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地域の身近な問題を掘り下げて取材しています

発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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コラム)うそを放置し続ける国/政治と憲法の風景・川上文雄…21

筆者のアートコレクションから伊藤樹里(いとう・じゅり、1977年生まれ)「大阪の路線図II」。作者は奈良県在住。大阪の地下鉄を「色」で表現した作品(赤は御堂筋線)

筆者のアートコレクションから伊藤樹里(いとう・じゅり、1977年生まれ)「大阪の路線図II」。作者は奈良県在住。大阪の地下鉄を「色」で表現した作品(赤は御堂筋線)

 近畿財務局職員の赤木俊夫さんを自殺に追い込んだ「森友学園への国有地払い下げ」問題。再調査をして真相を究明してほしいという世論の声は小さくありません。10月の臨時国会でもいくつかの野党が代表質問で問題を取りあげました。しかし、答弁した岸田首相、そして政権連立与党の幹部・有力議員の対応はきわめて消極的でした。

 自分に都合の悪いことが生じたので、つじつまを合わせるために文書を改ざんさせた。国会で虚偽答弁を繰り返した。言い逃れ、その場しのぎ、でまかせ、かくしごと。自分の発言に責任をもち、一貫性を大切にする、誠実に説明することは無視し続けました。

 結託してうそを言い隠蔽をおこなった張本人、それを放置する政権与党の人たち、うそを聞かされ続け放置された状態の中で暮らし続ける一般の人たち。いろいろ立場があるけれど、国全体で考えると日本は「うそをまかり通らせる国」。これでいいのか。今のままの状態を放置する政党・政治家が政権を担う、国家のかじ取りをするというのであれば、「国家の品格」はどうなっているのかと問いたくなります。

 うそをつき、ごまかし続けること、うそを聞き続ける・放置されたままにすることの害悪について考えます。

性格がねじ曲がる

 絶大な政治権力を持っているのをこれ幸いに、言葉をぞんざいに扱う人たちを国民は見続けてきた、ということでしょうか。自分の利益を実現するためには言葉をどのように使ってもいい。人間として基本的に大切な「言葉を誠実に使う」は無視。その意味で「自分を大切にしない人」と言えるでしょう。そんなことを続けたら、性格がねじ曲がってしまいそう。まさに筆者が読んだ本に書いてあるとおりです。

 「うそつき liar」に関する記述のある英語学習の本。うそをつくことがその人の性格に根づいてしまったうそつきについて10種類の類型をあげて説明しています。筆者が感心したのは「常軌を逸した(規格外の・突出した)」うそつきの説明です。以下、要約です(Norman Lewis, Word Power Made Easy, Anchor Books, p.152より)。

 (1)うそをつくことは悪である。他人を傷つけるだけでなく、うそつき本人にとっても危険な効果がある。最悪なのは、うそがばれずに相手をだませた場合である。本人の性格はねじ曲げられ、価値観(人として何を大切にすべきかについての考え)は劣化する。

 (2)(性格に根づいたうそつきの場合は)うその1つ1つがすべて用意周到・計算づくで、冷酷に発せられた邪悪なものである。うそは常軌を逸して有害であり、それを聞かされる人は驚きと嫌悪で胸が苦しくなり息が止まってしまいそう。(下線は筆者)

 改ざんに手を貸してしまった赤木俊夫さんの後悔と苦悩、妻・赤木雅子さんの悲痛・苦痛が表現されています。「用意周到・計算づくで、冷酷に」というところは、この本が挙げる10類型のうちの別の2つにも当てはまります。「冷酷に」は「良心の呵責(かしゃく)をまったく感じない」うそつき、「用意周到・計算づく」だから「立て板に水、うそが滑らかにでてくる」うそつき。

 この本は一般的な個人としてのうそつきを取りあげたものにすぎません。絶大な政治権力を持ち、自ら統治する省庁の官僚組織を使える場合は、比較を絶するうそつき。「常軌を逸した(規格外の・突出した)」の程度も一般人をはるかに超えています。

うそを聞き続ける害悪

 うそを言った経験はだれにもあるけれど、たいがいの人は「性格に根づいたうそつき」になっていません。とはいえ、このところ日本国民は「常軌を逸したうそ」を聞かされ続けてきました。紹介した本の語句を借りれば、聞き続ける人の「価値観が劣化する」のではないか。性格がねじ曲がるのではないか。

 ここで視点をすこし変えて、国をひとりの人間になぞらえて問うてみましょう。国全体を大切にするなら、悪(常軌を逸したうそ)をこのまま放置していいのか。国の性格をねじ曲げてしまわないのか。当事者個人の責任を問うことは当然ですが、それを超えた政治全体の「質」の問題、国全体のあり方の問題として考えることも重要です。その根底に「言葉の問題」があります。

「言論の荒野」を行く

 うそつきは言葉に関わる問題の1つです。それ以外にも言葉の問題があります。国会審議を軽視する政府・政権与党の姿勢。言葉を使って政治的事件を報道するメディアの問題(政権にそんたくして消極的になっている)。あるいは不十分な文書・情報開示の問題(情報公開法改正という課題)。

 筆者には個人として「言論の荒野を歩いている」という思いが強くあります。このまま行き続けて「ことばの難民」になってしまいそうです。

 政権党を支持する人たち、そしてなによりも国会・地方議会を問わず政権党に所属する議員のみなさんはどう感じているのでしょう。議員は組織の中にいると、なかなか自由にものを言いにくい。それなら、一般有権者(とくに政権党を支持する有権者)がしっかりものを言うことで変化はもたらされるのかもしれません。

 「美しい国」ということばが大好きな首相が起こした「森友問題」。首相は代わりましたが、過去を総括しなくていいか。選挙では、投票用紙にだまって記入します。これも「ことばによる表現」の1つ。言論が息づく国になるための1票(比例を含めて2票)です。

(おおむね月1回更新予定)

川上文雄

かわかみ・ふみお=客員コラムニスト、元奈良教育大学教員

読者との対話