松尾寺への古道 地元民が再生、保全 大和郡山 土踏めると好評、活動継続が課題
倒木が取り除かれるなどした七曲道と保全活動に取り組む辻善隆さん(右)=2012年5月15日、大和郡山市山田町
坂谷武信さん
厄よけ霊場として知られる大和郡山市山田町の松尾寺の参道などとして利用されてきた土地の古道を、廃道にしてしまうのは惜しいと地元の人が再生させ、その保全に取り組んでいる。土が踏める、小鳥のさえずりが聞けると喜ばれているという。
古道は地元で七曲道と呼ばれている山道で、山田町と西隣の平群町白石畑を結んでいる。途中で法隆寺方面から松尾寺の南惣門に至る参道と合流しており、山田町では古来、寺の参道として、山から薪や木材を運び出す道として、また大阪方面への街道として利用されてきた。
道がいつつくられたかは分からないが、松尾寺の創建は奈良時代とされ、道の途中にある土地の人たちの墓地の墓石は、古いものだと江戸時代前半にさかのぼる。寺は、約2キロ南にある法隆寺の別院だった時代があり、南惣門は法隆寺からの参道の入り口になっている。
しかし、現在はもう一つの北惣門に至る2車線の県道があり、一方で土地の人たちが燃料をたきぎに頼ることがなくなって、道はほとんど使われなくなった。このため、倒木や伸びた枝、道を覆うササなどが放置され、荒廃していった。
山田町の農業坂谷武信さん(84)は、長く土地の人たちの暮らしや信仰に関わってきた歴史ある道を、このまま廃道にしてしまうのは惜しいと考えた。2005年ごろ、隣接する新興住宅地に住む知人の同市泉原町、鴻巣利英さん(78)と共に再生に取り組んだ。
区間は山田町側から南惣門付近までの約340メートル。市が維持管理する里道となっている。2人が当時所属していた市内の歩く会の仲間数人に協力してもらい、倒木を取り除いたり、ぬかるみに砂利を入れたり、排水を良くしたりするなどした。鴻巣さんは、道の入り口に道の由来を説明する看板も立てた。以後、2人で春と秋の年2回、草刈りなどの手入れをしてきた。
ただ、ここ3年くらいは、共に高齢のためそうした作業が難しかった。今後は、保全活動の継続が課題という。活動を引き継ぐことになっている山田町の農業辻善隆さん(70)は「中学生の頃、七曲道を利用して牛車で薪などを運ぶ父親の仕事を手伝った。30年ほど前まで、山向こうの白石畑から田植えの手伝いに来た親類は作業を終えて一杯飲んだ後、ちょうちんを下げて七曲道を帰って行ったものだ。当時、道づくりはみんなでやった」と往時を思い出す。
鴻巣さんたちは現在、荒れている入り口付近の整備を重点に考えている。費用を工面するため、地域の自然環境を守る市民の事業などに対して市が実施している助成制度への応募を予定している。