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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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コラム)虐待禁止条例が働く親を虐待する/川上文雄のじんぐう便り…9

五月人形「桃太郎」。筆者が子どものころ飾っていたもの

五月人形「桃太郎」。筆者が子どものころ飾っていたもの

 埼玉県議会の全93議席の6割以上、58議席を占める自民党県議団が提出した虐待禁止条例改正案(以下、改正案)。しかし、委員会を通過させた後、本会議で採決される前の10月10日に撤回しました。改正案について議員団の当初の説明を知って、私は「虐待禁止条例こそ働く親たちを虐待している」と言いたくなりました。

 議員団の説明によると、小学校3年生以下の子どもに関して次のことはすべて「放置による虐待」に当たります。子どもたちだけの登下校、親が見守っていない場所(公園など)で子どもを遊ばせる、高校生の兄・姉に子どもを預けて外出。「安全を確保できる」「すぐに駆け付けられる」の2点が確保できない状況は、たとえ短時間であっても「放置による虐待」です。

 この説明に対して困惑と批判の声があがりました。子どもを育てながら働く親たち(共働きの家庭、ひとり親の家庭)の実情を無視して、これまで以上の負担を強いることになる。子どもの預け先がない親をさらに追い詰める内容だ。しかし、「親を追い詰める」では実情を十分に表現できていない。これは虐待である。虐待の「虐」という漢字の成り立ちを知って、そのように言いたくなりました。

 この漢字は、「虍」+「爪」+「人」を合わせて「虎が爪で人をつかむ」かたちを作り、「しいたげる」「むごい」の意味を表した文字です。なるほど、児童「虐待」とは的確な言い方で、力の差が圧倒的な大人の所業。死にいたらしめる虐待をはじめ「むごい」ものが少なくありません。ここから「虐」の基本要素を「強い者が強烈に痛めつける」と理解することにしましょう。

 議員団の説明は何もかも「放置(=虐待)」であると言わんばかり。改正案は今までにないレベルで子どもから離れずに世話をするように求めている。子育ても労働も、どちらもやめられない。労働時間を減らすわけにもいかない。働く親たちの苦境を想像できれば、心と体を強烈に痛めつけようとしていることが分かります。

 さらに「県民は、虐待を受けた児童等(虐待を受けたと思われる児童等を含む。)を発見した場合は、速やかに通告又は通報をしなければならない」(8条2項)とあって、追い打ちをかけています。

 「放置=虐待」問題は、子育て問題・働き方問題とセットで考えるべきもの。だから改正案に「県は、市町村と連携し、待機児童に関する問題を解消するための施策その他の児童の放置の防止に資する施策を講ずるものとする」(6条3項)と書き込んだのでしょう。しかし、この程度の文言ではどうしようもありません。今後の保証はなく、親たちの不安を放置したままの改正案でした。

 もう少し詳しく「放置の禁止」に関わる文言を見ていきます。改正案には小学校3年生までの児童について「児童を現に養護する者は、当該児童を住居その他の場所に残したまま外出することその他の放置をしてはならない」(6条2項)としか書かれていません。この箇所を含めて「児童の放置」の明確な定義づけは条例全体を見てもどこにも書かれていない。その理由は「本来禁止すべきものが(条文から)抜け落ちる可能性があるから」と議員団の一人が説明しています。それでは「本来禁止すべきもの」として何を想定しているか。それを示しているのが、冒頭に紹介した説明にあった事例です。

 その説明が「何から何まで放置になりかねない」という不安を引き起こしました。条文に明記されていないからといって、不安が消えるものではありません。かえって不安は大きくなります。というのも、条例改正案が可決・成立すれば、それにしたがって埼玉県庁が具体的な場面で関与することになるからです。

 実際、埼玉県福祉部の部長が報道陣の取材に応じ「(改正案が成立した場合は)内容を精査し適切に執行していく」と述べています。いかに条例の執行機関である県庁と議会は別ものといっても、過半数をはるかに超える議席の自民党県議団です。その条例解釈の影響力は無視できない。議員たちが自重して行政に介入しないという確かな保証はない。圧力を行使する可能性は十分にあります。

 ここ何十年間、所得も伸びず、税・社会保険負担率も上昇して、また、最近は物価も上昇して、ますます多くの国民が生活の基礎において強烈に痛めつけられています。改正案は、それに追い打ちをかけるようにして、働くこと・子育てすることという生活の根元において強烈に痛めつけられる人たちを生み出だそうとするものでした。

 結局、改正案は撤回。その大きな要因の1つは、土壇場でのSNS上での批判の盛り上がり、多くの人たちがオンライン署名で反対の声をあげたことでした。このことを私は以下のようにとらえています。強烈に痛めつけられた人たちがいることに気づいて、放置することなく、どのようなかたちであれ、どのような機会であれ、「虐待するな」の思いを表現した。一人ひとりの小さな力を集めて大きな力にして、議会で圧倒的な勢力をもつ議員団が提出した改正案の成立を阻んだ。

 以上は、政治の場面で発生するその他の「虐待」についても参考になると思います。小さな力を集めて大きな力にする方法は? 選挙で投票することはその1つ。ほかにもいろいろありそうです。

【追伸】

 生活の根元において強烈に痛めつけられている人たち。ほかにもたくさんありますが、次の人たちにとどめます。福島原発事故で住む場所を奪われた人たち。政府と電力会社の安全対策に重大な欠陥があった。 コラム)福島原発の事故賠償、国の「製造物責任」を問う/政治と憲法の風景・川上文雄…12
軍事基地に苦しむ沖縄県民。 長い苦難の歴史を無視してよいはずがありません。 コラム)本土にとって沖縄とは―「外地差別」を考える/政治と憲法の風景・川上文雄…32
京都の神宮外苑再開発は、生活環境(都市環境)を強烈に痛めつける「虐待」です。

(おおむね月1度の更新予定)

川上文雄

 かわかみ・ふみお=奈良教育大学元教員、奈良市の神功(じんぐう)地区に1995年から在住

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