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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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ジャーナリスト浅野詠子

関西広域)ハイカラ親しまれたマッチ箱ラベル 大正期新興美術運動の渋谷修デザイン 兵庫・西宮の市道さん発見

市道さんが特定した渋谷修デザインのマッチ箱(市道さんの著書「渋谷修の見つけ方」から)

市道さんが特定した渋谷修デザインのマッチ箱(市道さんの著書「渋谷修の見つけ方」から)

刊行された「渋谷修の見つけ方」

刊行された「渋谷修の見つけ方」

市道和豊さん

市道和豊さん

 大正期の新興美術運動で活躍した洋画家、渋谷修(1900~63年)が昭和の初めごろに描いた広告マッチ箱のラベルを兵庫県西宮市甲子園七番町の近代版画研究家、市道和豊さんが発見した。当時「燐票」(りんぴょう)と呼ばれ親しまれたハイカラなデザインを、新刊の著書「渋谷修の見つけ方(下巻)」で多数紹介している。

 市道さんは昨年12月、大阪市北区内の古書店で、マッチ箱のラベル約1500枚が貼られた冊子を見つけ購入した。収集家のものだったらしく、貼り込み帳と呼ばれる。市道さんは10年にわたり渋谷の画業を研究しており、まず6枚を渋谷作品として割り出した。

 渋谷が得意だった帆船の図柄も見つかった。また昭和初年、雑誌「グロテスク」に渋谷が描いた挿絵とまったく同じラベルもあった。渋谷の絵がデザインされたマッチ箱がある大阪・道頓堀の「城の酒場」、京都・四条西洞院の喫茶店「くろふね」のそれぞれの経営者は、本人とゆかりの人物だったという。

 渋谷は大正期に旗揚げした未来派美術協会に加わり、未来派を首唱した奈良市出身の洋画家、普門暁、後に大阪府北河内郡四条村(現・大東市)にアトリエを構える彫刻家の浅野孟府らと共に1921年11月、大阪市内の会場などに出展。4年後、村山知義ら前衛美術家たちが結集した「三科」の同人になり、築地小劇場の三科劇にも出演した。

 その後の足取りはほとんど不明になっていたが、戦前に流行した蔵書票を手掛けていたことを市道さんは突き止め2011年、「渋谷修~アバンギャルドから消された男」を刊行した。渋谷の描いた下絵は、元浮世絵職人の彫り師や摺師(すりし)によって見事な芸術品となり、本の所有者が本の見返し部分に貼る独特なラベル蔵書票として残っている。

 マッチ箱の絵柄は昭和初年、その出来、不出来がカフェーやキャバレーなど、遊興を伴う飲食業の営業成績に影響したと市道さんはみる。便利な着火装置として普及するにつれ「燐票(マッチラベル)収集」をする同好者たちの会ができ、交換会に発展し、やがて自作のマッチを木版業者に製作させる趣味人たちが登場したと、市道さんは「渋谷修の見つけた方」の中で述べている。

 今回の発見につながった古書店訪問からほどなく、市道さん方に東京都内の古書店からカタログ販売の在庫目録が郵送されてきた。そこに「商業燐票貼込帳」が出ており、すぐに注文した。約1000枚(500組)あり、これらのうち相当な割合のものが渋谷の作であることを同著で解読している。

 市道さんは「マッチの仕事は渋谷の生活を助けたことは間違いない。フルーツパーラーの老舗・八百文の経営者も彼を支え、ラベルを作らせた。当初は渋谷のマッチと絵はがきで2部構成にする予定だった。絵はがきはもっと迫力があるので、先に刊行したマッチの特集をあえて下巻とし、絵はがきの特集号を改めて出したい」と話している。

 「渋谷修の見つけ方(下巻)」は送料込みで2000円。B5判、75ページ。申し込みは市道さん、電話・ファクシミリ0798-48-6079。【関連記事へ】

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