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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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ジャーナリスト浅野詠子

奈良・川上、大滝ダム地滑りから20年 集落住民、離散の無念 湖岸で新たな対策工事 水道一体化の主要水源に

大滝ダム貯水池に架かる貯水池横断橋。地滑りで廃墟となった白屋地区と国道を結ぶ。右手は高原トンネル周辺で行われている地滑り対策工事の現場。白屋から写す=2023年4月27日、奈良県川上村

大滝ダム貯水池に架かる貯水池横断橋。地滑りで廃墟となった白屋地区と国道を結ぶ。右手は高原トンネル周辺で行われている地滑り対策工事の現場。白屋から写す=2023年4月27日、奈良県川上村

 国土交通省が奈良県川上村の吉野川(紀の川上流)で建設を進めていた大滝ダムで2003年、試験貯水中に地滑りが発生してから20年。

 沿岸の白屋地区37世帯(77人)は離散を余儀なくされ、安全対策を巡り住民が起こした裁判で国は敗訴した。現在も現場近くの国道169号高原トンネル(ダム建設に伴う付け替え道)周辺で大規模な地滑り対策工事が行われ、複雑な地質の土地でのダム建設だったことをうかがわせる。一方、ダム湖の貯水は、県などが2025年度に事業開始を目指す県域水道一体化の広域水道企業団の主要水源となり、山塊を隔てた奈良盆地との関係はいっそう緊密になる。

 地滑りの発生は、完成間際の大滝ダムが試験貯水を開始して約1カ月後のこと。貯水位が河床から35メートル上昇したとき、堰堤(えんてい)から上流4キロの白屋地区で地面の亀裂が相次いで発見された。日がたつにつれ、大地の裂け目は大きくなっていった。

 白屋地区の地滑り対策工事はすでに完了している。この問題により、湖岸の安全対策が強化され、国は同村迫、大滝の2地区でも地滑り対策を実施した。廃墟と化した白屋地区と国道169号を結ぶ貯水池横断橋(白屋橋)に立つと、約500メートル先の対岸、高原トンネル周辺の山肌をコンクリートの擁壁が覆っている様子がよく見える。

 大滝ダムは半世紀の歳月と3640億円の巨費を投じ2013年に完成。その年、高原トンネル坑内に亀裂が見つかり、5年後に亀裂の幅が最大3倍近くの7ミリに拡大し、2020年、国は地滑り対策工事に着手した。県管理の国道だが、地滑り抑止工の経験がある国に工事を委託した。

 本年3月に工事を終える計画だったが、来年3月まで延長する。これにより、当初43億9000万円だった工費は2倍以上の108億円に上昇した。アンカー工と呼ばれる地滑り抑止工で山の斜面を798本のワイヤの引長力で安定させる。掘削が最深80メートルに及ぶ大工事。

 国土交通省近畿地方整備局河川工事課は「想定した以上に硬い地盤だ。着工前にボーリング調査をしたが、あくまで点でしか地質は判明せず、把握しきれなかった」と話す。

 現場は、大滝ダム建設に伴い水没した旧道の代替として新設された国道の周辺。県は工費の3分の1を支出し、完工後も地滑り監視の計測を続ける。

白屋の地滑り、昨日のことのよう

家屋に亀裂が発生した2003年当時の川上村白屋の集落

A…国を訴えた裁判の原告団長で最後の区長、井阪勘四郎さん方(橿原市に移転)
B…国を訴えた裁判の大阪高裁控訴審で逆転勝訴し記者会見に臨んだ原告、井上兼治さん方(橿原市に移転)
C…朝日新聞「声欄」に、地滑りで故郷を追われる心情を投稿した勇気ある役場職員、横谷好則さん方(川上村内に移転)
D…全国に誇る人工美林の山守共同体、森林組合長・南本泰男さん方(橿原市に移転)。父は元村長
E…国に対しダム貯水による対策工の実施を1981年に求めていた元区長、福田寿徳さん方(大淀町に移転)。父はニューギニアで戦死し、親子2代、国家の都合で郷里に帰れず
F…高齢の井阪原告団長を支え、裁判を闘った横谷圀晃さん方(橿原市に移転)。地元八幡神社が各世帯交替で神主を務める厳格な神事の記録を保存
G…村に残る選択をした12世帯(ダム骨材プラント跡地に移転)の新・白屋区(川上村大滝)区長、亀本東洋和さん方
H…ニホンオオカミの遠ぼえを聞いた古老の記録を残した石本伊三郎さん方(大淀町に移転)

◆集落地図と説明文は白屋区編さんの家屋配置図を基に旧村民らへの聞き取りなどから作成、肩書きは当時

 10年一昔という。試験貯水中の地滑りから二昔の歳月が過ぎた。ダム湖への貯水が始まった当時、室内の壁面が割れるなどの被害が出た7家屋のうち、最も被害が大きかったのが、木造平屋建てとたんぶきの北西善司さん(79)方(村内に移転後、橿原市へ)。当時、村社会福祉協議会に勤務していた妻の一恵さん(74)の記憶はところどころだが鮮明。20年たって「大変な出来事が風化していきそうだ」というもどかしさもある。

 北西さん方は亀裂現象の早期発見者の一人。一恵さんに当時の様子を聞いた。

 「自宅の中庭にひび割れを見つけ、おや何だろうと思った。まさか大滝ダムの貯水による影響などとは考えもつかなかった。玄関の土間を掘ったイモの貯蔵庫(深さ1メートル)にも亀裂が走り、たどると裏庭の裂け目とつながっていた。最初は小さいひび割れだったが次第に大きくなっていった。和室の畳の下はどうなっているのか、夫と一緒に畳とその下の床材を上げてみると、やはり地割れが見つかった。外に出ると隣家のブロック塀が破損していた」

 村役場の指示で村営住宅に移り、2カ月ほど過ごした後、仮設住宅で2年半暮らした。世帯によっては仮設での生活が3年半に及んだ。 

 「仮設に来て最初の冬に雪が積もった。そのころ、車で通勤中に国道の反対側車線の斜面に無人となった集落が見えたとき、ふいに涙がこぼれ落ちた。置いてきたままの植木などを取りに戻ることはあったが、できれば自分の家には近づきたくない、見たくないと思った」

 地元白屋地区の母校、旧村立第二小学校、第二中学校の水泳の授業はいずれも目の前の吉野川だった。村役場がダムの本体着手に同意したのは1981年の昔。郷土の清流が水没することは早くから分かっていたが、地滑りは突然、やって来た。

 54歳の働き盛り。「何もかも崩れていくような気がして、普段の生活も奪われてしまった」と仮設暮らしで嘆息した。

 「大滝ダムの長所は盛んに伝えられている。もっと時間がたてば、あの出来事はかき消えてしまうのではないか。どうか全容を知ってほしい」

 国が威信をかけた直営の巨大ダムとしては希有な地滑り。何かの教訓を残したはずだ。一方、小、中学生らの来訪者が多いダムのPR館(正式名称、大滝ダム・学べる防災ステーション)は地滑り事故の解説展示を行っていない。ひたすらダムの治水、利水の機能を礼賛している。

巨大堰堤のすぐ近くにある「大滝ダム学べる防災ステーション」(中央奥)=2023年5月20日、奈良県川上村

巨大堰堤のすぐ近くにある「大滝ダム学べる防災ステーション」(中央奥)=2023年5月20日、奈良県川上村

 なぜなのか。施設の運営は近畿地方整備局・紀の川ダム統合管理事務所が担当する。質問に対し、電子メールによる同局からの回答は次の通り。

 「大滝ダム・学べる防災ステーションは、人間の知恵がどのように『水』を治め、『水』を活用してきたかを『見て、聞いて、さわって』学習する施設として、近畿地方で最大級の『大滝ダム』で、暮らしを支えるダムについて学んでいただくことを目的としているところです。なお、川上村白屋地区の亀裂現象ならびに同ダム地滑り対策工事については、堤体上流の駐車場から防災ステーションまでの道沿いの壁面および堤体内の見学コース“ダムの中みち”に設置している『大滝ダムのあゆみ』に記載をしております」

一体化の水道水源、加速する奈良盆地への導水

 橿原市に移転した旧村民らが起こした大滝ダム地滑り訴訟で国は2011年、全面敗訴した。近畿地方整備局が安全対策を怠ったことを大阪高裁が認定し、国は最高裁への上告を断念した。

 巨大な水がめは県営水道の最重要水源。現在、県が中心となって進めている県域水道一体化(参加26市町村と県)の主要な水源になる。

 原告勝訴の一因となったのは奈良県地質調査委員会が1978年、ボーリングと横坑の調査によって、深度70メートルの地点で風化した粘土を認めていたことだ。旧建設省近畿地方建設局は委員会の主要構成者だったが、浅い地滑りを想定した対策しか行わなかった。

 白屋地区と国道を結ぶ貯水池横断橋はデザインに凝った斜張橋の白屋橋を建設したものの、無人の集落と国道を結ぶ空疎な橋に化してしまう。

 やり直しの地滑り対策に国は430億円をかけた。うち県が70億円近くを負担した。工事か長引き、県中南部などで期待された県営水道の安定供給に10年の遅れが出た。全額、国が負担すべきではなかったのか。県水道局に聞いた。回答の電子メールは次の通り。

 「当該地滑り対策工事は、多目的ダムである大滝ダムを安全に供用するために施工されたものです。特定多目的ダム法(昭和32年法律第35号)では、多目的ダムの建設に要する費用については、ダム使用権の設定予定者が負担をしなければならいと規定されており、奈良県も当該ダムのダム使用権の設定予定者であることから、応分の費用負担をしているところです」

大滝ダム湖岸で行われた地滑り対策工事

大滝ダム湖岸で行われた地滑り対策工事

 一体化は貯水量に相当なゆとりのある大滝ダムからの導水を最優先する。このため、大和川水系で県が多額の費用をかけて築造した初瀬、天理の県営2ダムの利水をいとも簡単に手放す。さらに合理化のため、市町村営の5つの浄水場を廃止する計画だ。これにより人口の多い県北部の水道は、導水距離の長い紀の川水系への依存度が高くなる。

 大滝ダムは川上村民475世帯を立ち退かせ(水没399、地滑り37、ほか道路建設などによる移転)、吉野川の清流と多数の集落をつぶした。飽き足らず、奈良盆地の地下水浄水場を侵食していく構図だ。

 地滑りで離散した白屋地区住民には、区が営む簡易水道があった。谷水を引き、1世帯当たり月1000円の負担金で好きなだけ水道水が使えた。全世帯が交替で貯水槽を清掃し、水質はアユがよく知っていた。縄張り意識の強いアユは、おとりのアユに体当たりして釣り針にかかる。その習性を生かしたのがアユ釣りで、川上村の吉野川は絶好の釣り場だった。白屋地区のどの家にも友アユを飼う水槽があった。

 昨年12月、国相手の地滑り裁判で原告団長を務めた井阪勘四郎さんが世を去った。享年94歳。川上村は全国屈指の人工美林の里。井阪さんは山林労組の執行委員だった。「ダムで一生が終わります」と生前、漏らしていた。

 決して過言ではない。伊勢湾台風の来襲は31歳のとき。翌年、旧建設省は治水を主目的とする大滝ダムの予備調査を開始し、村議会は反対の決議。建設中止を求める住民らの激しい運動から、東の八ッ場と並び称され、西の大滝と呼ばれた。

 古老の言い伝えから白屋地区は潜在的な地滑り地といわれた。岡山県倉敷市に住む吉岡金市博士を訪ね、区主催の地滑り調査を依頼したのが井阪さん45歳のとき。国に対し、地滑りの長期観測と対策工事を要請したのが53歳。ダム本体のコンクリート打設が始まったのが68歳。試験貯水中の地滑りが発生し、区民と共に仮設住宅で暮らし始めたのが75歳。国を相手取り住民が提訴に及んだとき、原告団長の井阪さんは79歳になっていた。

 勝訴したが、原告の旧村民らに笑顔はなかった。区民全員で移転することを希望したものの「村内での用地確保は困難」と国に断られた。移転先の候補地選定などを巡って住民間に亀裂も生じた。村内に留まる決断をした12世帯はダム骨材生産施設跡地に居を構え、残る13世帯は橿原市石川町にまとまって新天地を求めた。他の12世帯のうち大淀町に移転した人が数世帯、大阪などにいる実子のもとに身を寄せ奈良県を去った人もいた。

 白屋地区の解散総会は2013年4月、橿原市久米町神宮前のホテルで行われた。集落の歴史は800年とも1000年ともいわれた。

 3年後のこと。同市内に移転した家々の水道に大滝ダムの水がやって来た。橿原市が地下水の市営八木浄水場を廃止し、県営御所浄水場からの100%受水に踏み切ったからだ。

 高齢の井阪原告団長を支え、共に裁判を闘ってきた横谷圀晃さん(82)は「良い水であると、浄水器の専門家から褒められた」とからりと言った。 関連記事へ

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