録している。

 奈良盆地から遠い県南部の水源を利用し、県最北部の生駒市まで水道水を送る事業の送水管は、長大で高圧にせざるを得ず、供給単価は他県の用水供給事業と比べ、割高になった。それゆえ、低廉な料金水準を維持しようとする市町村は地下水などの自己水源を守り、県水を併用してきたが、そうした角度からの視点はない。

 30年史に早くも描かれたのは水道広域化の使命だ。当時の柿本善也知事が後継指名した荒井正吾前知事は刊行後約20年を経て県域水道一体化の道筋をつけることになった。30年史は、広域化を担う用水供給事業者としての自負を示す一方、かつて奈良盆地の市町村の多くが水源としてきた地下水についての評価がかなり厳しい。

 「(大和川水系の)地下水は水質に恵まれず、いわゆる『かなけみず』と称されるように鉄・マンガンの含有量が多く、飲料水として利用するために苦心されてきました。また、水量も豊富ではありませんでした」と記す。

 県内市町村で地下水揚水量が最も多いのは大和郡山市だ。記者は現状を知ろうと、市情報公開条例に基づき関係文書を請求し、市はこのほど「自然水位・運転水位・揚水量」の記録を開示した。

 現在、30井(せい)の深井戸から水をくみ上げることが可能。古い記録となると市営北郡山浄水場の1960年前後のデータまでさかのぼることができる。掘った井戸の水が静止した状態の「自然水位」はほぼ横ばいとなり安定している。井戸によっては「自然水位」が、いったんは下降しながらも長期的には横ばい傾向であったり、中には微増したりする井戸もある。

 「かなけみず」と県水史は言う。市営北郡山浄水場は、その原因、鉄やマンガンなどを生物接触ろ過施設によって除去し、薬品の使用を抑えている。稼働したのは30年史刊行の7カ月後の2001年10月。市は「21世紀の浄水システムにふさわしい施設」と胸を張った。

 また、地下水を水源とする同市営昭和浄水場の水は、大滝ダムを水源とする県営御所浄水場の水とブレンドされ、味に課題があるとは思えない。

 江戸時代にさかのぼって地下水を考察したのが「奈良市水道50年史」。この時代は同市内に20数軒もの造り酒屋があった。井戸水は酒造りに合う良質な硬水で、たるによくなじんで良い酒ができる。水質に問題はないが、清水の湧出する地域が限られ、量も少ないため、井戸のある家を買い取ってまで水を確保した蔵元もあったという。よって生産量は小規模にならざるを得なかった。対照的に灘(兵庫県)は、浅い井戸から良質な水が大量に出て運搬の便も良く、生産地が移っていく様子を50年史は描いている。

奈良県域水道一体化の主要水源、大滝ダム=2023年4月27日、川上村

奈良県域水道一体化の主要水源、大滝ダム=2023年4月27日、川上村

吉野川分水の過大評価

 県水30年史は吉野川分水について「奈良県民300年来の悲願が成就」と絶賛する。元禄期に御所の庄屋、高橋佐助が分水を構想したと伝えられ、そうした年数をもって語られている。

 吉野川分水は大淀町下渕の吉野川の頭首工から奈良盆地へ農業用水を送る。県営水道は下市町新住の吉野川の取水施設から地下の導水トンネルを経て御所浄水場に送水、市町村に供給される。

 すべての県民の悲願だったような書きぶり。しかし農業就業人口が多い県内上位4市村(トップから順に山添村、五條市、曽爾村、御杖村)はいずれも吉野川分水の受水地域ではない。

 奈良盆地においても、富雄川右岸の大和郡山市内の農地、白川ため池から受水する同市内の農地、桜井市の倉橋ため池から受水する橿原市内の農地、花き栽培で知られる平群町などへは、吉野川分水は来ておらず、悲願成就という実感はなさそうである。

 また、吉野川分水の基底を成す4つのダム建設により立ち退いた川上村、吉野町、旧大塔村(現・五條市)の人々もまた県民である。県水30年史が底本とし、県が編集した「吉野川分水史」には、ダムに翻弄(ほんろう)された川上村の記述が1行もないと、住川逸郎村長(当時)は違和感を持っていた。

 農業用水の大迫ダム、水道の大滝ダム(主目的は治水、一部電力)共に着工当時は地元川上村で激しい反対運動があった。産業のない寒村ではない。国内屈指の住宅用材を産出し、吉野林業が黄金時代を迎える時期とも重なり、反対は一理も二理もあった。

 ダムの立地に協力した市町村に財政の優遇をする特別立法(水特法)の恩恵を大迫ダムは受けることができなかった。同じ村が編さんした「大滝ダム誌」(2018年)と比べ、「大迫ダム誌」(1983年)の記述は、国、県に対して格段に厳しい筆致を貫いている。本当の哀史といえるだろう。

続編が必要だ

 県営水道の創設期。奈良市を除けば、市町村が新たな水源を開発することは、財政力や水利権取得などの問題から不可能だったと、県水30年史は断じている。

 刊行後ほどなく、誕生した新市の葛城市は、江戸時代に築造されたため池に着目し、水利組合の協力を得て市内8カ所の池を新たな水道水源とし、市営浄水場とつなぎ県内一安い水道料金を達成した。

 県の当初の一体化構想は水源をダムのみとし、11カ所の各市営浄水場を廃止するつもりだった。ところが給水人口最大の奈良市が協議から離脱し、葛城市も不参加を決断。ゆとりある奈良市の水源(布目ダム、比奈知ダム)を生駒市に送水する計画は見送られた。県は水道の広域地図を見直し、30年史でけなした地下水を水源とする2カ所の浄水場存続を決めた。

 一体化計画では、中心市街地にあって地下水100%の水道水を供給する大和郡山市営北郡山浄水場は廃止となる。暮らしに身近な頼れる水道水源として地下水の評価が決して低くないことは、今年1月、市が開いた県域水道一体化説明会に参加した市民の意見からもうかがえる。一体化参加を巡って市議会の賛否は拮抗している。

 地下水の施設は比較的渇水や地震に強いともいわれる。県水30年史には、県域水道一体化の水源の一つとなる室生ダムが1990年、75日間にわたり渇水に見舞われたときのことが出てくる。9月14日、ダムの貯水量は7%まで減少し「あと5日分しか供給できない」という危機的な状況で、県水道局の職員は宇陀水分神社に神頼み。台風21号がもたらした雨で救われたという。

 県水50年史は刊行されなかった。その空白の20年を埋めるとしたら、大滝ダムが地滑りを起こして完成が10年遅れ、長引く対策工事により県の負担金も上昇したことを県民に伝えることが大事だろう。

 さらに、この大容量の貯水池が水道水源として相当なゆとりができたことを背景に、目覚ましい勢いで市町村の県水転換が進み、県の指導の下、地下水の浄水場を廃止する市町村が相次ぎ、県水100%に切り替わる市町村が続出した事実を中心にもってくることができる。これこそが、来たる県域水道一体化の前夜の姿だ。50年史の編さんが求められる。 関連記事

読者の声