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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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コラム)選挙「特権」を終わらせた裁判/政治と憲法の風景・川上文雄…5

筆者のアートコレクションから久田奈津紀「雪」

筆者のアートコレクションから久田奈津紀(ひさだ・なつき)「雪」

 アメリカの大学院に留学していた時のこと。運転免許証を取りたくて、管轄の行政機関が発行する冊子を読むと、「免許証の取得は権利rightではなく特権privilege」の1文がありました。車社会のアメリカでは、ほぼ全員が持っている運転免許証。でも、試験を受けて能力を認定された「あなた個人」に特別に与えられるものは、権利ではなく特権なのです。

知的障害者が選挙権確認請求 

 逆に、2013年改正前の公職選挙法のように、「能力における欠陥」を根拠に選挙権から除外される人たちがいる場合、その人たちがごく少数であっても、除外のあるかぎり権利でなく特権です。実は、有権者の全員が能力判定を受けている、と言えなくもない。一般の男女の場合は「成年後見制度を利用していない」ことが、「合格」の暗黙の証明になります。

 同法第11条1項1号は「選挙権及び被選挙権を有しない者」として「成年被後見人」を挙げていました。認知症の人、あるいは知的障害・精神障害の人について、財産管理上の心配から成年の後見人をつけてよいという制度があります。「成年被後見人→財産管理能力なし→選挙権を適切に行使する能力なし→選挙権なし」という論理だったのです。

 2011年2月、名児耶匠(なごや・たくみ)さんが選挙権確認請求の訴訟を東京地方裁判所に起こします。ダウン症による知的障害を持つ女性で、2007年に父親が後見人になる以前は、選挙公報を読むなど、ごく普通に投票してきました。(名児耶さんの年齢は判決が出た2013年3月14日の時点で50歳)

 判決内容は全日本自閉症支援者協会(http://zenjisyakyo.com/data/130314hanketu.pdf)から入手の「判決要旨」、およびその元になる「判決原本」を参照しました。

財産管理能力とは無関係

 2013年3月、判決が出ます。その内容は以下のとおりです。

 様々な境遇にある国民が「どんな施策がされたら幸せか」などの意見を、選挙で国政に届けることが民主主義の根幹。だから、選挙権の制限には特別の理由がなければならない。

 財産管理能力と選挙権を行使する能力は無関係であるから、一律で成年被後見人を欠格とする特別の理由がない。制度趣旨のことなる成年後見制度を借用して選挙にかかわる能力判定をしてはならない。よって、公職選挙法の11条1項1号は憲法違反。同法9条1項「日本国民で年齢満18年以上の者は衆議院議員及び参議院議員の選挙権を有する」にもとづいて原告の選挙権を確認する。

国「能力による排除は正当」と主張

 国側の主張の要点は「一律に欠格とするのは違憲であったとしても、一律に選挙権を認めるのは問題」「能力による排除は基本的に正当」ということでした。「(当該条文が)違憲無効とされた場合でも、裁判所が直ちに同法9条1項を適用して成年被後見人全てが選挙権を有するという解釈をすることは、適切に選挙権を行使することが期待し得ない者を選挙人団から排除しようとした立法者の明確な意思に反することになる」。

 成年後見制度を借用せずに別の方法で能力検査をするのは問題である、と国は自覚していました。実際の運用が困難である。差別の問題もある。しかし「借用」は差別を見えにくくするだけ、意識しないですむだけのことです。本人(および親族)が申請して成年被後見人になるのだから、選挙権の「自主的な返上」に見える。そのように考えたかもしれません。

 「成年被後見人を一律排除することは違憲」という判決が出たあとで、総務省は被後見人の判断能力に応じて個別に選挙権を認めることなどを検討しはじめる。しかし、前提となる11条1項1号が、判決後2ヵ月もたたずに削除されてしまいます。

 それにしても、ここまで選挙権と能力判定を結びつけたがるのは、驚きです。前回のコラムに書いたように、納税額の少ない男性であれ、女性であれ、障害者であれ、それらの人たちを「真に対等な存在」として認めたくなければ、なんらかの能力で劣っていると理屈をつけて制限を加える、あるいは残そうとする。そのような意識を捨てられないままに、選挙に関わる法律と制度が作られ維持されてきたのではないか。

判決は重度障害に立ち入らず

 判決は、選挙権の根拠、その必要性について「様々な境遇にある国民がどんな施策がされたら幸せかなどの意見を、選挙で国政に届けることが民主主義の根幹」と述べています。しかし、これは選挙権を行使する能力のある人の思いを説明しているにすぎない。

 では「意見を届けること」のできない重度障害の人の選挙権は、どのように考えたらいいのか。重度障害の人を含めて「様々な境遇にある国民」に共通する選挙権の根拠はなにか。  

 筆者が考える根拠は「すべての人が幸福追求しているという事実」です。

 「追求」といっても、重度障害の場合は、自立した人間が個人の能力と自己責任で追い求める、ということではない。たとえば世話をしてもらうなかで「心地よい、うれしい」と感じることができる。これは、他の人との関係(=つながり)のなかで感じられ、享受される幸福です。一方的に世話をされているだけに見えるかもしれないけれど、そうではなく、みずから求めていることは間違いない。追求というよりも「希求」というべきかもしれません。

 この幸福追求のあり方は、すべての人に共通の事実です。他の人とのつながりのなかで享受される幸福。人それぞれ、さまざまな社会的関係のなかで追求している。

 幸福の要件である社会的関係は、それを支える政治制度を必要とします。その1つが民主的な選挙制度。民主的な選挙制度における選挙権は、すべての人に共通する「幸福追求の事実」に根拠がある。この選挙権は「(幸せについての)意見を選挙で届ける」能力がないからといって奪われたりはしない。基本的人権の根拠は「能力」以外のところにあります。(おおむね月2回更新予定)

川上文雄

かわかみ・ふみお=客員コラムニスト、元奈良教育大学教員

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