関西広域)方言詩に新たな地平 坂本遼・生誕120年展 兵庫の姫路文学館
開催中の坂本遼・生誕120年展。ガラスケース(右)の赤い表紙が詩集「たんぽぽ」(装丁・浅野孟府)=2024年12月10日、兵庫県姫路市山野井町の姫路文学館、浅野詠子撮影
貧しい農民たちの哀歓を土地の言葉で朴訥(ぼくとつ)に歌い、方言詩に新たな地平を切り開いた兵庫県加東市生まれの詩人、坂本遼(1904~1970年)。坂本の生誕120年を記念した企画展が12月7日、同県姫路市山野井町の市設・姫路文学館北館で始まった。2025年3月30日まで。
坂本の詩、「春」には、こんな一節がある。
おかんはたった一人
峠田のてつぺんで鍬にもたれ
大きな空に
小ちやいからだを
ぴよつくり浮かして
空いつぱいになく雲雀の声を
ぢつと聞いてゐるやろで
(1927年の詩集「たんぽぽ」から)
坂本は山あいの自作農の家に生まれた。関西学院文学部英文学科(現関西学院大学)に進学して詩人草野心平にいち早く見出され、草野創刊の詩誌「銅鑼(どら)」に参加する。
展示は坂本の子孫が土蔵や押し入れなどに保管していた貴重な書簡や、坂本の郷里、加東市教育委員会が所蔵する資料(詩「土用のいれ雲」原稿ほか)の数々を紹介。足跡や詩の魅力を丹念に掘り起こしている。
関西学院とモダニズムの世界との縁
稚拙、素朴、朴訥こそ坂本の持ち味―。大先輩の草野からこのように助言され、これを受けて詩作を充実させた坂本の世界。しかし、展示をたどっていくと、意外にも、大正期新興美術運動の旗手やモダニズム詩の作者らとつながりがあったことが分かる。
当時、旧西灘村(現神戸市)の原田の森にキャンパスがあった関西学院に進学したことが大きい。そこでの文学仲間に詩人の竹中郁や築地小劇場ゆかりの青山順三らがおり、関西学院近隣にアトリエを構える前衛的な美術家らとも出会い、交流が始まる。
生涯唯一の詩集「たんぽぽ」の装丁と扉絵は二科会の急進派「アクション」出身の彫刻家・浅野孟府。同詩集と同じ年に坂本が刊行した小説集「百姓の話」扉絵の孟府の原画(裸婦)は、このたびの展示で坂本の遺族方で発見された。
「たんぽぽ」出版記念会の芳名帳には、高村光太郎、萩原恭次郎、高橋新吉らの名が見られる(加東市の坂本の遺族所蔵)。
その後、坂本は大阪朝日新聞社に入社。第2次世界大戦下での従軍取材は2回。応召で大阪防空隊にいた。戦後は、井上靖と竹中郁が創刊した児童詩誌「きりん」に参加し、創作童話を寄せた。復職した朝日新聞で論説委員を務めた。
姫路文学館学芸員の甲斐史子さん(副館長)は「坂本の方言詩は、郷里加東市の若者が聞いても意味がよく分からない箇所がある。また、作品の中に民間信仰にまつわる時代の断片などが織り込まれ貴重。現代の人々から記憶が薄れてきた作家に光を当てようと努めた」と話す。観覧料は450円。開館時間は午前10時~午後5時。休館日などの問い合わせは同館、電話079(293)8228。