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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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ジャーナリスト浅野詠子

記者余話)オークションで入手の彫刻、浅野孟府の作品だった 京都・宇治の美術愛好家 評伝書いた記者に連絡

台座に「MOFU」と刻まれた裸婦像(手前)=2021年11月5日、京都府宇治市羽戸山3丁目の田村和司さん宅

台座に「MOFU」と刻まれた裸婦像(手前)=2021年11月5日、京都府宇治市羽戸山3丁目の田村和司さん宅

「一陽会五十年史」が掲載する浅野孟府の彫刻の写真

「一陽会五十年史」が掲載する浅野孟府の彫刻の写真

 作者不詳でオークションに出品されていた彫刻を入手したところ、記者の拙著「彫刻家 浅野孟府の時代 1900-1984」(批評社)で紹介されている孟府の作品の一つと同じだった――、と京都府宇治市の美術愛好家から記者の元に連絡があった。孟府は大正期の新興美術運動を担った彫刻家。愛好家宅を訪ね、彫刻を見せていただいた。

 宇治市羽戸山3丁目の田村和司さん(73)は昨年5月、インターネットのオークションで作者不詳として出品されている彫刻を入手した。ブロンズで像高87センチ。田村さんは、台座にあった「MOFU」の文字から孟府の作品と判断。その後、拙著の存在を知り、作品の由来を知ることになったという。

 拙著が掲載した同彫刻の写真は「一陽会の五十年史」から引用したもの。一陽会は1955年、二科会を脱会した著名な洋画家らが設立した。孟府は彫刻部の創立会員。同彫刻は第3回一陽会展(1957年)に出品された。モデルは娘盛りを過ぎた女性とみられ、柔和な表情をしている。

 「入手した彫刻をインターネットオークションの画像で見たとき、ああ、いいなあと思わず声が出ました」と田村さん。日ごろは「アート・わの会」というコレクターの会に所属し、会ホームページの随筆を担当。日々、美術を追究している。「浅野孟府の名を知ったのは30代のころ。いつかは入手したいと願い、いざ実現してみると、今度は美術館に寄贈したい気持ちになりました。かけがえのない仕事をした作家です」と声を弾ませる。

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