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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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コラム)「公共の福祉」を濫用してはならない/政治と憲法の風景・川上文雄…28

筆者のアートコレクションから塗敦子(ぬり・あつこ、1971年生まれ)「うま」。作者は宮城県在住。社会福祉法人仙台市手をつなぐ育成会こぶし「あーとらんどくらぶ」所属

筆者のアートコレクションから塗敦子(ぬり・あつこ、1971年生まれ)「うま」。作者は宮城県在住。社会福祉法人仙台市手をつなぐ育成会こぶし「あーとらんどくらぶ」所属

 旧優生保護法に基づく強制不妊手術の推進を目的として厚生省公衆衛生局長が実務を担う都道府県に宛てた1948年10月24日付通知の文書(以下「通知」)。さすがに法律は本人の同意なしに手術できる疾病の種類を定めただけでしたが、「通知」は手術強制の容認に踏み込んでいます。公益の実現を理由にした基本的人権の侵害としては最悪なことを容認するもので、「手術は憲法の精神に背いていない」とまで明言しています。そのことを知って、筆者は以下の文言にそって憲法を解釈してほしいという思いを強くしました。「公共の福祉(公益)を濫用して、国民の基本的人権を侵害してはならない」

 「通知」を手がかりに憲法について考えます。この文書についての情報は、先月23日開催の「知る権利ネットワーク関西 情報公開学習会」で、京都新聞記者の森敏之氏の報告と提供資料から得ました。

人としての尊厳を無視

 遺伝性の疾病に関して「不良な子孫の出生防止」を目的として1948年に施行された旧優生保護法。その3条で「(未成年者または)精神病者又は精神薄弱者については本人の同意を必要としないで優生(不妊)手術をおこなえる」という趣旨のことを定めていました。翌年に発せられた「通知」は、同意を必要としない手術をどのように推進するかについて、以下のように述べています。言葉使いは抑制的ですが、内容は人としての尊厳をまったく無視した強制手術の容認です。

 「…許される強制の方法は、手術の実施に当たって必要な最小限度のものでなければならないので、なるべく有形力の行使は慎まなければならないが、それぞれの具体的な場合に応じては、真にやむを得ない限度において身体の拘束、麻酔薬施用又は欺罔(ぎもう=だまし)等の手段を用いることもゆるされる場合があると解して差し支えない」

 なぜこのようなひどい扱いを指示できるのか。優生保護法から「通知」へ、「通知」から都道府県の現場へ。どの段階でも確固たる歯止めがなく、なし崩しの人権侵害が発生しました。〈「追記」の(2)を参照〉

「危険な物体」と見なした

 法律が挙げている「精神病または精神薄弱」はほんとうに遺伝するのか。医学的・科学的に厳密な議論ができないのでその問題には立ち入らず、「遺伝子はウイルスのように感染拡大するのか」とだけ問いたいと思います。人権侵害をしてまで手術を正当化する合理的根拠はきわめて弱いでしょう。それでもひどい扱いを指示できてしまう。意図はどうであれ、強制手術の対象者を「遺伝性疾患を社会に蔓延(まんえん)させかねない物体」と見なしたのも同然です。

 だれもが、それぞれのやりかたで社会のなかで人々と交流しながら幸福を追求する人間であること。例外はありません。それを無視して、危険遺伝子をもつ物体、「ただ生きているだけ、物体同然のもの」と見なしてしまえば、人としての尊厳を傷つけるようなことができてしまう。

「手術は公益」と主張

 基本的人権の侵害とは、人を人として尊重しないこと。以上のことから、その最悪のかたちを「通知」は容認し推進しようとしているのが分かります。しかも「公益」で正当化している。つまり、「優生保護法は不良な子孫の出生を防止するという公益上の目的を追求するものであるから、手術は憲法の精神に背くものではない」と明言します。

 公益を追求しているから憲法の精神に背いていないという主張は、きわめて疑わしい。どのような憲法解釈によって主張するのか。

13条を曲解

 憲法13条は国民の権利について「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大限の尊重を必要とする」と定めています。これをひとひねりすると「けれども、逆に公共の福祉に反する場合は、国民の権利を尊重しなくていい」となります。これが「通知」の立場です。つまり、不妊手術を受けるべき者が手術を受けないのは、公益(公共の福祉)に反することであるから、その者の権利を「国政の上で最大限尊重する必要」はなく、手術を強制してよい。憲法13条の精神に背いていない。

 しかし、13条の要点は「権利は濫用できない」ということ。手術の対象者はどのような権利を濫用しているのか。生活すること自体が権利の濫用なのでしょうか。13条の曲解です。政府に憲法解釈権があるとしても、その権利・権力の濫用です。

 筆者の13条解釈は以下のとおりです。憲法のなかには、13条のように国民の権利について「公共の福祉に反しない限り」という制約をつけた条文がある。しかし、その場合でも(文字に書かれていないけれど)公務員(国政の担当者)に対する示唆がある。それは、「国民が信託した権力を濫用するな」「『公共の福祉』を理由にして基本的人権を制限してはならない」という命令です。

 以上の解釈は、国民主権の憲法として当然の考え方でしょう。憲法とは、主権者としての私たち国民が、一人ひとりの国民(および民間の組織・団体)に対して「権利を濫用するな」と命じると同時に、国会議員・内閣総理大臣(国務大臣)その他すべての公務員に対して「権力を濫用するな」と命じたもの。

 国民による「権利の濫用」は、他人の基本的人権を侵害してまで自分の権利を主張すること。「公共の福祉に反してはならない」と言って防ぎます。一方、公務員による「権力の濫用」は、公共の福祉を理由に基本的人権を侵害すること。「公共の福祉の実現のために国民から託された権力の濫用、すなわち公共の福祉の濫用である」と言って防ぎます。「通知」は公益を理由に基本的人権を侵害したので、公共の福祉の濫用です。

 政府は「通知」についてどのような見解を持っているのか。憲法の現在と将来に関わる原理・原則の問題です。強制手術被害者たちが全国各地で起こした国家賠償請求訴訟のなかで、被告の国側は「通知」の憲法解釈を撤回していないようです。

【追記】

(1)「通知」が容認し推進した権力濫用・人権侵害と相似の事例があります。決済文書改ざんを強要して財務省・近畿財務局職員の赤木俊夫さんを自殺に追い込んだ事件。改ざんが違法であること、そして公務員の良心・人間としての良心に反することを自覚していた赤木さんは、改ざんへの反対を上司に伝えていました。しかし、財務省の上層部〈中心は忖度(そんたく)に長(た)けていて、のちに出世した局長〉の介入による組織全体の動きのなかで、赤木さん一人に「仕事」が押しつけられていきます。

 良心の自由(憲法19条)は、人間が人間らしく尊厳をもって生きるために絶対に必要であることを考えると、例の局長は「良心などどうでもよい」と無視したことになりますから、赤木さんを人間でなく物体としてあつかったも同然です。そのような行為として強制不妊手術と同様の暴力的な行為です。身体を暴力的に傷つければ精神も暴力的に傷つけることになる。精神(良心)を暴力的に傷つければ、身体も暴力的に傷つけることになる。赤木さんの自殺は自分自身への暴力。「勝手に自殺した。私はやってない、潔白だ」と責任逃れできるでしょうか。(詳しくはコラム第3回をお読みください)

(2)「通知」のなかには、強制手術実施までの「(人権に配慮した)慎重な手続き」に言及している箇所があります。しかし、その手続きが無視された事例があった。すでに「通知」自体が深刻な人権侵害を容認する文書だったのですから、そのことは不思議でもなんでもありません。さらに、「通知」は手術の実施数が重要であることを示唆していて、それも「慎重な手続き」の軽視を助長しました。京都新聞の森敏之記者が情報公開請求により入手した滋賀県の文書を通じていくつかの事例を確認しています。その1つ。滋賀県は施行令に反して、手術の公益性を判断すべき審査会を開催せず、書面だけの「持ち回り」審査で10人中4人の女性の強制不妊手術を適としました。なお、「通知」の正式名称は、厚生省公衆衛生局長通知「優生保護法第十条の規定による強制優生手術の実施について」。京都府立京都学・歴彩館所蔵です。

 以上(1)と(2)の共通点。赤木さん事件は財務省から近畿財務局へ、「通知」は厚生省から都道府県へという中央・地方の流れがあります。大きな集団が個人を傷つける構図があります。

(おおむね月1回更新予定)

川上文雄

かわかみ・ふみお=客員コラムニスト、元奈良教育大学教員

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