ニュース「奈良の声」のロゴ

地域の身近な問題を掘り下げて取材しています

発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

最新ニュースをメールで受け取る【無料】

コラム)「文化」を大切にしない政治―「県域水道一体化」について/政治と憲法の風景・川上文雄…13

「コミュニティ・ガーデン」(2021年4月14日に筆者撮影)。草花を育てる水はどこから来るのか

「コミュニティ・ガーデン」(2021年4月14日に筆者撮影)。草花を育てる水はどこから来るのか

 奈良県内の27市町村と県の水道事業を1つにまとめる「県域水道一体化」計画が、県の主導で進行中です。この計画の問題点を指摘したメールが浅野詠子さん(「奈良の声」記事執筆者)から届きました。

 問題点の1つは、市町村によっては自己水源のおいしい地下水を失うのをはじめ、江戸期から使われている溜(た)め池浄水場などが廃止に追い込まれていくということだそうです。これを読んで、筆者は「文化」を軽視する計画が進行中であると考えました。

 ここで言う「文化」は、憲法25条にある「健康で文化的な生活」の「文化」に近い。生活を豊かにするすばらしいものを総称して「文化」です。水はその1つ。産業(農業、醸造・酒造ほか)を支え、食生活・食文化を豊かにする。染織・和紙など美しい工芸品に良質な水は欠かせない。里山を歩けば、水に関わる風景が迎えてくれる。人びとのつながり(本コラム写真のようなコミュニティ・ガーデン)のなかにも水がある。

 さらに「地域ごとに育んできた文化」「地域の地理・歴史にねざした文化」という意味の文化がある。メールにあった江戸期から使われている溜め池浄水場はその1例です。

 「文化を大切にする政治とは何か」について書きます。「水道一体化」問題を考える一助になれば、そして文化政策・地域政策一般を評価する視点を示せればと思います。

国宝級文化財が虚飾に

 地域の自然・地理・歴史・生活にねざした文化を軽んじる。他方で、観光資源としての文化財(お金になるもの)は大切にする。最悪は、偽装された文化政策。文化の衣をまとわせながら、どんぶり勘定で予算を膨らませ、一部業者を儲(もう)けさせる。そうなっては、国宝級の文化財も、その地域にとって虚飾でしかなくなる。

 あえて「虚飾」と言いました。では、虚飾でないほんとうの装飾とは何か。装飾(飾り)は「オーナメント」。英語表記でornament。その語源はラテン語のornamentum。田川建三の解説があります。「『飾り』(ornamentum)と訳した語は、飾りというよりはむしろ、そのものを構成する全要素。たとえば家であれば、柱、屋根、床、等々がornamentumである」(『キリスト教思想への招待』70)。

 地域文化の全体を「家」と見れば、水が育む文化は「柱、屋根、床、等々」のどれかに当たり、食文化、その他さまざまな「〇〇文化」と並んで、文化全体を構成する要素の1つです。そして、水文化と食文化のように、それぞれが有機的につながって「全体」です。

 国宝・重要文化財クラスの文化財といえども、全体の1要素にすぎない。それ以外の要素を軽視すれば「虚飾」になってしまう。水は地域を輝かせる装飾の1つ。水を含む地域文化と共存してこそ、国宝級の文化財も輝きます。

巨大施設が文化を破壊

 県営水道の主水源は奈良県川上村の大滝ダム。問題を一般化すると「巨大施設がもたらす文化の危機・破壊」になります。地域の地理・歴史・自然的条件を考慮せずに巨大施設が導入されると、地域文化を破壊しかねない。

 すでに福島第1原発事故という最悪の事例があります。地震・津波の心配がないアメリカ東部の原発施設の設計プランをそのままに福島に持ってきて建設し、事故を起こしました(第12回コラム参照)。住民たちによる損害賠償請求の裁判。仙台高裁の判決文に「文化の破壊」について考えるための手がかりがあります。

 判決は、施設など物的なものが失われることで「財産的な損害だけでなく、精神的な損害がもたらされる」と述べています。このことを意識しながら、判決文に記された具体的な損害のリストをお読みください。以下、かなり長いリストからの抜粋です。(太字は筆者)

(1)家庭・地域コミュニティを育む物理的・社会的諸要素 
(例)職場・学校等を起点とした人的つながり/趣味・会議所・社交場・運動場・温泉・娯楽施設・公園等/祭り・イベント・風物詩

(2)周囲の環境・自然
(例)家庭菜園・山菜・キノコ採集・魚釣り等

(3)帰るべき地・心の拠(よ)り所となる地・思い出の地等としての「ふるさと」
(例)実家・母校・行きつけの店・駅等/想い出の場所・景色等…

 施設など「もの」を媒介にして、人と人がつながり、交際・活動が発生する。施設のある場所が風景(景色)になる。明らかに「物的なもの」と「精神的なもの」はつながっている。このつながりこそ文化の基盤です。

 水道一体化によって、市町村独自の水道施設(溜め池浄水場など)が消えていく。水をとおして結ばれた人と人の縁、人と場所の縁が消えていく。原発事故の激烈・広範な破壊とは異なり、気づきにくいかもしれない。しかし、文化の破壊には違いありません。

反文化的な政策にお金をつぎこむ

 浅野さんのメールには「あり余る県営水道・大滝ダムの水を、売りさばく狙いもあるのではないか」との疑念も書かれていました。巨大施設を中心にすえて事業を計画し、予算をつける。見渡せば、日本列島のいたるところにそのような事業計画がある。

 大阪湾に接する土地で巨大イベント大阪万博を計画し、その土地の再開発に膨大なお金をつぎこむ。しかし、南海トラフ大地震・大津波がこの地を襲うことが遠い将来のできごととは言い切れない時期に入った現在、「税金むだ使いの極み」と振り返る日が来ないともかぎりません。そして、なによりも、これは筆者が大切にしたい文化を育てる・維持するために予算をつけるのとは真逆な、反文化的な計画です。リニア新幹線も同じです。

 「災害大国と呼ばれる今日、水源それぞれの長短を検証することなしに県政は走り出した」と浅野さんは書いています。深刻な水不足が起きるときもある。災害・緊急時にどう備えるかは「文化」の問題。実際「災害文化」という言葉があり、研究テーマになっています。浅野さんの一連の記事、そしてこのコラムのような政策批判も災害文化論だと思います。(おおむね月1回更新予定)

川上文雄

かわかみ・ふみお=客員コラムニスト、元奈良教育大学教員

読者との対話