常置週刊誌は文春、新潮 帯に「殺人」の文字ある小説閲覧は不可 医療観察法病棟退院者が明かす強制入院の重圧感
2001年6月、児童8人が犠牲になった大阪教育大学付属池田小事件を契機に、国が設置を進めた、触法・精神障害者を強制治療する収容病棟は全国に32カ所(計825床)がある。うち15カ所は府県が運営する施設だ。記者は4年前から国立の施設を退院した人やその家族らに聞き取りをしてきたが、茨城県立の病棟を退院した当事者に今月、インタビューをした。
同県笠間市旭町にある県立こころの医療センターの医療観察法病棟(17床)を昨年、退院した30代の男性が、入院中の内実を明らかにした。男性は2013年、殺人未遂の容疑(本人は否認)で送検されたが、刑事責任能力が問われず不起訴処分になり、心神喪失者等医療観察法の適用を受けた。
拘置所にいた約4カ月の間、20種類の精神病薬を処方されていた。その後、医療観察法に基づく精神鑑定を行なう民間病院に移送され、処方される薬は3種類に減った。急激な減薬によるものなのか、1週間ほどよだれが止まらず、体調を崩してしまったと男性は話す。
3カ月間の鑑定入院の結果などを基に、水戸地裁は、強制入院の命令を言い渡し、同センターの医療観察法・専用病棟に移送された。入院の期間は1年9カ月だった。
入院患者の供用スペースで閲覧できる雑誌は「週刊文春」「週刊新潮」、コミックは「少年ジャンプ」だった。男性は、読みたかった小説を家族から差し入れてもらったところ、帯に「殺人」の文字があったことから、許可されなかった。
病状が落ち着いてきた入院者を対象に、週に1度、90分間の内省プログラムの時間があった。温かい飲み物や菓子が振る舞われた。被害者の気持ち、被害者の家族の気持ちがどのようなものだったか想像するよう、心理の担当職から促された。作文を書くことも求められた。一方、男性の事件前夜の状況は、父の死にショックを受けたことから精神症状が悪化していたといい、泣いていたことしか記憶になかった。
同じ病棟の入院患者の中には、繰り返し内省を求められ、心の調子を崩した人もいた。
患者同士はよく打ち解け、仲良く話をする機会があった。患者仲間とよく語り合ったことは、強制入院の息苦しさについてだった。「ここは冷暖房完備の穏やかな刑務所だね」と不満を言い合っていた。中には「実刑になった方が早く出られるから刑務所に行きたい」と話す人もいた。「医療観察法病棟では5年間も収容されている人がいるみたいだ」と仲間から聞いた。
男性は症状が軽快し、昨年、退院が許可された。退院に向けた手続きを行なっている際、帰住先として自宅を希望したのに、グループホームに入所するよう病院側から強く勧められた。自宅では、実母との関係が良好であるにもかかわらず、施設に入ることが退院の条件であるかのようにほのめかされ、戸惑った。「家に返りたい」と何度か折衝した末、自宅療養が認められた。
退院後は医療観察法に基づき、最長3年間の強制通院の措置を受け、法務省保護観察所の管理下に置かれている。その8カ月の間、男性のケアを担当する精神科ソーシャルワーカーは2度も代わって3人になったが、その理由について何の説明も受けていない。「医療観察法は手厚い治療とよく言われます。だけど、病者と医療・福祉スタッフとは少しも水平な関係ではありません」と話す。
医療観察法は2005年に施行され、約2300人の精神障害者が入院の命令を受けた。池田小事件を起こし、死刑が執行された元死刑囚をめぐっては、精神科の措置入院歴があったことが世間を煽るように報道された。しかし、詐病であることが後に判明した。元死刑囚のように責任能力があり、著しく情緒の欠如した人格の障害を負う者は、医療観察法の対象にならない。薬物療法に容易に反応せず、医療の名目で人身を拘束する理由を失うからだ。従って、池田小事件のような通り魔事件を予防できる施設ではない。
にもかかわらず、国がこの事件直後に、重装備の病棟を整備したことから、入院者は絶えず、奇異な目で見られることになった。その烙印(らくいん)は、退院後も付いて回る。
罪の重さで人は裁かれるはずだが、障害の重さや帰住先の地域福祉の乏しさにより、留め置かれた人々がいることを、記者はこれまでの取材で確認している。【関連記事へ】