関西広域)黄金バットや民話題材 「紙芝居の歴史と阪本一房」展 大阪府吹田市で
「黄金バット」をはじめ、街頭紙芝居の名作の数々を展示した会場=2024年11月3日、大阪府吹田市立博物館、浅野詠子撮影
昭和20年代、全国各地の道端で上演され、子どもたちを夢中にさせた街頭紙芝居。その歩みをたどり、テレビ時代が到来した後も、民話などを題材に新しい紙芝居文化の創造に果敢に挑んだ阪本一房(人形劇「出口座」主宰者、1919~2001年)の足跡を取り上げた特別展「紙芝居の歴史と阪本一房」が大阪府吹田市岸部北4丁目の同市立博物館で開かれている。11月24日まで。
昭和20年代の街頭紙芝居。熱演する阪本一房=京都先端科学大学名誉教授の堀田穣さん所蔵
小さな木の箱を舞台として、子どもたちに菓子を売りながら演じる街頭紙芝居は1930年に始まったという。その年に登場した「黄金バット」(後藤時蔵作、展示は永松健夫作画・復刻版)は、しゃれこうべに深紅のマントをまとった奇抜なヒーローの物語。
時代が暗転し、太平洋戦争中の1942年には国策紙芝居「マレー沖海戦」(滋賀県大津市の私設「人形劇の図書館」蔵)が登場する。敗戦後、街頭紙芝居が復活し「黄金バット」は加太こうじの作画によって街に帰ってきた。
京都先端科学大学名誉教授の堀田穣さんによると、1947年から1949年までに生まれた810万人が、街頭紙芝居を知っているという。やがてテレビ全盛時代となり、紙芝居業者は生活のために別の職業に移っていった。
会場では、こうした時代の潮流に臆せず、地元旧吹田村で語り伝えられてきた民話に着目し、独自の演目に育て上げた阪本一房の世界を紹介。人形芝居の弟子で、阪本の助言を得ながら作画に挑んだ柿本香苗さんの「かっぱのめだま」(さねとうあきら作)も紹介されている。柿本さんは「紙芝居の演者は俳優であり、演出家であり、劇場主でもある」と語った阪本の誇り高い言葉を「吹田市立博物館だより」に寄稿した。
堀田さんは3日、同博物館で「出口座から新しい芸術としての紙芝居まで」と題し講演。「阪本一房の直接の師は、大正期新興人形劇の担い手の小代義雄。一房にとり、土着志向だけの紙芝居ではなく、小代やその仲間の浅野孟府(彫刻家)らのモダン志向を受け継いでいたはず。ロシア民話の絵本の前衛性にも影響を受けたのではないか」と語った。
会場では、紙芝居の系譜に連なり、親鸞の一代記を絵解きした木版画(昭和初期)の展示や、祭礼の見世物として江戸中期からあった地獄極楽図の「のぞきからくり」の解説もあり、多くの来訪者が見入っていた。
開館時間は午前9時30分~午後5時15分。観覧料200円、問い合わせは同博物館、電話06-6338-5500。