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地域の身近な問題を掘り下げて取材しています

発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一
ジャーナリスト浅野詠子

興福寺五重塔前で学徒の軍事教練 戦前の写真、奈良教育大の資料館で見つかる

大正時代ごろ、興福寺五重塔を背景に軍事教練で銃を構える訓練などに励む学生ら

大正時代ごろ、興福寺五重塔を背景に軍事教練で銃を構える訓練などに励む学生ら=奈良教育大学教育資料館提供

 奈良市の興福寺五重塔前の境内で、学生たちが軍事教練をしている大正時代ごろの写真が同市高畑町、奈良教育大学の教育資料館でこのほど見つかった。古都奈良を象徴する寺院を背景に、第2次世界大戦に突き進んでいく世相をくっきり映し出している。同資料館はこの写真以外にも、軍需工場への学徒動員など、戦前の貴重な写真を多数保管していることも分かった。

 見つかったのは小さなプリント写真。これを引き延ばし、パネルにしたものも残っており、1917年ごろの撮影と解説されている。撮影者は不明。同大学の川上文雄教授(政治学)が見つけ、今月、市内のギャラリーで開かれた、桜井市の西田敦さんの県内戦跡写真展の案内ポスターの一部に活用された。

 川上教授によると、軍事教練の義務化は1925年から。また、写真の若者たちが旧奈良県師範学校(現同大学)の学生であるかどうかは分からないという。

 教育資料館は明治のれんが建築で、旧陸軍第38連隊の糧秣(りょうまつ)庫だった。敗戦後は米軍が接収、キャンプ奈良C地区と呼ばれた。58年、前身の奈良学芸大が同市登大路町から現在地に移転。旧糧秣庫は保存され、92年、同資料館として開設された。県内初等中等教育に関する資料などを収集している。

 教育資料館が保管する資料のうち、戦前に撮影された写真は数百枚に上るとみられる。昭和の初期、現役将校が配属された38連隊の同敷地で春日山を背景に行われる軍事訓練の写真や、同時期、教育現場で重視された集団体操の演技に真剣な表情で臨む同師範学校併設の女子師範学校の学生たちの写真、敗戦間際の44年、同市京終町(当時)にあった軍需工場のグライダー製造工場で働く勤労動員の女子学生の集合写真などがある。

 同大学教育研究支援課によると、これら貴重な写真は、寄贈されたものが相当あるらしい。

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