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発行者/奈良県大和郡山市・浅野善一

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ジャーナリスト浅野詠子

記者余話)大和郡山・地蔵院川、堰のない70年以上前の姿見せる

堰が撤去された地蔵院川=2022年1月22日、奈良県大和郡山市下三橋町

堰が撤去された地蔵院川=2022年1月22日、奈良県大和郡山市下三橋町

堰があったときの地蔵院川=2013年9月22日

堰があったときの地蔵院川=2013年9月22日

 奈良県大和郡山市下三橋町の地蔵院川(大和川水系)が70年以上前の堰(せき)がなかったときの姿を見せている。県の河川整備工事の一環として、農業用の古い堰がこのほど取り除かれた。県郡山土木事務所は地元の下三橋水利組合と調整した上で新しい堰を設置する。

 県河川整備課によると、大久保井堰と呼ばれ、昭和30年代に巻き上げ式の堰に改良した記録が残ることから、少なくとも1955年ごろには存在した。水系は異なるが、吉野川(紀の川)源流の奈良県東吉野村教育委員会が所蔵する資料には、アユの遡上(そじょう)が農業用堰に阻まれたため、1932年ごろからアユの放流が行われるようになったという記述がある。大久保井堰の歴史も戦前にさかのぼるかもしれない。同水利組合が1967年、県に届け出た慣行水利権の文書には「設置年代は不明」とある。

 地蔵院川は奈良市鉢伏町の鉢伏峠に源を発し、延長6400メートル。大和郡山市内で小河川(前川)と合流してすぐ佐保川と合わさる。堰は日照りや少雨と闘った奈良盆地の農業の歴史を物語る。

 県教育委員会が2014年度に実施した近代化遺産の悉皆(しっかい)調査によると、地蔵院川上流の奈良市内で4カ所の堰が報告されている。土台となる調査は、同市教育委員会が行った。うち同市今井町と横井町内の堰は1898年、日本特有の間知石積で築造されていることが報告書に出ている。人工的な改変も歳月と共に河川の魅力になることがうかがえる。

 県水防計画によると、大和川水系には全部で264(国管理区間を除く)の農業用堰がある。うちゴム袋体をゲートにするゴム堰は、河川の生き物の移動に大きな障壁になることが2006年、大阪市立自然史博物館が行った特別展「大和川の自然」の中で指摘されている。

 戦後の奈良県内の用水事情を前進させた政策に吉野川分水(施工、農林水産省近畿農政局)の開発があり、吉野川水系から潤沢な水が奈良盆地の農地に流れ込んでいる。それでも堰は劇的に減ることはなかった。

 奈良県農村振興課によると、戦後のゴム堰の普及は、治水政策からの要請でもあった。

 同課は言う。「農業用井堰は昔から石造りなどの固定堰がほとんどだったが、治水に悪影響を与えることもあり、技術の進歩などにより洪水時に流水機能が確保できる現在のゴム堰などの可動堰が普及してきた。奈良盆地では昔から河川水の取水を農業用水として活用しており、井堰は不可欠。また、吉野川分水は奈良盆地の農業用水不足を解消するために設けられた施設で、農業に大きく寄与しているところだが、あくまで補給水であり、吉野川分水をもって直ちに井堰が不用となるわけではないことを理解してほしい」

 大和川水系でおなじみの農業用堰は、治水、環境、文化財の方面などいろいろな宿題を抱えているだろう。竹を割ったような解答はすぐには求められない。それでも、大和川の本流はもとより、10以上の支流河川の豊かな生物を大阪府と奈良県の隅々まで調査した大阪市立自然史博物館の足跡はまず賞賛されなければならない。

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