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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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コラム)ささやかでも豊か 憲法25条「最低限度の生活」/政治と憲法の風景・川上文雄…2

筆者のアートコレクションから光島貴之「無題」。作品に添えられた作者からのメッセージ「気分が沈んできたら、この渦巻きを指でなぞってみてください。きっと元気が沸き起ってくるはずです」

筆者のアートコレクションから光島貴之「無題」。作品に添えられた作者からのメッセージ「気分が沈んできたら、この渦巻きを指でなぞってみてください。きっと元気が沸き起ってくるはずです」

日本国憲法第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 コロナ禍のなか「新しい生活様式」という言葉が使われ始めた時代。日本国憲法第25条は何を語りかけているのか。条文にある「健康で文化的な最低限度の生活」の「最低限度の生活」とは、いかにも頼りなさそうな感じがします。しかし、「健康で文化的な生活」は「幸福な生活」と言い換えることができます。「幸福な生活」は「良いもの」です。「良いもの」の「最低限度」は、ささやかでも豊かな生活を示している。「生きていさえすればいい」という程度のものではない。そのように第25条を読んでみました。

「生きていればいい」にとどまらず

 憲法第25条は生存権を保障している。通常そう言われます。この呼び方でいいのか。「生存」には「なんとか生きている」という語感があります。この語感は「ヘリコプターが森林地帯で墜落、生存者がいる模様」など、テレビのニュース速報での使われ方からもうかがえます。生存権では、前段で述べたような「(ささやかでも)豊かな生活」という積極的な意味は伝わってこない。緊急事態に直面して助けを待つ「弱者」にとっての「最低限度」という印象を持ってしまいそうです。

 生存権という呼び方には、次のような憲法制定時の経緯が関係しているようです。

 小池聖一・広島大学教授の文章(「朝日新聞」2016年6月7日朝刊)によると、第25条は経済学者で衆議院議員の森戸辰男が主張して追加されたということです。森戸は「餓死者が出ると恐れられた戦後という時代、米国が重んじた基本的人権を憲法に盛り込んでも、肝心の国民の生命が損なわれてしまっては何もならない。『最低限度の生活を営む権利』を憲法で保障すべきだ」と考えた。

 生存もままならない終戦直後という緊急な事態を前提につくられた生存権の条文。現在もこの名称が通用している。ただし、森戸は「当然、その後の発展、変化した経済状況に適した内容の生存権が追求されるべきで、条文も改正されて当然と認識していた」そうです。それでも「今は我慢しよう、何とか生きていればいい」と読めてしまいます。

英語版で価値を再認識

 森戸の念頭にあったという憲法改正は必要なし。「健康で文化的な最低限度の生活」は、そのままで「豊かな生活」を示している。英語版(公布時にすでに存在)を参照しながら、そのような読み方をこころみます。

 “the minimum standards of wholesome and cultured living”をどう読むか。まず“cultured”(文化的な)から。これは美術館など文化的施設に行くなどの個別的な事例に限定しない。ひろく「生活の質」を示す単語であると解釈します。つまり「時間をかけて育てられた」「世話(ケア)をしっかり受けた」という質を示す単語である。そのように主張する根拠は、ひとつに“cultured”の語源が「(土地)を耕す」という意味をもつ単語であること、そして“cultured pearl”(養殖真珠)という用例があることです。

 つぎに“wholesome”。これは「身体的・精神的に病気がなくて健康」という意味に限定されない。英和辞典は「健康な」のほかに「健全な」の語意を挙げています。「健全」の「全」は「全体の全」。たしかに、単語のなかの“whole”には「全体」「有機的統一体」「欠けたところのない」という語意があります。このことから、この単語は生活全体の質を表すものと考えることができます。ちなみに、私の「角川必携国語辞典」は「健康」の項目に「健全」についての解説があって、「弱いところ、いたんだところがなく安定していること」としています。この「安定している」あたりに「生活の質」につながる要素をみてとれます。

 “wholesome and cultured”は異なる2つのものを単純につなげているのではありません。全体として「生活の質」を表現しています。それでは「健康で文化的な最低限度の生活」はどのような質の生活になるのか。「ささやかではあるが豊かな生活、ゆとりを感じられる生活、長期的に不安のない生活」と言っても、的はずれの読み方ではないでしょう。

 「最低限度」も確認して、全体の語句の意味を確定します。“minimum standards”(ミニマム・スタンダード)。“standard”に着目します。私の英和辞典には「基準、標準、規範」(名詞的用法)、「普通の、通例の」(形容詞的用法)の語意が挙げられています。この語意を生かして読むと、第25条はすべての人にとって共通の「基準」となる権利、日常において享受する「標準的な生活の質」に関わる権利を定めたものと解釈できる。緊急事態に直面して助けを待つ「弱者」にとっての「最低限度」ではありません。

 “minimum”(最低限度)が残っています。この単語に大きな意味を認めることはできません。ここまで「豊かな生活」を積極的に引き出してきた読み方をひっくりかえすほどの力はない。「豊かな生活」が基本。豊かな生活を無意味にするような「最低限度」はありえない。ささやかでも豊かな生活です。

 「最低限度」に資産・財産を含めることも可能です。そのように理解された第25条を具体化したと言えるような事例があります。2000年の鳥取地震の際、鳥取県が実行した住宅再建支援策です。住宅資産は「長期的に不安のない生活」を支えるものの一つです。国は「個人の資産形成につながる」として反対したけれど、当時の片山善博知事は実行しました。

 憲法第25条は、いろいろな政策を評価するための規準として使えるでしょう。コロナ禍により私たちの生活にかかわる緊急事態が生じています。緊急事態であればなおのこと、第25条の価値下落は避けなければなりません。(おおむね月2回更新予定)

川上文雄

かわかみ・ふみお=客員コラムニスト、元奈良教育大学教員

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