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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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ジャーナリスト浅野詠子、浅野善一

美術館計画頓挫、20年利用無し 奈良市、5億8600万円の取得地

奈良市が取得以来、一度も活用していない元興福寺子院(旧最勝院)の屋敷と庭園、樹木などの管理をする車=2020年9月3日、同市高畑町

奈良市が取得以来、一度も活用していない元興福寺子院(旧最勝院)の屋敷と庭園、樹木などの管理をする車=2020年9月3日、同市高畑町

閉ざされている元興福寺子院(旧最勝院)の表門=同

閉ざされている元興福寺子院(旧最勝院)の表門=同

 奈良市が美術館建設を掲げ2000年6月、5億8600万円で取得した同市高畑町の土地が20年間、何も利用されておらず、計画を示す公文書も、計画が頓挫した理由を示す公文書も残っていないことが分かった。

 場所は、浮見堂で知られる奈良公園の鷺池の南方。斜め向かいには、県が奈良公園(高畑町裁判所跡地)の便益施設として富裕層を狙って誘致、ことし6月に開業した高級宿泊施設がある。

 記者は市に対し、同土地の取得価格や現在の利用状況が分かる文書を開示請求し、同土地に関する市土地開発公社の公共用地取得完了報告書、公有財産台帳、2020年度歳出予算説明調書を入手した。

 問題の土地は、同市の興福寺の元子院(旧最勝院)。明治初年の同寺荒廃後、民間人の手に渡り、住まいになった。市は「文化施設整備事業」の名目で1997年、市の用地買収機関、市土地開発公社(2013年、解散)に土地と建物を5億4400万円で買収させた。土地は広さ約2400平方メートル、地目は宅地。建物は木造瓦ぶき一部檜皮(ひわだ)ぶき平屋建て約77平方メートルのほかに土蔵など。

 取得から3年後の2000年3月、大川靖則市長(当時)は定例市議会で、市出身の洋画家、絹谷幸二さんの作品を集めた美術館を2002年にオープンすると表明した。3カ月後、市は、問題の土地を美術館建設の目的で同公社から金利分を加えた5億8600万円で買い戻した。

 また2001年7月、元子院の表門などを市の指定文化財にした。

 ところが、大川市長は2002年3月定例会で「計画見直し」を発表。事実上、計画を白紙に戻した。理由の説明はなかった。

 同土地の用途地域は第1種低層住居専用地域で、原則、美術館を建てることはできない。建築基準法では例外として、奈良市のように建築指導権限を持つ特定行政庁が、利害関係のある人の出頭を求めて公開により意見を聴取し、かつ、建築審査会の同意を得た上で、良好な住環境を害する恐れがないと認め、または公益上やむを得ないと認めた場合は建築が可能となる、としている。

 計画中止に至る経緯はほとんど明らかになっていないが、近隣住民から反対の声もあった。開発するには困難が伴う第1種低層住居専用地域の土地を、市はあえて多額の支出をして取得していた。

 市に計画を断念した記録は一切、残っていない。市は美術館建設計画を打ち上げた当時、情報公開条例を制定し、文書の作成と保存に努めることを、新たな職務に加えていた。

 問題の土地には、公開と活用が使命である文化財があるが、門は常時閉じていて、敷地内を見学できる機会はない。

 計画を宙に浮かせた大川市長以降、3人の市長が就任した。前任者から用地を受け継いだ市文化振興課の担当者は言う。

 「市の指定文化財であることがあることがネックとなり、簡単に売却できません。文化財の指定を解除することも難しいです。何も使われなくても年間70年万円の管理費がかかり、10年で700万円になります。放置していいとは認識していません」

 計画が浮上した当時は大川市政による箱モノ建設ラッシュの時代。用地と施設に300億円近くをかけた文化ホール市なら100年会館をはじめ、写真美術館、音声館、書道美術館、工芸館などを相次いで建設した。これらの維持管理費が後年度の財政負担となっている。 関連記事へ

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