奈良県:奈良市西ふれあい広場用地塩漬け 92年、特定個人の所有地だけ 計画策定着手前から取得予定地に
西ふれあい広場用地、地権者一族の所有地取得の経過 | ||
91年度 | 91年7月 | 一族の1人が土地を寄付 |
92年度 | 93年2月 | 土地開発公社事業計画案で、一族の所有地のみを広場の取得予定地として特定 |
93年度 | 広場の基本計画策定 | |
広場用地の測量。一族の所有地のみ対象 | ||
94年2月 | 一族の所有地から最初の土地取得 |
奈良市が1990年代に計画した西ふれあい広場の用地取得に対し、特定の個人の便宜を図る趣旨があったのではないかとの指摘がある問題で、この「特定の個人」とされる地権者一族の所有地だけが、広場の基本計画策定着手前の段階で取得予定地として特定されていたことが、当時の市の関係文書から分かった。基本計画では、広場は一族の所有地より広い範囲に及んでいたが、実際の取得は結果的にこの一族の所有地よりほとんど広がらなかった。
用地の取得は、市土地開発公社(昨年3月解散)による先行取得の形で行われた。しかし、計画は頓挫し、用地は公社の塩漬け土地となった。取得時の金融機関への借金と金利を合わせた21億円余りの返済は、公社解散を機に市が引き継いだ。
西ふれあい広場は同市二名7丁目の山林を造成して公園にしようというものだった。記者が情報公開条例に基づいて開示を受けた94年3月発行の基本計画は、広場について、自然林を生かした障害者と健常者が触れ合える多目的な公園と位置付け、約9万5000平方メートル(96年3月の計画見直しでは約8万7000平方)の敷地に、福祉センターや体育館、ゲートボール場、野球場、アスレチック広場、水辺の広場などを整備するとした。
計画のきっかけは91年7月、地権者一族の1人が障害者福祉に役立ててほしいとの名目で市に寄付した約2000平方メートルの同山林内の土地。これに周辺の土地を買い足して公園を建設する計画が立てられた。
用地の取得は93~2000年度に行われた。記者は、市財政課がこの期間に策定した各年度の市土地開発公社事業計画案の開示を受けた。事業計画案は市長決裁を経て、公社に通知される。地権者一族の所有地を取得予定地として特定する文書があったのは、取得が始まる93年度の事業計画案。これに取得予定地の範囲を示す概略図1枚が添付されていた。細かい部分を無視した直線による手描きの大雑把なものだが、一族数人が所有する20数筆の土地の範囲を示していた。寄付を受けた土地の周辺も結局、主に一族の所有だった。
同事業計画案の起案文書によると、財政課が担当の街路公園課からの予算要求を受けて、同事業計画案を起案したのは92年度末の93年2月。一方、基本計画は発行が94年3月となっていることから、街路公園課が同計画の検討業務をコンサルタント会社に委託したのは93年度、つまり93年4月以降と考えられる。経過からして基本計画は地権者一族の所有地取得を前提に策定されたものとみられる。
また、基本計画の検討と並行して、土地売買の前提となる用地の測量も行われた。基本計画の図面では、広場の範囲は地権者一族の所有地より広く、一族以外の複数の地権者の土地も含まれていた。しかし、記者が開示を受けた94年作成の西ふれあい広場用地測量丈量図によると、測量の対象となったのは一族の所有地だけだった。93年度は、一族の所有地のうち9800平方メートルを4億1654万円で94年2月に取得した。
地権者一族の1人が土地を寄付して、公社が一族の所有地の取得を開始するまで2年半。年度で言えば、91年度に土地が寄付され、翌92年度には公園建設の方針と一族の所有地の取得が事実上、決まり、93年度には基本計画が策定され、実際の取得が始まった。突然の寄付が短期間で大規模な公園計画に発展し、基本計画が固まる前に一族の所有地だけが取得予定地として特定された。
市が真っ先に取得を決めた地権者一族の所有地は、土地そのものにも問題があった。一族の所有地だけでは進入路がないうえに、予定されている都市計画道路一条富雄線のルートが土地を南北に分断していた。公園の建設には困難を伴うことが予想された。進入路の問題は、その後、計画が頓挫した理由の一つにもなっている。
市土地開発公社経営検討委員会が2011年3月に公表した報告書は、西ふれあい広場計画について特定の個人の便宜を図る趣旨があったのではないかとしている。土地の寄付は地元の市議会議員を通じて持ちかけられたという。地権者一族から土地を取得することになった件でも、この議員は土地を寄付した人物とともに市を訪れ、「(この人物が)相続税支払いの負担を抱えている事情もあるので、土地を買ってやってくれ」という趣旨の依頼をしたという。報告書は議員から市に「圧力があったことが推察される」と指摘している。
一方、報告書より以前になるが、10年3月の市議会予算特別委員会で、公園緑地課長が土地取得の経緯について答弁している。会議録によると、同課長は、福祉施設建設目的で土地の寄付を受けたものの進入路がなく、「土地利用を検討する中、トップダウンにて、周辺土地取得に大きくかじを切ることになり―」と説明、土地取得が市トップの指示だったことを認めた。
寄付を受けた土地は進入路がないだけでなく、予定されている都市計画道路一条富雄線のルート上にあり、十分に利用できない可能性もあった。
公社は00年までに広場用地として、計約4万8000平方メートルを18億1263万円で取得した。このうち地権者一族の所有地は約4万1000平方メートルに上り、取得額は約16億円。面積、取得額ともに全体の9割近くを占めた。一族以外からの取得地は1筆だけだった。経営検討委員会の報告書はこれについても、国会議員の口利きがあったと指摘している。
基本計画策定時の94年作成の西ふれあい広場用地測量丈量図が地権者一族の所有地だけを対象にしていた点について、花木幸治・現公園緑地課長は「理由は分からない。一般的には用地のうち一部の地権者の土地だけを測量することはない」とした。
土地の寄付を受けたときの市長は西田栄三氏( 在任期間1984年~92年9月、故人)、用地の取得が行われた期間の市長は大川靖則氏(同92年9月~2004年)だった。
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