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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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コラム)学びなおす/政治と憲法の風景・川上文雄…1

筆者のアートコレクションから吉元敦也「砂紙」

筆者のアートコレクションから吉元敦也「砂紙」

 2016年の3月まで29年間、奈良教育大学の教員でした。所属は社会科教育講座、分野は政治学。定年退職後は同じ大学で非常勤講師を4年、それも今年の3月で辞職しました。もう教壇に立つことはありません。しかし、これまで授業を準備しながら考えたこと、授業で話したことを振り返りながら、政治と社会の課題・問題を考え続け、それを文章にして発表したいと思うようになりました。

 コラムのタイトルは「政治と憲法の風景」です。授業からは解放されましたが、授業に込めた思いはそのままに、一人の市民として「政治と憲法の学びなおし」を続けます。執筆の場を提供してくださった浅野善一さんに深く感謝いたします。コラムが回を重ねて、ひとつの風景が見えてくることを願っています。

60歳過ぎて憲法に真剣向き合い

 日本国憲法を頻繁にとりあげます。実はかなり最近まで、この憲法をていねいに読むことがありませんでした。大学院生のころまで、おりおりの授業を通じて一応は知ったつもりでいました。その後は、若いころの研究対象がルソーやロックなど近代の政治理論家だったので、近代憲法に関わる原理的なことは分かったつもりになっていたのです。授業でも憲法をほとんど取り上げませんでした。

 それが変わったのは、第2次安倍政権が2012年12月に発足して間もなくのころからでしょうか。「学びなおし」が始まりました。たとえば「健康で文化的な最低限度(の生活)」とはどの程度のことなのか、第13条の「幸福追求の権利」は何を意味するのか、など憲法をていねいに読み深め・読み広げ、それにいろいろ肉づけして、現実の社会で生起しているできごとを解説する際に使うかたちの授業が増えていきました。

 なにかにつけて「世界憲法集」(岩波文庫)を開くようにしていると、いろいろなことが見えてきました。たとえば、教育に関わる第27条。「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」とある。能力がありながら学ぶ機会を奪われた人たちのことが念頭にあったのでしょう。しかし、なぜ「必要に応じて」―せめて「能力と必要に応じてひとしく」―と書かなかったのか。基本的人権であれば「必要に応じて」がふさわしい。

 あるいは、第92条から始まる「地方自治」の章。なぜ最初の条は第13条にならって―「個人として尊重される」を読み替えて―「すべて日本の地域は、個々の地域として尊重される。生命、自由、及び幸福追求に対する地域の権利については、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする」と宣言しなかったのか。第25条の「生活」を「地域生活」と読み替えるのも一案だったかもしれない。

 「憲法という乾いたテクストにどうやって生気を吹き込むのか」と言ったのは内田樹(うちだ・たつる)さん=武道と哲学研究の学塾・凱風館を主宰=ですが、私の思いも同じです。自分自身で憲法に生気を吹き込む努力を始めるまでは、その人にとって「押しつけられた憲法」ではないでしょうか。「アメリカから押しつけられた」なんて言う人がいますが、私にはそちらの「押しつけ」の方が重大です。

「学びなおし」できないでいた学生たち

 私の授業の特徴は「政治からの脱線」でした。授業の終了時に受講生が回答する「授業評価アンケート」なるものがあります。私の大学では20年近く前に始まりました。形式が変わって自由記述の欄が加えられて後からは、「政治学概論」など私の授業への要望として、「もっと政治のことを話してほしかった」と書いてくる学生が時々いました。

 最終の2019年度は「自分の趣味の押し付けだった」という苦情をもらいました。たしかに、いきなり第1回の授業で認知科学・教育学の佐伯絆(さえき・ゆたか)さんが美術教育学会でおこなった講演―「絵的思考」の重要性を強調した講演―の話をしたので、それが評価に影響しているのかもしれません。その他の回でも、いろいろ取り上げました。

 政治について考えるのが政治学の授業なのだから、考えることについて教えてくれるものは、どの分野のものであれ役に立つはずです。学生たちは教科書で扱われる「政治」に縛られているのかもしれません。「政治の制度」についての話だったら教科書で学んだことの繰り返しだから、何となくわかった気分になれそうです。それにしても、政治以外のさまざまな分野の出来事からも政治と政治的思考についての気づきを得ることができるのに、その可能性を閉ざしてしまうのは残念です。

 書物・文章についても同じです。さまざまな分野の人たちの、実に多くのすばらしい言葉があります。授業ではそれらを紹介するように心がけていました。

 政治について考える基礎力を身に付けてもらうための授業はなにかを模索して、NHKテレビの「クローズアップ現代」を利用するようになりました。憲法の学びなおしを始めたのとほぼ同じ時期です。2012年11月に番組ホームページに変化があり、放送各回の音声をすべて「文字起こし」した資料―当時は「放送まるごとチェック」と呼ばれていた―が入手できるようになりました。そこで「資料を読んで文章を書く」という作業をとり入れるようになりました。

 考えることの基礎の一つは(すべてではありません)、間違いなく「読み・書き」の能力=言葉を使う能力です。しかし、ある年度の「政治学概論」の授業ではこれをやりすぎて、アンケートに「国語の授業のようだった」と書かれてしまいました。やり方が未熟であったことはいうまでもありません。

 そのことは棚に上げて、私の専任教員時代に書いた最後の論文は「教科書のなかの『政治』を超えて―NHK『クローズアップ現代』の全文テキストと市民性教育の基礎」(2016年) でした。核心部分(「3.全文テキストによる生存権学習」)を以下に引用します。

 最も重視する全文テキストは、事故・被害(災害)に関するものである。政治の課題もそこに集約的に現れる。被害者(死者と傷者)がいる。これが生存権の根底にある身近な現実問題である。その点に注目するならば、生存権の授業は「命の尊厳の授業」になる。本節は「知らされなかった危険―胆管がん 相次ぐ死亡報告」による授業実践を考察する。

 【同後記】番組は2012年9月26日に放送。大阪の印刷会社で複数の従業員が化学物質の影響で胆管がんにかかり、死亡していた問題を取り上げたもの。全文テキストはメニュー「これまでの放送」から入手可能。「欧米では20年以上前から危険な化学物質の管理と危険情報の公開を徹底してきたが、日本は大きく立ち遅れている。従業員は危険を知らされないまま働かされているのが実態だ」とある。

 学生たちのことばかり言ってはいられません。一般読者に向けてコラムを書く経験は初めてなのですから、文章を書くことの「学びなおし」を肝に銘じる必要があります。(おおむね月2回更新予定)

川上文雄

かわかみ・ふみお=客員コラムニスト、元奈良教育大学教員

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