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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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コラム)「異説・日本人ファースト」―参政党に問い返す/川上文雄のじんぐう便り…20

「さをり織り」のコースター。奈良市の「NPO法人マーブル」より購入した作品を「染司(そめのつかさ)よしおか京都店」で購入した布に重ねた

「さをり織り」のコースター。奈良市の「NPO法人マーブル」より購入した作品を「染司(そめのつかさ)よしおか京都店」で購入した布に重ねた

 「日本人ファースト」。参政党が7月の参議院選挙で使ったキャッチコピーです。これに「人間にファーストもセカンドもない」と投げ返すのは後回し、このコピーを引き受けて自分自身で「日本人ファースト」を考えました。たどり着いたのは参政党から遠く離れた「異説・日本人ファースト」です。

 「外国人よりも日本人を大事にする、優先する」という参政党の主張には、ファースト・セカンドの序列があります。しかし「序列のない、相対的でなく絶対的なファースト」もある。「他のことは考えないで、なによりもまずそのことだけを真剣に考える」こと。これだと外国人のことを持ち出さない。つまり「日本人ファースト」は「日本人は日本人を大事にする」になる。

 これが「異説」の出発点。一歩進めて「日本人は日本人を大事にする」に言葉を補います。「日本人は、大事にされていない日本人を、大事にする」となります。

 たしかに日本社会にはさまざまなかたちで大事にされない人たち、不利益を被っている人たち、苦しめられている人たちがいます。

 たとえば非正規雇用の労働者。正規雇用の労働者に対する賃金格差がどんどん拡大している(最低賃金に近いレベルの人は「非正規」が圧倒的に多い)。そして、何種類もの困難を抱える「多重不利益」の人たち。すぐに浮かんだのは、非正規雇用の独身女性で子育て中の人。子どもに満足に食べさせられないなど、困難は深刻です。

 優越的な地位・権力の悪用で苦しめられている人たちもいます。旧統一教会はその事例の1つ。教会が信仰心につけこむなどの方法で信者の心を支配し(優越的になり)、多額の献金を要求して信者とその家族を苦しめました(今も苦しんでいる)。この事例では多くの政治家・議員が教会とつながることで「権力と地位の維持」という利益を享受しつづけ、その人たちの苦しみを放置しつづけた。「自分ファースト」。日本人を大事にしなかった。

 「大事にされず苦しめられている日本人」とは誰のことか。選んで「日本人は日本人を大事にする」考えてみてはどうでしょう。「自分こそ苦しめられている日本人だ」と思う人、「苦しめられている日本人」に気づいて「日本人である私は、苦しめられている日本人を大事にしなければ」と思う人、まだほかにもいろいろあるでしょう。

 私は「沖縄県民」を選びました。「(私以外の)苦しめられている日本人」です。

 「沖縄県民=日本人」を大事にするのであれば、「沖縄戦」(1945年3月から1945年9月まで)の犠牲者を無視することはできません。

 沖縄戦では本土決戦を遅らせる日本軍の「捨て石」作戦により、多数の住民を巻き込んで時間稼ぎの戦闘がおこなわれました。民間人の死者は約9万4千人(当時の沖縄県の人口約49万人)。これは日本軍の死者数とほぼ同数(ただし、軍の戦死者には現地召集の沖縄県民約2万8千人が含まれる―これはすごい数字です)。仮に「軍は沖縄を守るために戦った」と言えたとしても、「領土は守ろうとしたが、県民は守らなかった」(東浩紀)という基本を否定できるでしょうか。沖縄県民に対する敬意、同じ日本人としての同胞愛を欠いた作戦でした。

 「沖縄県民を守らなかった」という基本的事実を認めない主張があって、現在も沖縄県民はこの「無理解」に傷つき苦しめられています。沖縄県民を大事にするというのであれば、事実にもとづき、県民の心情によりそった歴史理解を第一にすべきでしょう。「まず、そのことをだけを真剣に考える」という「ファースト」です。

 そう考えると外国をもちだすことはできません。「悲劇の原因をつくったのは沖縄に攻め込んだアメリカ軍だ、日本軍ばかり悪くいうべきでない。それは自虐史観だ」などとは言えなくなる。「自虐史観だ」と批判したら、事実にもとづかない自分好みの歴史観、「自分ファースト」の歴史観になってしまいます。参政党代表・神谷宗幣氏の「沖縄戦」理解にはそのような歴史観があると考えています。

 今も続く沖縄県民の痛み・苦しみに共感する。これが「日本人(=沖縄県民)を大事にする」ということです。

 「共感」について牧野篤氏(社会教育)が重要な見解を述べています。

 コンパッション(Compassion)は共感と訳されたりします。パッション(Passion)は 悲しみや苦しみを表す言葉が語源。そしてコン(Con)は共と訳されますが、いわゆるシェアという感じではなくて、分かち持つ、自分事にするという意味です。ですからコンパッションとは共感なのですが、本当は人の悲しみや苦しみを分ち持って自分事にするという意味なのです。(「『ちいさな社会』を愉(たの)しく生きる」、2024年、さくら舎、5~6ページ、下線筆者)

 沖縄に限らず「苦しんでいる人を大事にする」について当てはまる見解だと思います。それでは、牧野氏の「自分事にする」を沖縄に当てはめるとどうなるか。私は、以下のことを考えました。「日本国民はその一部である沖縄県民(の誰か)が傷つけられたら、『それは日本国民全体を傷つけることであり、その一人である私を傷つけることである』くらいの強さで共感する」

 ただし、牧野氏のいう共感が起動するには、「過去にどんなにひどいことがあったか」「今もどんなにひどいことがあるのか」、具体的な事実をしっかり知っている必要があります(「追伸」参照)。身に刻んで忘れないことです。そうでなければ、「うわべだけの共感」になってしまいかねません。

 すでに書いたように、参政党の「沖縄戦」理解とは基本的な違いがあります。そして「共感」についての「異説」の考え方にどの程度共感してくれるか、はなはだ心もとない。

 以上が参政党から遠く離れた「異説・日本人ファースト」です。いや、もう1つありました。「人間にファーストもセカンドもない」についてです。「異説」はそれと対立しません。日本国内で外国人が苦しめられていたら? 「日本人」を「外国人」に入れ替えるだけでいい。「日本人は苦しんでいる外国人を大事にする」。理由は「人間の苦しみにファーストもセカンドもない。日本人も外国人もない」からです。歴史上の出来事も大事にするなら「過去に苦しめられた外国人」も入ります。たとえば関東大震災での朝鮮人虐殺。犠牲者をどのように追悼したらいいでしょう。

 参政党はすでに「『日本人ファースト』は選挙のための一時的なキャッチコピー、執着しない」という趣旨の発言をしています。それなら今後は「異説・日本人ファースト」で行きませんか。参政党以外の政党・議員のみなさんはどうお考えですか。

【追伸】

 「軍は沖縄という領土は守ったが県民は守らなかった」ほか、東浩紀の重要な論点は「沖縄の苦しみに思いを馳(は)せず 西田議員『認識』の問題点」(AERA、2025年5月26日号)で読めます。西田議員を擁護した参政党の神谷代表の歴史認識も取りあげています。(https://dot.asahi.com/articles/-/256887?page=1)

 沖縄戦における日本軍の「同胞愛の欠如」(蛮行)については以下の本があります。

林博史「沖縄戦が問うもの」(2010年、大月書店)
林博史「沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか」(2025年、集英社新書)
川満彰「沖縄戦の子どもたち」(2021年、吉川弘文館)

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コラム)本土にとって沖縄とは―「外地差別」を考える/政治と憲法の風景・川上文雄…32(最終回、2022年10月11日) こちら

(随時更新)

川上文雄

 かわかみ・ふみお=客員コラムニスト、奈良教育大学元教員、奈良市の神功(じんぐう)地区に1995年から在住

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