ニュース「奈良の声」のロゴ

地域の身近な問題を掘り下げて取材しています

発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一
ジャーナリスト浅野詠子

関西広域)83年前の新興人形劇の写真現存 モダン文化の面影鮮明に

1936年、糸あやつりで上演された人形のファッションショー。関西新興人形劇の草分け、大阪人形座のメンバーが写る=堀田穣・京都先端科学大学特任教授所蔵

1936年、糸あやつりで上演された人形のファッションショー。関西新興人形劇の草分け、大阪人形座のメンバーが写る=堀田穣・京都先端科学大学特任教授所蔵

 昭和初めの関西において、新興人形劇の草分け的な存在として活動した芸術家たちをとらえた写真が、京都先端科学大学特任教授の堀田穣さん(妖怪文化論、サブカルチャー論)の下で、鮮明な状態で保存されていることが分かった。戦時体制が強化され、官憲によって解散に追い込まれるまでの10年足らずの間、都市に花開いた幻の劇団と言える。時代が暗転するなか、モダン文化の面影を宿す83年前の貴重な1枚だ。

 写真(モノクロ、紙焼き)は1936年10月3日、大阪の三越が開催した糸あやつりの人形ファッションショーである可能性が高いことが、大阪府吹田市の人形遣い、故・阪本一房さんの随筆「大阪あたりの人形劇」(83年)の図版から確認できる。三越伊勢丹ホールディングスによると、この記録は社内にない。

 阪本さんは晩年、紙芝居についての共著がある堀田さんにこの写真を手渡し、末長く保存されることを願った。左から2人目が洋画家の柏尾喜八、中央が声楽家の小代義雄だ。その右隣にうつむき加減で写っている男性が、プロレタリア演劇活動に携わった多田俊平ではないか、と阪本さんは別の随筆(出口座通信252号)で推察している。

 糸あやつりの操作木「バーガー」を手に写る3人は、1935年に旗揚げした大阪人形座の担い手たちだ。そこには写っていないが、二科ゆかりの彫刻家・浅野孟府、戦後に東宝映画「ゴジラ」の怪獣を造形する利光貞三も主要な座員だった。小代は元大阪音楽学校の教授で、早くも大正期の23年、俳優の千田是也らと東京で人形劇を上演している。関西では30年、大阪市東野田の「トンボ座」が先駆けとなり、小代、浅野、柏尾らが小山内薫原作の児童向け戯曲などを糸あやつりで演じた。

 写真の下方に移る先端モードの装いをした人形たちは、浅野孟府が製作した可能性もある。堀田さんは「阪本一房さんが営んだ人形芝居・出口座は、戦前の新興芸術として人形劇に打ち込んだ小代義雄、浅野孟府らの肖像写真を掛けていた。こうした先輩たちの活動を誇りに思い、往年の写真や緞帳(どんちょう)を大切にしていた」と話している。【関連記事へ】

読者の声

comments powered by Disqus