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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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コラム)アジアへの謝罪、戦没者はしたかった/川上文雄のじんぐう便り…7

寺川真弓(てらかわ・まゆみ=奈良県生駒市在住の染織家)の「Light Fields」(196×40×6センチ、絹、琉球藍染)。2020年10月、個展の会場で筆者撮影

寺川真弓(てらかわ・まゆみ=奈良県生駒市在住の染織家)の「Light Fields」(196×40×6センチ、絹、琉球藍染)。2020年10月、個展の会場で筆者撮影

 8月15日に政府主催の全国戦没者追悼式がありました。毎年、式のはじめに首相が式辞を読みます。式辞には首相それぞれに言葉の選択があって、そこからいろいろなことが分かります。今年は去年につづき岸田文雄首相。岸田氏は、安倍晋三首相が2020年に消去した「歴史の教訓を深く胸に刻み」を復活させました(じつは去年の式辞からそうでした)。でも、安倍首相が2013年に消去した「アジアへの加害と反省」の言葉は消えたまま。この言葉がなければ「謝罪」の姿勢は伝わらないでしょう。

 安倍首相が謝罪につながる言葉を使わなくなった理由は2015年8月14日の「談話」からうかがえます。「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」。しかし、戦没者追悼の趣旨をふまえれば、アジア諸国の人々への謝罪は続けるべきではないか。それが日本人戦没者の願いではないか。

追悼式、毎回が絶対的な1回

 追悼とは「死者をしのび、悲しみなげくこと」(国語辞典より)。これを戦没者の追悼に当てはめると「この世に思い残すこと(この世でできなかったこと、やり残したこと)があって無念の思いをいだき、安らかに眠れない戦死者、戦争犠牲者のことを悲しみなげく」になる。追悼式はそのような戦没者の魂を鎮めるための儀式です。安倍首相は「日本人戦没者の鎮魂のために謝罪は続けるべきだ」とは考えなかったようです。

 戦没者が「この世に思い残すこと」の1つに「アジアの人々への謝罪ができていない」はないでしょうか。これは「侵略戦争だったから、それに加担したことを謝罪したい」ではない。この点では、戦没者のなかでも意見が分かれるでしょう。私は「侵略の意図はなかった」「自衛のための戦争だった」といった種類の議論は通用しないという考えです。しかし「侵略戦争」の議論とは別に、「アジアへの加害と反省」にもとづいて謝罪したい戦没者はたくさんいる(私は「全員そうだ」と思いたいです)。

 戦没者の思いを聞きながら、戦没者に代わって首相が謝罪する。追悼式は毎回、毎回が絶対的な1回。「第〇〇回」という数え方はしないほうがいい。「いつまで追悼式を続けるの?」とは考えないのと同じで、戦没者の鎮魂のための謝罪も続けない理由がありません。この鎮魂に、戦後生まれの人たちが(戦没者の孫のような世代の人たちも)加わります。

 謝罪を続けるなら「相手から求められたからしかたなくやる」でなく、自発的にする。それによって謝罪の真実味・誠実さが生まれます。その謝罪を静かに受け入れてくれる相手国の人びとが増える、そして対話と相互理解が促進されることを期待し続ける。

 謝罪について、もう1つ取りあげたいことがあります。

日本人戦没者への謝罪は?

 日本人戦没者への謝罪はどうなっているのか。式辞ではこれまで「哀悼の意」を表することはあっても(たとえば、1993年細川護熙首相の式辞)、「謝罪」の語句は使われなかった。日本人戦没者は自分たちへの謝罪を求めていないのか。

 謝罪するとなれば、その根拠を示唆した注目すべき発言があります。村山富市首相の1995年8月15日の「談話」。「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ…」という政治責任への言及があります。村山談話は憲法「前文」の「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起(こ)ることのないように」を引き継いだものです。

 しかし、村山首相の1995年式辞のなかにもその他の首相の式辞のなかにも、政治の責任に言及した箇所はありません。ただし、「歴史と謙虚に向き合い」とか「歴史の教訓を深く胸に刻み」というような、謝罪に背を向けてはいない―謝罪につながる可能性のある―言葉を式辞に入れています。

 安倍首相もそれらの言葉をしばらく使っていました。しかし、最後の2020年式辞では、それらの言葉を使いませんでした。いちおう広島・長崎の原爆、各都市での爆撃、沖縄の地上戦という過去の出来事への具体的な言及はあります。しかし「歴史と謙虚に向き合い」とか「歴史の教訓を深く胸に刻み」とか、もう一押しする言葉は飲み込んでしまった(どうしても言いたくないのでしょう)。

未来のために過去へ

 生まれていなかった時代の歴史、そんなに深刻に振り返る必要があるの? 未来を向こうではありませんか。そんな声が安倍首相の式辞から聞こえてしまいます。私は「未来のために今こそ過去を振り返ろう」と、若い世代の人たちに呼びかけたくなります。

 最近の政治の劣化をどう思いますか。政策のあやまりを認めて、方向転換する、場合によっては謝罪する。その基本が今の政治に欠けていないでしょうか。あるいは、戦前と同じように、議会(国会)を無視・軽視する横暴な政治が横行してはいないでしょうか。そうであれば、「政治の針路を誤れば、未来において再び戦争になるかもしれない」と、用心深く考えた方がいい時代にすでになっていると言えるのはないでしょうか。

 戦前、国民を代表する議会(男子普通選挙で選ぶ衆議院)が無視されたことを象徴的に示す以下の事実があります。(1)対米開戦時の東条内閣に衆院議員の大臣は1人もいなかった (2)1932年の5.15事件で犬養毅首相が殺された後、1945年の敗戦まで11人が首相になったが、うち8人が軍人、他の3人も華族、官僚出身者、外交官出身者、つまり選挙で選ばれた首相が(犬養以後)1人もいなかった(以上、栗原俊雄「『英霊』という言葉が隠すこと」、毎日新聞2023年8月5日朝刊を参照した)。

 今の首相は選挙で選ばれた議員がなるから心配ないのでしょうか。国会の軽視・無視はなぜ起こるのか。現在と過去の共通点をしっかり理解する必要があると思います。(おおむね月1度の更新予定)

川上文雄

 かわかみ・ふみお=奈良教育大学元教員、奈良市の神功(じんぐう)地区に1995年から在住

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