講演録)情報公開請求20年~加工されていない行政の“原情報”を読み解く
大滝ダムの貯水地横断橋。橋がつないだ集落は、試験貯水中の地滑りで離散した=2021年9月16日、川上村白屋付近
(本稿は、浅野詠子が「奈良の声」や著書などで伝えてきた自治体や国の情報公開制度の課題を踏まえ、2021年8月7日、奈良市西部公民館で開催の市民有志勉強会で講演した内容を修正し再構成したものです)
私は、調査報道の一手段として20年余りにわたって国、自治体の情報公開制度を活用してきました。
広報などの「お知らせ」とは違い、加工されていない行政の原情報に向き合ってきました。たいていは素っ気ないなりをしています。砂をかむような日々であります。長年やっていますから、有用な公文書に時には出くわします。まず印象に残る2例を紹介しましょう。
ある復命書が語る国家の巨大ダムの問題
最近の出来事をお話します。このところ、気候変動によるものか、異常豪雨によってダムが満水に近づくスピードが速くなってきたといわれます。各地のダムがいちいち緊急放流(異常洪水時防災操作)をしていたら、下流住民はいつも不安にさいなまれることになります。そこで国は一昨年の冬より、台風などが接近してくることが気象予報で分かる3日前から、ダムの貯水を事前に放流し、洪水調節容量を高めようという政策に転じました。
私たちの大和川水系をはじめ、淀川水系の布目川や紀の川水系の吉野川のダムなども、みな事前放流の対象になります。まずは近畿最大級の治水対策量を誇る大滝ダム(国土交通省、川上村)は、どのような体勢で放流するつもりなのか、私は関心を持ちまして、昨年、大阪の同省近畿地方整備局で開かれた流域ごとの初会合の中身について開示請求しました。
その結果、事前放流の課題“以前”の問題があることが分かりました。そもそも大滝ダムは本来の洪水対策機能を十分に発揮していない、という根本的な課題です。
従って、事前放流の量もかなり少なめに予定されています。こうした事態に対し、ダムの下流に当たる和歌山の県庁職員が国交省の担当者を厳しく批判している場面が開示されました。
なぜ大滝ダムは本来の機能を発揮できないのか。近畿地方整備局に事情を聞いたところ、ダム下流の和歌山県側の紀の川に、今も堤防が整備されていない区間があり、当初の設計通りに放流できないというのです。大滝ダムの本体工事に地元が合意したころ、国は住民にどう説明していたか。今後、伊勢湾台風クラスの大雨に再び見舞われたとしても、「紀の川流域74万人の生命を守る」と豪語しているのです。
それにしても和歌山県の人は国に対し遠慮無く抗議するものだと感心します。この文書、どこから出てきたと思いますか?
実は奈良県水道局の職員が作成した復命書に出てきたのです。意外な部署に面白い文書が紛れていました。公文書というのは、請求する者の意図を超えて、「付属」してくるものがある。これが意外にジャーナリズムの側にとって有益な情報だったりする。こちらとしては、行政がどんな文書を保有しているのか、よく分かりませんから、予期せぬ収穫もあるのですね。
一方、私は和歌山県庁に対しても、奈良県庁と同時に事前放流会議の復命書を開示請求していたのですが、残念ながら「文書不存在」でした。出席していた和歌山県河川課の職員に尋ねると、近畿地方整備局において事前放流の会議があった昨年1月、管内全体の担当者の会合が終わった後「紀の川流域の関係者の方は残ってください」と指示されたそうです。「これは正規の会議とは違うだろう」と和歌山県職員は判断し、復命書に残さなかったと話しています。紀の川流域の会合なので、奈良県の担当者もそこにいました。県水道局は紀の川のダムから水を引いて市町村水道に供給しているので、関係者として出席し、復命書の中に例の抗議発言を記録し、開示したのでした。
消防職員のミスを忠実に記録し、開示された公文書
奈良市消防局=2021年9月12日、奈良市八条5丁目
次にお話する事例は、奈良市役所が初めて情報公開制度というものを創設したころの話で、ずいぶん昔のことです。
みなさんの水道水源、同市阪原町の白砂川(木津川水系)近くの路上においてガソリンスタンド所有のタンクローリーから重油と軽油が漏れる事故が発生し、河川を汚染したことがあります。1998年のことでした。同じ事業所の車輌が2度も続けて同じような事故を起こしていたので、行政指導は一体どうなっているのか、奈良市に関連の文書を開示請求し、調査報告書を入手しました。
この文書を作成したのは、市消防局の予防課という部署の管理職です。これによると、事故現場を管轄する東署(同市大柳生町)の警防第1係から2月19日午後2時30分ごろ、本部の予防課課長補佐に次のような内線電話が入ります。「阪原町で油漏れがあり白砂川に流出し、簡易水源が汚染していると、近所の人から通報があったが、予防課は知っていますか?」
予防課の課長補佐にとっては初耳です。早速、市役所の東部出張所の所長に問い合わせたところ、その日の朝、東署の消防士2人と市水道局職員とが現地調査に出向いていたことを知ります。しかし「大したことがないので、何もなかったことにしておこう」と口裏を合わせ、そのままにしておいたことが公文書から分かります。油漏れ事故の発生は18日10時ごろ。その夜、町内会の寄り合いでも話題になり、消防士の1人が耳にしていたことも、同じ公文書に出てきます。
はるか遠く、あやめ池地区など市西部の約3000世帯から「水道の水が油臭い」という苦情が市役所に殺到します。市営緑ケ丘浄水場で処理された水道水ですが、住民の嗅覚によっても異変が察知されたことになります。
職員351人が出動し、市営須川ダムに漂う油を回収しまして、水質の浄化作業が行われます。消防署の覚知から初動まで、実に7時間30分も経過していたことが開示文書から判明したのでした。
当時、私は地元紙に勤務し「奈良市消防が現地の油膜を軽視し、初動遅れる」と大きく報じました。真っ正直な調査報告書を書き残し、保管し、公開した職員の側は、記事を見て、どう思ったでしょうか。
できて間なしだった情報公開制度。こんなふうに暴露されてしまうのか…正直者が馬鹿をみるのか…と違和感を持った職員がいたかもしれません。正確に公務の記録を残し、それがために新聞でたたかれてしまったわけです。
ときの為政者にとって、都合の良いことも悪いことも出てくる。民主主義の通貨ともいわれますね。当時、奈良市の情報公開条例は、誰でも利用できるというわけではなかったのですが、私は在住者という要件にパスして開示請求することができました。
奈良市の情報公開制度は、藤原明市長の時代に改良され、以来、小学生でも外国人でも誰でも市の公文書を開示請求する権利があります。このときの改正により、条例に「知る権利」と「説明責任」を明記し、公務員氏名の原則公開の決まりも明記しています。
県域水道一体化の試算、非常に細かい数字の羅列
私の20年余りの体験、およそ7000日にわたる情報公開請求の取り組みについて本日、わずか90分でお伝えするのですから、少しは面白く語ることはできます。しかし普段は、無味乾燥にしか映らないような公文書を縦から横から眺めたりして格闘しています。
お配りしたA3用紙の1枚ですが、これは奈良県水道局が開示した県域水道一体化計画に向けた財政シミュレーションのうちの1枚です。県が開示したそのままの実物を複写しみなさんにお配りしています。
非常に細かい数字が並んでいて、肉眼では読みにくいですね。これ、そのままの形で水道局内の組織で共有化し、討議のたたき台にしているのでしょうか? 拡大し、専門用語の註釈などないと、とても読めた代物ではないが、では、拡大したり、註釈をつけたりしたものは存在するのでしょうか。それらも、れっきとした公文書に該当すると思います。
(ここで講演会を主宰する吉田佑子さんから「虫眼鏡を3個持ってきました。お使いになりたい方どうぞ」の声あり。会場から笑いが漏れる)
県域水道一体化の関連では、県がコンサルタント会社に発注して作らせた市町村浄水場廃止効果額の試算なども開示請求しましたが、これも読みにくい。こんなものをポンと請負先の県に納品するものですかね。
一応、入札をして業者を決めていますが、予定価格と最低制限価格を事前に公表している。全国でも珍しい県です。これにより全社、同額の最低札を入れて、くじ引きで落札しています。2度目の入札は価格競争が行われたそうで、やはり同じ業者が落札しました。
いちいち何千万円もかけてコンサル任せにせず、私たち県民の水道事業の重大な変更を決めていくための試算ですから、県庁の総力をあげ、自分たちで算定する努力をしてほしいと思います。
よく目を懲らして見ますと、「営業外費用」の数値のところで、ダムの維持管理にまつわる負担金の数字が2022年から令和30年の西暦2043年まで、何も変動していないことが分かります。
一体化の水源となるダムは年々、老朽化していくので、維持管理に伴う水道事業の負担金が何も変わらないということは考えにくい。
それに、残存する市町村の老朽水道管のうち、最も地震に弱いとされる石綿管を早期に撤去する必要があるのだし、県域水道一体化は「強靱(きょうじん)」と県民にアピールする割には、この費用も算入していないでしょう。
こんなアバウトな試算を基に、先の奈良市長選の争点になったというのですか?
奈良市だって、県の試算をうのみにせず、独自に別のコンサルに積算させてみたらどうでしょう。
「県域水道一体化はスケールメリットが魅力だ」などとうそぶく市長選候補(前市議、落選)もいたが、そうした試算の数値を検証することも議員の仕事だったのではないですか。
存在する文書を「ない」と簡単に通告してくる
これも最近のことですが、れっきとして存在する文書が「ない」と通告されるケースが奈良県庁で2回、続けてありました。
情報公開制度の運用がちょっとずさんだと思うのですが、職員の出世には大して影響しないのでしょう。
元総務相の片山善博氏が鳥取県知事をしていたとき「そう簡単には文書不存在の決定をさせない」と言っていました。県民らから開示請求があって、当該文書が見つからず、係の者が「文書不存在」の決定を打とうかという場面においては、必ず知事が現場に立ち会ったそうです。
つまり、「文書不存在」の決定というのは本来、人々の「知る権利」に関わる重い判断なわけです。実際は存在するのに奈良県庁が「ない」と通告してきた1例は、市町村水道事業の石綿セメント管に関する直近の情報でした。
先ほど申し上げた県域水道一体化に向けた企業団を2024年に設立しようと県は現在、躍起となっています。一体化で奈良県の水道事業は強靱になると、県民にアピールしています。では、水道管のうち、地震に最も弱いとされる石綿セメント管は、どのくらいの距離が企業団に引き継がれるのか、そして、急がれる改善のための費用は、水道統合にまつわる試算の中にどう反映されているのか知ろうと、私は奈良県の情報公開条例に基づき、開示請求することにしました。管轄は水道局ではなく、本庁の中に係があります。
そんなデータは「ない」と言われてしまいました。
軽率な対応でした。都道府県は毎年、厚生労働省の指示により、市町村の水道事業における石綿セメント管はどのくらい残っているか、数字を集めています。しかし担当者は、「国の指示で市町村から集めたデータだから、県庁の公文書に当たらない」と言うのです。
基本的なミスですね。公文書とは、行政が作成した文書だけでなく、取得したものも該当するからです。担当者をこんこんと説き伏せ、開示させました。その上、開示された文書も、本来、開示すべき分量の半分以下というお粗末さ。水道管と一口に申しても、浄水場と配水池をつなぐもの、配水池から各家庭につなぐものなど多様であり、その一部を県側が見落としていたのです。
私は開示される前から、各市町村の水道事業担当者に残存する石綿セメント管の距離について個々に聞き取りをしていたので、県が開示した延長の距離が短すぎることにすぐ気付き、再度、開示させました。
仮に公開制度にあまり詳しくない県民であれば、「ない」と言われれば、諦めてしまうかもしれませんよ。「ああ、知りたい情報はないのだな。もらえないんだな」と。
もう一つ、県庁に文書があるのに「ない」と通告された最近の事例をお話します。
先ほど、大滝ダムの治水効果が不十分で和歌山県の職員が抗議したという話をしました。これは奈良県にとっても問題です。大滝ダムが完成し、洪水調節が始まっていた2013年9月の台風18号の折、下流の五條市で吉野川(紀の川)が氾濫し被害が発生しています。
大滝ダム建設に伴い、奈良県は実にたくさんの負担金を払ってきました。ダムの治水機能に対しては236億円も払っています。ですが、洪水調節機能が不十分であるなら、これは払い過ぎではないのかと疑問を抱くようになりました。これまでどういう形で国に支払ってきたのか、もちろん月賦でしょうが、年々の支払い状況を確認しようと、開示請求したのでした。
すると、最初に対応した県庁の河川係は「大滝ダムにまつわる本県の治水負担金は発生していない」と誤った情報を伝えてきました。失礼ながら、少々のんきな気がしました。完成から8年。伊勢湾台風を機に事業化され、あれだけ長期の工事で村人に迷惑を掛けてきたダムですが、その記憶はもう風化しているのでしょうか。
単に治水の負担金の総額なら以前から知っています。私が知りたかったのは、半世紀に及ぶ工事の、しかも治水効果に課題を残している巨大ダムの負担金というのは、年々どのように自治体から国に支払われてきたのかという状況です。県の職員にこんこんと説明した結果、別の部署に関係文書があることが判明し、開示されました。
悪意の「大量請求」男が市役所に乱入
何事も、開放的であれば、おかしな者だってやって来ます。あれは2010年ごろ、奈良市の情報公開制度が「何人」も利用でき、無料で閲覧できるのをよいことに(複写は有料)、制度を乱用し、むちゃくちゃな大量の公文書を開示請求する者が市役所に乱入しました。担当の職員はたまりません。
これに対し、仲川元庸市政がとった対応については釈然としませんでした。たった一人の悪意ある請求者が登場したばかりに、わざわざ条例を改正し、権利の乱用があると市が判断したときには、開示請求を拒否できる仕組みを講じたからです。
仮に独裁者みたいな首長に開示請求の拒否を乱用され、都合の悪い情報を開示しない事態を私は想定しました。もちろん、不当な対応ですから提訴できますけど、裁判所なんて一般の市民にとって近寄り難いところです。
議会人の右も左も、こぞって改正案に賛成しています。たった一人、無所属の女の議員が反対しました。民主主義のコストとは何か、考え抜いた判断かもしれませんね。
本日の会場のみなさんの中には、ああいう迷惑なやつなんか、公務執行妨害で刑事告訴したらどうかと思われる方もおられるかもしれません。
しかし私はこうも考えます。もしかして地域で孤立している人物かもしれない。だから市役所の心理職とか福祉職などの専門の係が応援の対応をしてもよかったのではないかと思います。今回の事案は、情報公開の担当者だけで解決しようとしたところにも、課題を残しているのではないでしょうか。もっとも、奈良市は学者らを何人か呼んで、第三者の有識者の意見を聞いた形をとり、条例の改変案にお墨付きをもらっていますけれど。
ちょっと飛躍しますが、フィンランドの精神福祉を描いたドキュメンタリー『オープンダイアローグ』の中に、心の調子を乱した人に対し、薬物療法を極力避けて、対話を重ねてケアしていく場面があります。
至極迷惑な大量請求男氏に対しても、カウンセラーが何十時間か対話をしたら、やがて心が打ち解けて、行動する方向が変わる可能性はなかったのでしょうか。
私ども取材記者というのは、何かを徹底して調べようとするとき、大量の公文書が必要なことだってあるのです。
かの「沖縄密約」について調査をしたある研究者は、集めた関連資料がミカン箱80箱の分量に上ったそうです。沖縄返還に際して、米軍基地を地主に返すための原状回復費用を、日本が隠密に公金を使って肩代わりした事案を巡り「日米間に密約はなかった」と国は国会で嘘をつき通しました。米国公文書の機密が解除された2001年、琉球大の我部教授が同国の公文書館に出向き、密約の証拠を見つけ出しましたね。我部さんの「ミカン箱80箱」の分量に上ったという逸話は、朝日の記者が著した「二つの嘘(うそ)」という本に出てきます。
情報公開の乱用を防ぐという大義を掲げ、奈良市が対策を講じて以来、私は開示請求することが、どこか後ろめたく感じられるようになりました。どうせ変人みたいに思われているだろうなと。だからといって、請求することを少しも抑制していませんけれど。
市民みんなの「知る権利」です。せっかく情報公開制度を設けても、利用することを市民が萎縮してしまうような雰囲気を、公務の側は決してつくってならないと思います。
これからの情報公開制度を考える
行政の職員のみなさんは全員、情報公開制度が嫌いでしょうか。首長さん方も、あらかた嫌いではないのかと思います。「オンブズマンは敵だ…しかし必要な敵だ」―。こう言い放ったのは宮城県知事時代の浅野史郎さんでした。県の業務をどうぞ監視してください、という覚悟が感じられます。新人で、しがらみのない首長であれば、知られて困る情報など、なかったのでしょう。氏は捜査報償費の在り方を巡って県警と対峙(たいじ)したこともありました。
忘れられないのは2005年、市長選の候補がマニフェストを作る際に、新人でも現職でも、市役所の各課は公平に情報提供の支援をする決まりを、岐阜県多治見の市長だった西寺雅也さんが設けたことでした。
あの当時は、改革の機運が今日以上に、地方にあったような気がします。総花的な選挙公約はもうやめて、いつまでに実行するのか、その財源はどこから調達するのか、そのためには何を削るのか、などの具体策を明示した公約、すなわちマニフェストを闘わせる選挙戦にしようと、三重県知事だった北川正恭さんが提唱し、次第に全国に広がっていきます。
いざマニフェストを作ろうとすれば、現職は圧倒的に有利ですね。だって市役所にいちいち開示請求しなくても、市政の情報は縦横に庁内の部下から入手できるでしょう。そこを西寺さんは、新人候補が不利にならないような要綱を定め、情報公開の制度を拡充したことになります。
現職の西寺陣営は少しハラハラしたのではないですか。もしも若い清新な新人候補が、躍動的なマニフェストを引っ提げて選挙戦に挑んで激戦にでもなったら…と心配したかもしれません。自分の当落より大事なものがあるとしたら、それは街の未来でしょうか。選挙戦にまつわる言論の活性化こそが街を良くしていくのだと、西寺さんは考えていたに違いありません。
私はこれまで、不当な黒塗りや安易な文書不存在の決定など、軽薄な運用に立ち往生させられたこともありました。しかし職員の的確な対応によって、見逃してしまうところだった公文書を入手できたことがあります。
大容量の大滝ダムが完成したのは、すでにお話したように2013年のことでした。その4年後の2017年、台風21号の豪雨により、下流の和歌山県において、紀の川流域の347世帯はなぜ浸水したのだろうと、関心を持ちました。これも先ほど申し上げたことですが「大滝ダムが完成すれば、伊勢湾台風クラスの来襲に遭っても流域はびくともしない」と、国は豪語してきたのです。
近畿地方整備局はその翌年の2018年1月、紀の川の浸水対策検討会を開いており、出席した複数の行政機関に対し、私は議事録などを開示請求しました。それらを読むと、どうということもないような内容に思われ、肩透かしを食らったような気がしました。
しかし和歌山県のある市町村役場の情報公開担当職員とやり取りをして、次のようなことが分かりました。会議の前に国は、浸水した市町村長に対し、内水対策に関するアンケートを行っていたのです。「これもお要りですか?」と職員は尋ねてくれたのでした。
確かに、これは会議録ではありません。しかし、開示請求した人がどんな文書を求めているのか、その人の身になって対応してくれたのだと思います。和歌山の市町村長からは実にさまざまな意見が出ていることが開示されたアンケートの結果から分かりました。
例えば、紀の川の抜本的な洪水対策として、水位を下げる堆砂の除去をはじめ、樹木の伐採、さらに狭窄(きょうさく)部の対策を図ってほしいなどの声が出ています。市町村レベルでは早期の解決は困難です。また、内水対策として、雨水幹線や雨水ポンプ場を建設したいが、見込まれる多額な費用、そして長期にわたる工期をどうしていくのか、頭を抱える自治体もあります。
紀の川の源流、川上村の村人たちの反対を押し切り、国は大容量のダムを半世紀もかけて築造したものの、いまだ治水効果が十分に発揮されていないお話を先ほどいたしました。下流では、こんな防災の悩みもあるのだと、開示文書から分かりました。
もう1つ、担当する職員の対応が良かったので、予期せぬ充実した文書が得られた事例をお話します。
国民にはほとんど知られていない新型の収容病棟が舞台です。心の調子を乱し、自分の行動をうまくコントロールできずに人を傷つけてしまい、不起訴や無罪になった人々ばかりが入院する公立病棟を取材しました。大和郡山市内をはじめ、全国に33カ所にあり、およそ830人が入院生活を送っています。新法の医療観察法に基づき強制的な治療を行う病棟です。
「これは考えたくないテーマですね」と、精神障害者の息子さんをもつお母さんが心情を漏らされたことがあります。子どもたちの社会参加を願う家族の立場からすると、あのような特殊な病棟行きになることだけは考えたくないという思いです。分かるような気がします。その病棟に送られることになった当事者、家族らの声を集め、私は数年前、1冊の本にしました。
取材中、病棟の管理職らが外部の有識者を招いて意見交換する定例の会議にも関心を持ち、全国の医療観察法病棟に対し、会議録を開示請求しました。うち埼玉県立の病棟だけが「会議の出席者に配布した付属資料は要りますか?」と担当者が尋ねてくれました。
おかげで有意義な資料を入手できて、病棟の運用状況を具体的に知ることができました。例えば、患者1人当たりの薬物の使用量について、他の精神科救急病棟の使用量と比較したデータが分かりましたし、通電療法の実施状況もよく分かりました。
会議録を求めている請求者に対し「付属資料がある」という情報を伝える行為は、国民の「知る権利」にプラスに作用します。でも病棟側にしたら、複写の枚数が増えるし、何かと面倒なことでしょう。
今回の会議録の全般に言えることですが、国立の病棟より、自治体が運営する病棟の方が、不必要な黒塗りが少なかったです。
なぜだと思いますか。それは情報公開を運用する歴史の長さの違いでしょう。自治体は、国よりかなり早く情報公開制度に取り組んできました。府県の中で先駆けとなった神奈川県庁は、国の情報公開法施行より20年近くも早かったのです。
自治体の長は公選ですね。「隣のまちには公開制度があるが、うちにはない」などの批判を受け、制定する弾みになった自治体もあることでしょう。次第に各府県、各市町村に情報公開条例は制定されていきます。
では、都道府県の中で情報公開の制度作りが一番遅かったのはどこの県だと思いますか?
奈良県です。(会場から苦笑がもれる)
なぜでしょう。奈良県議会が強く要請してこなかったからではないのですか? 一般の県民が県政の情報を得るなんて生意気だと、鼻先であしらっていたのでしょうか。県庁の情報なんて、議員が独占するものだ、職員に指図して出させるものだ、という特権意識が当時はあったのかもしれません。1996年、ようやく県の情報公開条例が施行されました。もう25年になります。当時から私は県に対し県有文書の開示請求をしているので、もう4半世紀がたちます。
いま、私は大変気掛かりな黒塗り文書に直面しています。大滝ダムの試験貯水中(2003年)に発生した地滑りにまつわるものです。ふるさとを追われた元村人たちが国を訴えて裁判になり、奈良地裁、大阪高裁ともに「国はダムの安全管理を怠った」と認定し、国交省はこれを不服として最高裁に上告する予定でした。しかし、なぜか上告を取りやめています。その理由を知ろうと、法務省の文書「上訴求指示」を開示請求しましたが、ほとんど黒塗りで何も分かりません。分からないまま、近く保存年限を迎え、廃棄されようとしています。
県域水道一体化の主要な水源になるダムは、こんなに秘密主義です。オンブズマンなら、即、黒塗りの取り消しを求めて裁判するかもしれません。私の本業は、取材記者であると自覚しているので、まずは当時の担当者らに手紙を書くなりして、上告を断念した理由を探ってみたいと思います。
もしも市民版の公文書館があるならば
公文書とは、「信頼する」ものではないと思います。主権者である国民、住民、新聞記者らが日々、「点検する」ものでしょう。
保存年限は、ますます短くなっていくのでは…と案じています。「国民共有の知的資源である」、などときれいなことを公文書管理の法律は言っていますが、今日の政権が、公文書の保存年限をできるだけ長くしようとする動機は見当たらないように思います。
本日の冒頭において、20年余り前に起きた奈良市水源地の重油漏れ事故を再現してお話しました。当時の記録文書を私は今も持っているのです。
こうした文書の類は、とっくに保存年限が過ぎ、もう市役所の中のどこにも残っていないでしょう。しかし、私一人が持っているだけでは、もったいないように思います。
自分では、縦からも横からも穴のあくほど眺め尽くしたつもりでいても、他人の目で見れば、新たな発見があるに違いありません。
同様に、先ほどお話した人身拘束の新法、医療観察法収容にまつわる公文書についても、施行直後から約10年間に及ぶ貴重なものを私一人で持っていても仕方ないように思います。
全国のジャーナリストやオンブズマンらが持っている、こうしたお宝を持ち寄り、誰でも自由に閲覧できるような仕組みができたら素晴らしいなと思います。
本尊である公立の公文書館はますます、充実していくことが求められます。しかし公務が破棄する予定にしている公文書は、見る人によっては高い価値を有しているはずです。ごみ箱に行かず、市民社会で活用されるとしたら、社会全体の知的資源は厚みを増してくるというものです。
では、誰がやるのか。私は、もっともっと本業の取材を続けたいので、率先してはやりたくないですね。こんな調子では、とても協働社会の一員にはなれません。アイデアは悪くないと思いますけれど。
本日は、随分、地味な講演テーマを与えてくださいました。はかばかしい成果もなかった公文書の解読ですが、知らないよりは知って良かったし、書かないよりは書いて良かったと思います。ご清聴ありがとうございました。
【追記】
お役所が保管する書類の山と私が格闘した第一歩といえば、1990年代の半ばのことである。奈良県内の建設業者が県庁に提出する「建設業許可申請書類」および決算の届け出であった。
その動機は、地方議員が選挙区の自治体から工事を受注するケースがまかり通っているだろうと、狙いを付けたからである。もちろん地方自治法に抵触する行為だが、議員に当選すると、代表者の名義を妻か親族の誰かに代えておけば、難なく、自分の選挙区から工事を取ることができた。
これら書類を丹念に見ていくと、議員の関係会社の暗躍ぶりが分かってくる。当時は、複写が禁じられていたので、ある一時期、毎日のように県庁に通い、せっせと書き写していた。
議員の関係会社が受注した工事名や金額などは、格付けに影響するのだろう、監督官庁の県に対し、わりと正確に報告されていたように思う。議員たちがいくら名義を隠しても、各社の株主調書には、筆頭者として議員の名前が次々と出てきた。これら情報をもとに聞き取りをし、「議員の兼業」と銘打ち、奈良市、橿原市、大和高田市、そして県議会を舞台に、当時、勤務していた地方紙で連載した。該当する市議、県議の全員を実名で報じた。
大なり小なりの会派はあっても、国政選挙になると、下請け業者などを動員して自民の票田の一部を成していた。永田町の一源流というわけだ。
あれから20数年の歳月がたつ。県都の中核市、奈良市は不名誉なことに、荒井正吾知事から財政が悪いと非難され、「重症警報」なる発令をされてしまった。
原因の一つは、3代前の大川靖則市長時代にさかのぼる。放漫財政の下で箱モノ建設がラッシュとなり、利権まがいな不毛な土地買いがまかり通っていた。いまも市役所はそれらの借金を返している。もちろん市民みんなの公金で払っているのだ。
大川市長時代の市議会といのうが、土建議員の全盛時代である。工事を受注する市議だけでなく、怪しい土地を市役所の外郭団体に買わせて利権を得る市議も現れた。こんな日常だから、市の財政を監視する機能が発揮されていたとは到底、思えない。
当時は県にも市にも情報公開の制度がなかった。自治体の外郭団体などは、実にやりたい放題だったと思うし、特に公有地を買収する機関の「土地開発公社」という市役所の“子会社”に至っては、市民の目に付かないところで不毛な土地を盛大に買いあさり、そのツケを今も若い世代に押し付けている。
王寺町の高台から大和川の堤防を遠望する=2021年9月11日
全国でも立ち遅れた情報公開制度を一刻も早く制定してほしいと奈良県庁に呼び掛け、市民団体「奈良情報公開をすすめる会」が発足したのは1990年代の後半のことである。王寺町の司法書士、田畑和博さんが呼び掛けた。
運動のかいあって県庁や市町村役場に情報公開制度ができると、会の人々は知りたい情報を早速開示請求した。そして得られた公文書をもとに、仲間たちで読み合わせ、自治体の課題を探った。王寺町立公民館を会場に、周辺の西大和ニュータウンなどの方面から住民、町議らがたくさん参加し、会を盛り上げた。人々が見つけた行政の不当な公費支出などは、監査請求や裁判に及ぶこともあり、是正されていく。
たまにJR王寺駅に降りると、何だか背筋が伸びるような気持ちになる。ここは奈良の情報公開運動発祥の地ですと、道行く人に知らせたくなる。情報公開は大事なことだと頭では分かっていても、市井の者はその一歩が、なかなか踏み出せない。日本人的な人情ではないか。人口の少ない小さい役場であれば、顔見知りの人も務めていたりして、なおさら使いづらいだろう。土地によっては「お上にたてつく」とでも言わんばかりのけんもほろろの対応をする吏員もいた。せっかくの権利なのに、住民を萎縮させる風土も残る。
だから、人々が励まし合い、気軽に情報公開制度を利用できる住民運動を続けた王寺の会は貴重だった。残念ながら、会は現在、活動を休止しているが、このたびの講演会の会場に、世話人を長く務められた池田美保子さん、高桑次郎さんの姿があり、感慨深かった。
王寺町の周辺は深い歴史を秘めた街といわれる。昭和40年ごろから宅地開発が進むと、新住民、旧住民という分け方がよくなされてきた。このごろは、どこの土地に限らず空き家が増えて、街づくりは新たな課題に直面しているだろう。ニュータウンはしかし、民主主義の通貨たる情報公開の風を戦後の奈良に運んできたのだった。