講演録)県域水道一体化問題~水源の自立都市・奈良市水道事業の行方を考える
奈良市民の水源、布目ダム=2021年4月24日、山添村
(本稿は、浅野詠子が「奈良の声」で伝えてきた県域水道一体化を巡る知られざる事実を踏まえ、2021年4月17日、奈良市の学園前ホールで開催の市民有志勉強会で講演した内容に加筆、修正を加えたものです)
健全な水循環が奪われようとしている
皆さん、こんにちは。水道の消費者である県民に対し、周知が不十分なまま県域水道一体化の計画が進んでいます。本年1月には奈良県および27市町村が一体化の企業団設立に向けて覚書を交わし、待ったなしという状況です。
県庁は一体化の良いことばかり言っているが、健全な水循環である市町村営の地下水浄水場や江戸期ため池浄水場などを奈良盆地からなくし、導水距離の長い紀の川(吉野川)水系の巨大ダムからの引水が加速します。
奈良市の水源ダムは東山中、大和高原ですね。歴史的、文化的にもつながりは深く、市民がいつでも水源を監視し、水源地と交流するのに程よい距離にあると思います。市の水道局のキャッチフレーズが「自然流下1万メートル」。遠い水源の県営水道に対する依存度は極めて低い。独自に水源ダムを開発したことにかけては、県内市町村で右に並ぶものはありません。
県主導の一体化により、奈良市の水道料金が値上がりする試算が出ているのですね。これに反発した人々が一体化に反対の署名を集め、市長に提出したと聞きます。
県が一体化の構想を打ち出したのは2017年10月。私はその年の暮れから取材を始め、ウェブニュース「奈良の声」にこれまで20数本の記事を書いてきました。
広域化を推進する改正・水道法の施行が2019年。県の一体化計画は、これと軌を一にしているでしょう。改正のもう一つ重要な点は、民間企業に水道事業の運営権を設定できるコンセッション方式の推進に新たな道を開いたということです。
ですから奈良県の水道広域化計画について初めて耳にした人は、民営化に至るステップではないかしらと案じるわけです。
いま県政はコンセッションの「コ」の字も言いません。どこの議会に限らず「今は考えていない」という理事者側の答弁を時折、耳にすることがあります。これは将来にまで守られる約束では決してないですよね。
奈良県庁は最近、奈良市高畑町の市街化調整区域において民間ホテルを誘致しました。そのための開発手法として、あえて奈良公園に編入し、しかも便益施設を建設すると申請し、許可権者の奈良市役所の審査をいとも簡単にくぐり抜けています。便益施設とは本来、修学旅行生や観光客らがジュースや弁当を買うようなところを法は予定しているはずです。
公園という万人が入場できるはずの空間を増やすように見せかけ、実際には高級宿泊施設を誘致するための脱法まがいの行為を県庁が堂々とやっている。所持金の多寡により人間が立ち入れない空間をわざわざ設けている。
この権力は用心が必要だと思いました。
少し前にも、安堵町において市街化調整区域の違法な開発をした法人が県警の摘発を受け、町役場の元職員も検挙されている。同じ調整区域ですけれどね。高畑のホテル誘致の手法を見ると、奈良県が水道広域化のその次にコンセッション方式を導入しないと言い切れるでしょうか。
冒頭、「一体化は待ったなし」と申し上げました。県と27市町村が交わした覚書ですが、県は令和7(2025)年の企業団開業を目指しています。仮にどこかの市町村において、一体化について県と意見の異なる首長が当選したら、覚書の団体から離脱するのに違約金などは必要になるのか、県水道局に聞きましたが「それは必要ない」ということです。
県は過去、いとも簡単に覚書を反古にしているんですよ。平城宮跡の南側隣接地で操業する積水化学工業の工場に立ち退いてもらうため、移転先を奈良市中ノ川町に決め、県、奈良市、企業の3社が覚書を交わしています。しかし企業は当地への移転を断念し、用地を買収した奈良市は80億円もの損害を被りました。県はほおかぶり。市の包括外部監査人は「事前にリスクの分担が検討されてない」と厳しく批判しています。
大和郡山市議会、一体化反対請願を全会一致で採択
お隣の大和郡山市議会は先月の定例会におきまして、ルールなき県域水道一体化に市は参加すべきできないという住民の請願を全会一致で採択しました。請願に至るまでの住民の活動において、改めて地下水という足元の健全な水循環を見つめ、防災の観点からも地下水の再評価がなされたことは印象深いです。
県は何が何でも一体化ということで、神奈川県の企業団などの事例を紹介しているが、地下水を活用する秦野市は入っていません。東名の厚木インター近くの伊勢原市の西にある都市です。ユニークなのは、地元のお菓子工場から生産の過程で排出されるきれいな水をもらい受け、地下水涵養(かんよう)に生かしているそうです。雨水を活用した地下水涵養は時折、耳にしますが、こんなチャレンジもあるのですね。
大和郡山市民の請願活動は「うちの市の水道は経営状態がすこぶる良い」といったお国自慢にとどまるのではなく、西暦2000年の前後、市の水道局が投資信託に手を出し、5億円近い損失を出した現代史を掘り起こし語り継いでいます。この事件を教訓として、水道局の内部留保資金が着実に積み上げられていったそうです。
「ルールなき一体化」とは、どんなことを指し、郡山市民は何を批判しているのでしょうか。まず、草の根で練り上げられた計画ではありません。県が勝手にルールを決めて、「一体化に参加する市町村は、水道事業の資産をすべて持ち寄りましょう」などと呼び掛けてきました。戦時下の金属供出命令みたいじゃありませんか。何より、水道の消費者である住民の声をほとんど聴いていない。一体化に向けた覚書の内容についてパブリックコメントも実施していない。水道の広域化という重大な政策変更であるにもかかわらず、研究者や有識者らを招致した中立の第三者委員会なども開いていません。
県はなぜ急ぐのか。後ほどお話します。
一つの想定に偏るのでなく、その想定が間違っていないか、そうした想定にも努める謙虚さが防災行政には大事であると、近畿地方整備局の幹部だった宮本博司さんは言っています。そうであるなら、広域化のデメリットを何も県民に伝えていない奈良県政の水道行政は真逆であります。
宮本さんは淀川流域の河川整備をつかさどった人です。奈良市の水源が木津川の系統ですから、親戚筋ですね。私たちの大和川も300余年前の元禄の付け替え大工事の前までは、大阪城の北の地点より淀川に合流していましたので歴史的なつながりがあります。
徹底した情報公開と住民参加を貫こうとした2000年ごろの淀川流域委員会のあり方を巡っては、これを超えた団体はまだないのではないか。「案の案まで」公開しようとする姿勢。とかく、お役所の審議会の類いを巡っては、委員のお歴々はどうやって決まるのか。研究者、有識者、まちづくり団体の関係者などの人選方法について、われわれ住民にはさっぱり分からない。淀川委員会は、そうした人選を検討する準備会議まで公開でやったというのです。傍聴席からも意見が言えました。
県が一体化を急ぐ理由は何か
こんど水道の一体化に参加しようという27市町村。水道の経営には非常にばらつきがあるが、歴史的な成り立ち、人口の大小、背景はいろいろです。しかし、それ以上に問題なのは、情報公開の姿勢についての落差です。合併する相手の情報が開かれているかどうか。小学生でも外国人でも、その役所の公文書にアクセスできる自治体は限られています。いまだに在住在勤、資産税の納税者などにしか開示請求権を認めない閉鎖的な制度の市町村が見受けられます。
一体化を急ぐ県の狙いは何か。市町村に対し鬼の首を取ったように言うのは、今後人口が減って需要の伸びが期待できず、施設の更新にカネがかかる。そんなことは誰だって分かっていますよね。だから大和郡山市にしても生駒市にしても、将来に備えて内部留保資金を蓄え、低廉な料金を維持し、ほぼ無借金でやってきたわけですよ。
それなら施設の老朽化度合いの目安となる「有形固定資産減価償却率」はどうなのか。奈良県営水道の比率は、他県の類似団体平均より悪い。県内の市町村と比較しても最も悪い部類に入る。県営水道の借金は280億円ほどあって、内部留保資金は230億円ぐらいなものでしょう。主水源となる国家の大滝ダム(川上村)は3640億円の工費を掛けたが、県は600億円もの負担金を払ってきました。水源からの導水距離が長く、市町村への供給単価は1立方メートルあたり130円。他県と比較して「高い」と包括外部監査人からも指摘されたことがあります。
県が一体化構想を探っていた時期は、県営水道の需要が近年において最も伸び悩んでいた時期と近い。県は焦って、たくさん買ってくれる市町村には供給単価を割引して県営水道の成績を上げようとします。ことに人口の小規模な団体となりますと、将来を憂いて自己水源を維持することを諦めてしまい、続々と県営水道100%の受水に切り替えていきます。
なぜ一体化なのか。荒井知事の鶴の一声で始まったと思います。われわれ住民はそれを知る権利があるが、果たして庁内における意思形成過程の内部文書がきちんと作成され、保管されているのか。そして県はどこまで開示するのか注目されます。
県が広域化の企業団開業を令和7年にしたい理由として、国の交付金を満額得たいハラもあるでしょう。実績づくりです。広域化という国家の策を誘導するための補助金であり、早く手を上げた方が支給額が多いらしい。県の皮算用では、令和7年に開業すれば、同16(2034)年までに行う広域化に伴い発生する県営水道の管路更新、施設の共同化、運営基盤強化などのための事業など合わせて1200億円の新規の発注のうち、3分の1に当たる396億円が国から企業団に入ってくるだろうと踏んでいます。
一体化の長短を検証することも、住民参加も惜しんで、こういうカネで水道自治の魂を売り渡してよいのかどうか案じられます。
紀の川水系巨大ダムの導水加速を私が懸念する理由
県域水道一体化の主水源、大滝ダム沿岸で延々と行われている地滑り対策工事
では、私がなぜ紀の川水系からの巨大ダムの導水加速に懸念を抱いているのかをお話します。大滝ダムの水を水源にするなとは言わない。現に大和郡山市や葛城市などが全給水量の半分、生駒市が6割ほど受水しており、現状維持で良いと思います。あるいは自己水源をもっと開拓してもよいですし。
ひとつに地質の問題があります。大滝ダムは着工から50年がかりで2013年に完成したが、当初はその10年前に完工する予定でした。試験湛水(たんすい)といって、最後の仕上げの検査段階において貯水中、ダム堰堤(えんてい)から4キロ上流の白屋(しらや)という集落で地滑りが発生し、37世帯が郷里を追われました。400世帯が水没することは着工した昔から決まっており、人々は複雑な心境を持ちながらも国と補償交渉する時間は十分あり、有利な条件で代替地を選択することもできました。
しかし白屋集落の37世帯は、ダム完成間際ということで、村内にまとまって移転する用地を確保することができません。V字谷の険しい山峡の山里であり、地形的にも新たな代替地の造成は困難とされました。人々は3年余りもの間、仮設住宅で不自由な暮らしを強いられ、体調を崩すお年寄りが続出しました。
地滑りは発生の30年前から吉岡金市博士が現地調査を基に「白屋集落は潜在的な地滑り地であり、大滝ダムの巨大な貯水には耐えない」と警告していたが、国の対策工事は浅い地滑りしか想定していませんでした。地滑りで移転した旧村民らが国を相手取って提訴し、奈良地裁、大阪高裁ともにダムが安全対策を怠ったことを認定、国土交通省は最高裁への上告を断念し、2010年、元村民側の勝訴が確定しました。
大滝ダムの工事事務所は吉野郡吉野町の河原屋(かわらや)という地区にあり、調査設計第二課長だった板垣さんが1979年、ダム完成後の貯水位変動による地滑り発生を懸念する論文を書いていました。
走り出したら止まらない公共事業の一面が見えてきます。大滝ダムの地質の問題はまだ終わっていないと思います。最近も、湖岸を通る国道169号高原トンネル内の壁面に、地滑りが原因とみられる亀裂が複数見つかって、またしても大規模な地滑り対策工事をしています。
先にお話した試験湛水中に起きた白屋地区の地滑り対策工事(2005~2009年)から数えますと、大滝ダム湖岸の地滑り対策抑止工の本数は1276本に上ることになります。まるで串刺しの峡谷ではないですか。
長いもので1本当たり数十メール。例の白屋地区でアンカー169本、鋼管杭122本を施工しています。その後、2011年には大滝地区で鋼管杭64本、高原トンネルの南入り口付近でアンカー123本。これら3地区の湖岸では押さえ盛り土工も施されています。
50年もの歳月をかけたダムは2013年、完成しました。そのとき住民は「ようやく工事車両が来なくなる」と一息ついたところでした。
もう1点、県域水道一体化の水源を巨大ダムに寄り掛かりすぎることの懸念をお話します。気候変動により、異常な豪雨が頻発し、ダムが満水になるスピードが速くなっているようです。緊急放流という事態を報道で耳にされた方も多いと思います。ダムが水害を招くという意味ではなく、満水に近づいてきたダムは堰堤の決壊を防ぐために、入ってきた雨量をそのまま放流するので、治水ダムとしての機能がなくなります。この放流が異常洪水時防災操作といい、別名、緊急放流と呼ばれます。この操作によって下流は増水になり、2018年、愛媛県の肘川で多数の人命が奪われました。
国は一昨年暮れから、緊急放流を避け、ダムの治水機能を高めるために事前放流を奨励しています。気象予報に基づき、豪雨の3日前からダムは事前放流をすることになりました。けれど、もし天気予報が外れたら、流しすぎたダムの貯水はすぐには回復できません。国は流しすぎた利水分は補償すると言います。給水車が来るのですか。
大滝ダムができて渇水の心配がなくなったと県は豪語していますが、本当でしょうか。
以上のことから、奈良盆地の市町村水道は、紀の川水系の巨大ダムを当面利用するにしても、全面的に寄り掛かってしまうのは疑問です。それでなくても水源の紀の川上流吉野川源流の地域と奈良盆地は距離が遠い。精神的な距離も遠いでしょう。
かの平成の大合併の当時、山添村民が奈良市に編入されることを潔しとせず、住民投票の結果、村が単独村を選択したとき、私は心から拍手を送った1人であります。市の水道水源、布目ダムの建設のときには、本当に村にお世話になった。水源地の大和高原、東山中と奈良市民は、程よい距離にあり、いつでも水源地の様子を見に行くことができる。
奈良町で活躍する地下水
これからの時代、水源は多様な方がよいですね。
地域資源を生かした自己水として、江戸期に築造された農業用ため池10カ所を浄水場につないで活用する葛城市の事例があります。竹内街道という県内でも屈指の素晴らしい古道の近くにも浄水場が稼働しています。葛城市は製造コストの低さでも、料金の低さでも県内ナンバーワン。一体化に不参加を求める市民グループの方が本日の会場にも参加しております。
戦時下に着工した農業用ため池、倉橋ため池を水源に活用するのは桜井市です。市はため池に加え、地下水を自己水源として、また、県営水道のダム水なども受水して市営外山浄水場を運営しています。倉橋ため池は、苦難な時代の土木遺産といえ、桜井市内だけでなく、近松の冥途の飛脚、新口村の段ゆかりの橿原市新口町の農地にも導水されています。この土地にはかんがい用の吉野川分水が来ていません。
さて実は、この奈良市も意外なところで地下水が活躍しています。7年ほど前に市が行った調査ですが、ならまち周辺では今も200世帯を超すお宅が庭で井戸を使っています。散水や掃除に使っているそうです。驚いたのは、平成に入ってからも井戸を掘り、その水を生活に役立てている民家があるということでした。
県内における近代水道事業の先駆けは奈良市でありますが、大正期の創業当時、水源として湧水も候補だったことを市の水道史は伝えます。今は高畑町という行政町名になっているが「清水通り」と呼ばれた地域もある。春鹿、昇平で知られる蔵元2軒が現役の酒造メーカー、そして、かつて醤油醸造をしていた青田家という市の指定文化財の豪商の建物も軒を連ね、水とゆかりの深い産業の歩みを知ることができます。
この井戸調査、観光振興を探る当初の事業目的が宙に浮いているが、観光にのみとらわれるのではなく、将来の水道補助水源としての可能性を残すものとして、ぜひ定点観測を続けてもらいたいと思います。
今、歴史ある水源都市、奈良市独自の水道を守りたいという市民の声があります。県営水道主体の企業団に併合されてしまうと、奈良市だけが水道料金値上がりすることに厳しい批判が出ています。
どうしたらよいでしょう。県政、市町村政は、住民置き去りの広域化計画を急ぐのではなく、一度立ち止まってほしい。県民、市民の声をよく聴いて計画を見直すことと引き替えに、コロナ対策の水道減免、生活支援を拡充すれば、政策は停滞したことにならないと思います。
住民も何かの意思表示をしたいところですね。例えば、有権者の50分の1の署名から始まる直接請求という権利があります。県民が、市民が、自ら条例案をつくり、議会の採決で採用の可否が決まる。50分の1といえば、奈良県全体なら3万人弱でしょうか。
この数で思い起こすのは、省線最後の社寺風駅舎、旧国鉄奈良駅舎(奈良市三条町)を県庁が取り壊そうとしたとき、保存を求める市民らから、そのくらいの署名が集まったでしょう。それより前にも、奈良市高畑町の文豪、志賀直哉旧居をやはり県庁が取り壊そうとしたときも、同じくらいの署名集まったと記憶しています。そんなに難しい数ではないように思います。
直接請求がユニークなのは、例えば、県域水道一体化の計画に立ち止まってほしい、見直してほしい、白紙にしてほしいなどの請求を有権者が行い、法定署名数が集まったときに、われわれの隣の議員はどんな反応をするのか、次の選挙の参考なりますね。市議選でも県議選でも、あるいは国政選挙の参考になるかもしれません。
北和4市の防災連携
奈良市営大和田配水池。浄水した水道水を市民に送水するまでの間、一時的に貯える施設。水の安定供給につながり、災害、渇水にも役立つ=2021年2月、奈良市中町
水道の広域化を県が打ち出したとき、県水道局は、奈良市の水道担当者に対し「広域化についてどう考えるか」質問しています。
市の職員はどう答えたか。京都府の木津川市や精華町に自然流下で配水でき、府より安い水道を提供できるかもしれないと。これは、ごく常識的な着想かと思います。別に、奈良市がそうしたいと言ったのではなく、どう考えるかと尋ねられたので、答えたまででしょう。郡山の浄水場を潰そう、生駒の浄水場を潰そうなどと、市が考える動機なんてないですよね。戦国時代じゃあるまいし。
近隣の市町村同士などで広域化を図ることを水平統合と言います。県内においても北葛城郡や磯城郡などで模索されてきたが、県は耳を貸さなかった。
あれは阪神大震災のとき。未曽有の災害を教訓に北和4市が協力し、非常時に水を融通し合おうと、各市の境界に特別な水道配管工事がなされています。何も県庁から言われなくても、私たちの街は自発的に広域連携をしてきたのですね。
本日の勉強会を前に、奈良市内に住む陶芸家の方より「市の水はおいしい」という声が寄せられました。安堵町出身の富本憲吉の孫弟子にあたる作家です。事実、市の調査では「おいしい」「どちらかといえばおいしい」と感じる世帯は3割ほどだそうです。「ふつう」と感じる人が一番多くて4割くらい。調査から10年近くが経過していますが、当時、「おいしい」と感じる世帯はその5年前の調査と比べ、7.7ポイント上昇していました。お隣の大和郡山市の浄水場担当者に以前、「奈良市の浄水場は緩速ろ過などを丁寧に行っている」と評価する意見を聞いたことがあります。一番の背景は、市民の健全なコントロールに委ねられてきたからだと思います。
来年、奈良市の水道事業は創業100年の節目を迎えます。大正11年、京都府の協力を得て木津川から取水し、市中への給水が始まりました。およそ半世紀あとに県の水道局は業務を開始します。市の水道史、大いに誇ってよいでしょう。京街道かいわいの奈良きたまちに現存する大正期赤れんがの奈良市水道旧施設は私たちに何かを語りかけます。
【追記】
この日は元奈良市水道局長の中尾一郎さんのスピーチがあった。広域化に伴って、市議会の関与が薄れてゆく想定をされ、これは大変、重要な指摘であると拝聴した。何より、市営水道から広域化の企業団となって、従来のきめ細かいサービスが低下する想定もされ真実味があった。
会場の参加者からは一体化への疑問、不安の声が続々と寄せられた。それを聞くにつけ、水道料金を負担し、一の当事者である市民は、いま進行している水道広域化計画の内実について、ほとんど知らされていないのだと痛感した。 関連記事へ