関西広域)大阪府大東市ゆかりの彫刻家 後のゴジラ造形者と一緒の写真見つかる 2人は一時期、師弟関係
大阪府大東市ゆかりの彫刻家浅野孟府(右)とゴジラ造形者利光貞三(中央)が並んで写る写真
大阪府大東市の有志らが掘り起こしを進める明治生まれの彫刻家、浅野孟府が昭和初めの一時期、弟子だった利光貞三と一緒に写っている戦前の写真がこのほど、東京都府中市に住む孟府の長女、映さん(83)の自宅で見つかった。利光は東宝映画「ゴジラ」(1954年)の怪獣を造形し、孟府とは人形劇団の同志だった時代もある。
写真は東京都内の長女宅に
写真は昭和10年代の撮影で、大東市野崎の孟府アトリエ兼住居の近くで写したとみられる。右が孟府、中央が利光、近所の老人が左端に写る。孟府と利光は1935年、大阪市天王寺区で旗揚げした新興の人形劇団「人形座」の座員でもあった。孟府の次男、潜さん(87)によると、利光は戦前、孟府の工房に彫刻を習いに来ていた。
2人の子弟関係を裏付ける資料は1940年3月20日付の大阪朝日新聞。孟府が彫刻作品を窯で焼き上げて陶像にする新しい造形に挑む話題が載った。助手をする利光は当時33歳の洋画家として登場、「師弟むつまじく」と記事中にある。新聞記事は大東市教育委員会生涯学習課の学芸員、佐々木拓哉さんが2016年、大阪府立中之島図書館で戦前の大東市の記事を探していて、偶然、見つけた。
これらの情報を総合すると、孟府と利光は少なくとも5年間、子弟関係にあった。ウルトラマンの産みの親、成田亨の師が彫刻家の清水多嘉示であるように、初代ゴジラの造形者の師も彫刻家だった。近日発売の書籍「彫刻家浅野孟府の時代1900-1984」(批評社、浅野詠子著)が初めて掘り起こす。
太平洋戦争中、海軍省報道部が企画した東宝映画「ハワイ・マレー沖海戦」(1942年)の特撮美術の仕事依頼が孟府の下に来たとき、「いっしょに弟子の利光を東宝の撮影所に連れて行った」という記述が潜さんの自伝にある。利光はそこで同映画の特技監督だった円谷英二と出会う。円谷は戦後の大ヒット作「ゴジラ」の特撮を指揮、利光は怪獣ゴジラのひな型を造形することになる。
映さんは、孟府が日独合作映画「新しき土」の特撮美術を担当した年に生まれ、その名が付いた。「父が家族を連れ、大阪市内から大東市野崎に転居したのが昭和12年でした。そのころの写真かと思います」と話している。潜さんによると、利光は孟府の家から100メートルほど離れた借家に住んでいたといい、孟府の転居を期に大東市に一時、移り住んだとみられる。